第17回 白銀の清津峡谷
◇ 上信越国立公園清津峡温泉郷 ◇
○ 清津峡温泉郷の峡谷 秘湯の里といわれる清津峡温泉郷の峡谷をごうごうと急流が流れくだる。 峡谷の岸壁には新雪が降り積り、雑木の枝に白雪の花が満開になっている。 峡谷の一角にはそそりたつ岸壁にしがみつくようにホテル緑風館が建っている。 ホテルの周辺は積雪で白銀の世界がクローズアップされる。 ごうごうと流れ降る谷川の水音がホテルのロビーにまで響いてくる。 ○ 緑風館・桔梗の間(特別室) 藺草(いぐさ)の香り高い畳20畳ほどの部屋の中央に紫檀(したん)のテーブルが でんと配置されている。その奥の窓側にはソファーがおかれている。 花園弁護士と藤原教授が部屋の窓側のソファーに凭(もた)れ、窓外に連なる 峡谷の純白の雪化粧に見蕩(みと)れている。 桔梗の間の襖がするっと開いて和服姿の若い仲居が料理をはこんでくる。 「お待たせいたしました」 チャーミングな瓜実顔の仲居は紫檀(したん)のテーブルのうえに料理をならべ はじめる。 「どうも」 常連客の花園弁護士は、顔馴染(かおなじ)みの仲居と視線をあわせる。 「花園先生、しばらくでした。よくいらっしゃいました」 瓜実顔の仲居は愛狂しい眼差しでにんまりと微笑(ほほえ)む。 もうひとりの童顔の仲居もおおきなお盆から料理をテーブルにうつしてゆく。 山菜料理をメーンとした品数の多い料理が紫檀のテーブルを賑(にぎ)わわせる。 「それでは花園先生。いつものようにお酌はご自分でなさってください」 瓜実顔の仲居は畳に指をついて起ちあがる。 「ごゆっくりなさいませ」 童顔の仲居も畳に手をついて起ちあがる。 「ああ。どうも。あとはこっちでやるから」 花園はソファーで腰を浮かせる。 「ああ。女将は顔をださなくてもいい」 花園は仲居の背に声を浴びせる。 「はい。女将さんは、踊りの発表会で街にでかけてまだ帰っていません」 瓜実顔の仲居はちらっと、うしろを振り向く。 「そう。相変わらず日本舞踊に凝(こ)ってるんだね。どうもどうも」 ふたりの仲居は桔梗の間から消えてゆく。 「それでは藤原くん。メシにするか」 浴衣姿の花園はテーブルに向かう。 「ようし。お待ち兼ねのメシにするかな」 藤原はソファーで腰を浮かせテーブルに向かう。 花園と藤原はテーブルを挟み、座椅子のついた座布団に座る。 花園は麒麟麦酒専用のおおきな栓抜きでぱっと王冠を跳ねあげる。 「さあ。ここは昔ながらの古典的ラガービールしかでないんだが」 花園は藤原のさしだすグラスに七分三分の泡立ちで酌をする。 「そうか。ここは秘湯の里といわれている温泉郷だから古典的なラガーの ほうがいいんじゃないかな。君はビールの注ぎ方にうるさいからオレは酌を 遠慮しておこう」 「ああ。ビールとコーヒーだけは、自分でやらないと気がすまないんだ」 花園は自分のグラスにも七分三分の泡立ちで神経質にビールをそそぐ。 「そいじゃ乾杯にしよう」 花園はグラスを掲げる。 「乾杯!」 藤原もグラスを高く掲げる。 「この温泉郷は上信越国立公園の一角なんで、海抜700メートルという 山岳地帯なんだ。越後山脈に連なる山間地帯なんだが」 「その話は君と一緒にこの峡谷に来るたびに聞かされていいる」 藤原教授はぐっと飲み干してグラスをテーブルに置く。 「ところで。君は心理学者のくせに『地球人の性行動』を研究してるが。その 研究の集大成として『性行動の科学的研究』という著書を刊行した」 「まあな。ちょっと変わった研究だが、人間の行動を研究の対象とする心理学の レールに載せて、人間を[原始人]の姿に戻し人間を赤裸々に丸裸にして、人間 にとって最も人間らしいアクションとしての「性行動」を対象とした研究なんだ」 「そうするとこの研究は心理学の延長線上に位置づけられるものだから、いわば 特殊心理学ということになりますかな。今宵は、その地球人の性行動について アドバイスして欲しいんだ」 花園は藤原と視線をあわせる。 「まあね。花園弁護士のこれからの性生活の役にたつんならね・・・。まあ、なん でも聞きたいことはどしどし質問してくれないか」 藤原は[鯉こく]のお椀に手をかける。 「君の著書は全部読み終えたんだが。うちの佐保子もわしに隠れてこっそり読んで いるらしい」 花園弁護士も[鯉こく]のお椀に手をかける。 