第18回 愛の清流
○ 清津峡温泉郷の峡谷 秘湯の里といわれる清津峡温泉郷の峡谷をごうごうと急流が流れくだる。 峡谷の岸壁には新雪が降り積り、雑木の枝に白雪の花が満開になっている。 峡谷の一角にはそそりたつ岸壁にしがみつくようにホテル緑風館が建っている。 ホテル入り口の門燈が周辺を照らし白銀の世界をクローズアップしている。 ごうごうと流れ降る谷川の水音がホテルの周辺に木霊(こだま)する。 ○ 緑風館・桔梗の間 藺草(いぐさ)の香り高い畳20畳ほどの部屋の中央に紫檀(したん)のテーブルが でんと配置されている。 そのテーブルのうえには夕食が済んだあとの食器類がおかれたままになっている。 二組の布団が敷かれ、藤原教授と花園弁護士が布団にはいり胸からうえを掛布団 からだしている。 天井の電燈は消され、枕元のスタンドだけが仄暗く部屋を浮き彫りにしている。 「ちょっと質問していいかな」 花園は藤原の布団に向きなおる。 「ああ。なんなりと」 藤原は天井をみつめている。 「あるべき性行動の流れについては、さっき語りあったが、その先をもう少し展開して みてくれないか」 「さっきの[前戯]に先立つ愛撫は、いわば原初的な性行動なんだ」 「原初的アクションかね」 「まあね。そもそも人間が[性行動のエリア]に心身を浮かべるときには、先ほどの前戯 に先立ち、まず愛撫からはじめるのが望ましい」 「ええ。それはわかります」 「この前戯に先立つ愛撫は性的アクションの当事者相互が愛(め)であいながら触れ合い 撫であう愛情の表現で、相互に接触することにより相手に愛情を示す原初的な性的ア クションなんだ。この愛撫によってパートナーと共に双方が軽く性感をおぼえること ができるはずです」 「たしかに、そうでしょうな」 花園は深い溜息を吐く。 「性的アクションの当事者双方とも、この感覚をおぼえることが、次のステップである 前戯をいっそう効果的にアップするために望ましい」 「すると、この階梯ではどんな気遣いが大切ですか」 「この階梯では、いきなり強い刺激を与えるのではなく、軽く相手の性感を呼び起こす 程度のものに留めるべきでしょう。この軽い性感が前戯の効果をアップするとともに、 本番の性行動への呼び水となるから、その刺激もそれにふさわしいソフトな感触を醸 (かも)しだす工夫が大切です」 「なるほど。デリケートなはなしになってきましたが。そのテクニックは」 「具体例をあげると、いきなり唇を奪ったり、強いキスをしたりすることはよくない。 軽く唇だけを触れ合わせたり、軽い頬ずりをするとか、舌を用いない唇だけのソフト なキスならよいでしょう」 「なるほど。わかります」 「いきなりぎゅっと抱きしめるのはよくない。両肩に手をかけ接触の予感を与えてから 軽く抱擁するのがよい。また軽く手を握ってスキンシップの予感を与えるのもよい。 いわゆるペッティング(Petting)も狭義では愛撫に属するが、この階梯では避けたほう がよい。これは、次の前戯のステップまで待つべきでしょう」 「なるほど。やはりきめ細かい神経が必要なんだ」 「要するに、このような[前戯に先立つ愛撫]を経て、性行動の当事者相互に軽い性感を おぼえた段階で、セックスアクションの次のステップとしての前戯にはいるわけです が、この前戯はペニスを膣に挿入するセックス本番の前に女性を安心させ、その身体 を柔らかくさせ、性器に愛液といわれる潤滑液を溢れさせ、性的興奮を昂進させる という意味で重要とされるわけです。このような手法が性感喚起のテクニックという ことになります」 「なるほど。よくわかりました。わしも佐保子を相手にこれを実行してみるか」 「やや高度な学問的なはしになるが。その[性感]は、生理学的には皮膚感覚の延長線上 にあるものとみられる。そうだとすれば、前戯的性行動の手段も皮膚感覚を刺激するもの でなければならない。その皮膚感覚を刺激するテクニックは皮膚に接触することなんだ」 「なるほど。皮膚への接触の仕方にも技術的なものがありますか」 「ええ。接触の仕方については、なにを用いるかにより「体触」・「指触」・「舌触」 をあげることができます」 「まず体触とはなんですか」 「これは文字通りアクションの当事者が肉体の一部または全部で触れ合うことですな。 全裸になってやさしく抱擁したり、ペニスを膣に挿入しないで女性が仰向けになって 脚を延ばしたポーズをとり、パートナーがそのうえに載り脚を延ばして全身を密着さ せて愛撫したり、女性が動物のように膝をついたその背中にパートナーが軽く腹部を 接触しながら両手で垂れ下がる女性の乳房をソフトに掴み乳首をも含めて愛撫したり、 女性を起たせパートナーはその背後に直立し、うしろからソフトに抱き着き手によっ て乳房や脇腹、脇の下、耳朶、耳穴、首筋、髪の毛などを愛撫したりする」 「なるほど。すると指触とはどんなアクションですか」 「これは文字通り指を用いて相手方の顔・髪の毛・体部とか性器その他の性感帯に接触 することをいいます。具体的にはバギナ全体を指のハラでソフトに愛撫したり、クリ トリスや大陰唇・小陰唇を指のハラでソフトに愛撫したりします。相手方の瞼や耳朶 とか耳穴、脇の下、内股、脇腹、股、足裏、足指の間、乳房、乳首なども愛撫の対象 にります。さらには陰毛を指のハラで撫でたり、摘まんで軽くソフトに愛撫したりし ます。爪は清潔にしておかねばなりません」 「それでは舌触とはどんな手法ですか」 「これは文字通り舌を用いて相手方の性感帯に接触し愛撫することです。たとえばバギナ 全体を舌で舐めるとか、クリトリスや大陰唇、小陰唇その他の性感帯を舌で愛撫したり します」 「なるほど。勉強になりました」 「これらの手法を巧みに駆使すれば、円熟したメリットを発揮し、それだけ人間としての 性生活は芳醇なものになってゆくはずです」 「そうでしょうな。ところで、以前、君のはなしにでてきた聞き慣れない概念があったん だが。そのひとつとして[クンニリングス]という概念はいったいどういうものですか」 花園は寝返りをうち藤原のほうに向きなおる。 「ああクンニね。その言葉は略してクンニともいうんだ。そもそもこのクンニリングス (cunnilingusu)とはラテン語に由来してるんだ。この[性行動]は、女性のクリトリス(cli toris)とか、尿道口(urethra)、膣、小陰唇、大陰唇、肛門などの陰部に口をつけ、舌や 唇、歯などにより性感を喚起するため刺激を与えるセックスアクションなんだ。このクン ニはいわゆる[オーラルセックス]の一種に属する特殊なアクションなんだがね」 「なに、そのオーラルセックスってなんのことかわからない」 「まあ通常人ならわからなくてもかまわない」 「おれも通常人だが」 「この[オーラルセックス]とは口腔で性行為をすることを意味するんだ」 「ほう。つまり性器を交接しないで実行される特殊なセックスアクションなんだ」 「まあね。この遣り方だと避妊を避けられるというメリットがある反面、性行動による 感染のリスクを負う危険性があります」 「なるほど。するとこのアクションはできるだけ避けたほうがよさそうだ」 「それでもこのアクションはなされる。しかも、これは[前戯的性行為]として男性が行う のが通例なんです」 「ほう。そうなんだ」 「ただ、それだけではなく、セクシャリティとしての[レズビアン]の女性同士においても 重要な[性技]のひとつとしてなされます」 「わしにいわせれば、それは異常だね」 「通常人からはね。ただ、この特殊な性技術によれば、刺激されるサイドだけではなく、 刺激する側でも性的快感を喚起し、性的興奮・性的快感をえることができます。ですから 性行動のテクニックとして体得しておいたほうが、その性行動生活も、いっそう芳醇にな ることでしよう」 「たしかにそうかもしれないが。わしにいわせれば変態行為というしかないな」 「そうかもしれないがね。実は古代ギリシャ・ローマでは、オーラルセックスがなされる のが通例とされていたんだ」 「ほう。そのアクションはごく当たり前で、その時代の社会通念だったんだ」 「まあね。古代ローマの貴族たちは、みずから買い取った奴隷(どれい)にクンニをさせて いたらしい。クンニのほか[フェラチオ]をさせていたらしい」 「奴隷は人格をもたない物としての道具にすぎなかった時代だったからな」 「その時代には、「フェラチオをする女性」よりも、[クンニリングスをする男性]のほが 侮蔑(ぶべつ)されていたらしい」 「なるほど。でもやはり変態だね。わしゃ、ついていけない」 「いずれにしても、クンニをするからといって別に変態行為ということもあるまい。クン ニも清潔な状態でなされるものであれば、むしろ性生活をより芳醇に導くひとつの性技と してそれなりに評価されてよいでしょう」 「・・・・・・」 「ちなみに動物の場合は、本能的にクンニをしています。視覚・聴覚・嗅覚の発達につれ、 その発達段階において本能的に形成された性行動なのであろう。動物は体部や性器周辺の 臭いが性欲を昂進させているらしい。これに対し人間の場合は、クンニの対象となる性器 その他の臭いが強すぎると、性欲を昂進するどころか、人によっては、かえって性欲を 後退させてしまう」 「うちの佐保子のあそこは松葉の臭いがするんだ」 「そういう人が多いようだね」 「そうすると、そのクンニにもテクニックのようなもんがありますか」 「ええ。それをする体位やテクニックについてコメントしておきましょう。これは[標準型] のほか[顔面騎乗型]・[肩車型]・[空中ブランコ型]・[立位型]などがあります」 「その標準型ちゅうもんはどんな体位ですか」 「まず全裸になった女性を仰向けに寝かせる。女性は両脚を開いたポーズをとる。この姿勢 になると陰部の愛撫がしやすくなります。これに対しパートナーは女性の股間に顔を寄せ、 クリトリス・大陰唇・小陰唇などの性感帯を舌とかキスでソフトに愛撫してゆく」 「あるほど。それでは顔面騎乗型というのはどんな体位ですか」 「ええ。これはさっきとは逆に全裸の男性が仰向けになって寝ます。女性は陰部がパートナー の顔の真上に位置するように男性の上に馬乗りになります。すると男性の目の真上に逆さに なった女性の陰部が露出されます。それだけに新鮮な感覚でクンニをすすめることができます。 この体位によれば女性の心理としては男性を征服したポジテブな気持ちになれるので快感も それだけ増大するメリットがあります」 「なるほど。わかります。それでは肩車型という体位はどんな体位ですか」 「これは、いわゆる肩車の姿勢を逆にした[逆の肩車]」で女性が男性の肩に乗ります。そのと き女性の陰部が男性の顔に当たるような位置決めをします。男性は女性の全身を両肩で担ぎ 両腕で支えることになるので、やや取り難いポーズですが、その位置決めから心理的要因がは たらいて男女双方おもその性感度は抜群でしょう」 「ちょっと、アダルト・ビデオにしちゃいけません」 「べつにそんなつもりはない。性行動を学問的に解明しているにすぎない」 「たしか、君の著書[性行動の科学的研究]のどこかの一節にその記述があったようだ。クンニ を気嫌いしていたが、君のコメントを聞いているうちに興味が湧いてきた。ええと空中ブラン コ型だっけ。この体位はどんなものですか」 「これは文字通り、パートナーが女性の足首を掴んで、人形を吊るしたように空中にぶらさげ 女性の股間を舌で愛撫する手法です。ただ、この体位は肩車型と同様に、体力的・技術的にか なり困難ですから長い時間のクンニ持続はむりでしょう」 「まるで軽業なみだからな。最後に立位型というのは」 「これは[立ちクンニ]ともいい、裸にならずに着衣のままの女性が立った姿勢でいるところへ、 パートナーがスカートのなかに顔を突っ込み、下着をずりさげて股間や性器を舌で愛撫したり、 スラックスと下着を脱がせて愛撫するテクニックです。これははじめから全裸になるより、 着衣の段階からすすめることで性的興味を弄(もてあそ)ぶという心理的メリットがありますな。 これはクンニの効果のほかに、[サディスチック]な性的満足がえられるというメリットもあり ます。なぜならこの体位は肌着などを脱がせ恥ずかしがる女性を征服するという心境になるから」 「心理学的な説明ですな」 「たしか君の著書にはクンニの功罪という項目があったが、この点を簡潔にコメントしてくれま せんか」 「ええと。前戯的性行動のなかでクンニをすれば、適切な性的刺激と性的興奮を喚起することが できる。そうだとすれば、清潔を保つことを前提として、クンニのテクニックをアップさせること が望ましい。クンニは「する側」も「される側」にも嬉しい愛撫になり愛情の証にもなります。 ちなみに女性器への口唇愛撫を性俗語としてはハーモニカともいいます」 「なるほど、イメージとしてはその仕草はハーモニカを吹くようだからな。でもクンニののデメ リットが気になりはしないかね」 「ああ。このことを忘れてはなりません。もとより愛撫の対象とされる陰部を清潔に保った健康体 であれば。性感染症に感染することはない。けれどもその部位を不潔にしていたり、エイズなどの 性感染症に感染している人の場合には、膣周辺を舐めることによってクラミジア、淋病、ヘルペス、 尖形(せんけい)コンジローム」とか梅毒、B型肝炎などに感染する可能性があります。肛門を舌で 愛撫すると便を介してA型肝炎、アメーバ赤痢などに感染する虞(おそれ)があります」 「いやなあなしになってきたな」 「これも学問的な説明だからやむをえない」 「夜も更けたから、あのフェラチオはあとにしよう。そろそろドリームの世界に溶け込んでゆき、 愛の清流に笹船でも流すとするか」 「そうだな。眠るとしよう」
○ 清津峡温泉郷の峡谷 秘湯の里といわれる清津峡温泉郷の峡谷をごうごうと急流が流れくだる。 峡谷の岸壁には新雪が降り積り、雑木の枝に白雪の花が満開になっている。 峡谷の一角にはそそりたつ岸壁にしがみつくようにホテル緑風館が建っている。 ホテル入り口の門燈が周辺を照らし白銀の世界をクローズアップしている。 ごうごうと流れ降る谷川の水音がホテルの周辺に木霊(こだま)する。 ○ 緑風館・桔梗の間 藺草(いぐさ)の香り高い畳20畳ほどの部屋の中央に紫檀(したん)のテーブルが でんと配置されている。 部屋はスタンドの電燈だけで仄暗くなっている。 布団に潜った花園弁護士と藤原教授が寝息をたている。 〇 ドリームの世界 峡谷の清流の岸に浴衣姿の花園が起っている。 花園は川岸にしゃがみ込み、手にもっていた笹船を清流に浮かべる。 あっという間に笹船は愛の清流にのみこまれてゆく。
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