「そりゃ光栄だね。佐保子さんにも読んでもらったか。こんどお逢いしたら感想を 聞かせてもらうことしよう」 藤原は[鯉の輪切り]に箸をつける。 「あのね。この鯉こくは[鯉ヘルペス]で禁食になってるんだが、この緑風館だけは 自分の生簀(いけす)で鯉を育ててるんで。こうして特別の客にだけ鯉こくを振る 舞ってるんだ」 「なるほど。これは絶品の味だな」 「ところで、まず[前戯的性行為]なんですが。その本質はなんですか」 花園は[鯉の輪切り]に箸をつける。 「その本質を語るためには、ヒトの[性行為の流れ]を明らかにしなけれあならない」 藤原は自分のグラスにビールを注ぐ。 「ほう。セックスアクションの流れね」 「そのアクションは、自然のポーズによる[愛撫]にはじまり、奥深いテクニカルな [前戯]を経て、セックスの山頂に登攀(とうはん)し、オーガズムの絶頂に達し、 肌理(きめ)細やかな[後戯]のコースをパートナーに愛撫されながら下山し、芳香高 い幸せの花園に降り立つのが理想的なんだ」 「なるほど。まず[前戯]からはじまり、[後戯]に至るまでのテクニカルな登山の手法 があるんだね」 「これこそ心身ともに愛しあう地球に生息するヒト同士におけるセックスアクション の流れとして望ましいパターンなんだが」 「なるほど。わかります。それこそ理想的なセックスアクションの登山コースなんだ」 「このようなアクションの流れを形成するためには、アクションの当事者間に認めあう [価値観]の存在することが前提とされる」 「当事者間に共通する価値観か。なんとなく哲学的なはなしになってきたようだ」 「このメンタルな要素は、セックスアクションの[心的エレメント]として重要なんだ」 「それはなぜですか」 「それはですね。セックスアクションの当事者が[心的アクション]をとる地球に生存 するメンシェンだからだ」 「なるほど。メンシェンつまり人だから。すると、そもそも[前戯]とはなんですか」 「ええと。ヒトは性交に先立ちパートナーとの相互間の性的興奮をアップするために それぞれのテクニックにより性的快感に結びつきやすいいろいろなアクションをす ることがあります。このような性的行動の総称として[前戯]という概念が用いられ るようになりました」 「ほう」 「この言葉を[性行動の科学]という学問上の概念として定義すれば「前戯」とは性交 に先立ち、パートナーとの互いの性的興奮を高めるためになされる行為全般を指し、 性行為の一部をなす性的アクションということになります」 「よくわかりました。要するに、いわゆるフォア・プレーのことですね」 「ええ。セックスの前の性戯ですから、性俗語としてはそう呼ばれるわけです」 「その焼き魚は岩魚(いわな)なんだ。おもいきり齧(かぶ)りついてみたまえ」 花園は串焼きの岩魚にに齧りつく。 「ほう。これが岩魚か。スーパーでは入手できない逸品だな」 「清津川の清流に生息してる川魚なんだ」 藤原も岩魚の串焼きに齧りつく。 「そうすると通常のパートナーとの間でなされるときには、セックス本番にはいるま えにその深さと度合には個人差があるにしても、なんらかの形による愛撫がなされる」 「たしかに、そうなんだなあ」 「こうしてなされる[前戯]は、膣にペニスを挿入して本番にはいるまえに、その愛撫 により女性を安心させ、性的にも溶けさせ、緊張をほぐいて身体を柔らかくさせ、 潤滑液を溢れさせるために[セックス前の性戯]としてなさるたいせつなアクションなん ですな」 「たしかにこの[前戯]はパートナーとの性器の結合という本番にはいるまえの準備段階 においてたいせつなことはよくわかった」 花園弁護士は鯉こくの汁をすすりあげる。 「この[前戯]は通常、男性が主体となって女性を愛撫するアクションです」 藤原教授も冷めかけた鯉こくの汁をすする。 「ところでその[前戯]にもなにかこうテクニックがあるんでしょう」 花園は藤原を見つめる。 「ああ。そのテクニックとしては各種の手法が考えられます。その手法をもちいて前戯を すすめてゆき、女性の膣の潤滑液つまり愛液の分泌を促進し、ペニスの挿入を容易にし てゆき、行為者双方の性的興奮をアップすることができます」 藤原は花園と視線をあわせる。 「なるほど。いまのはなしはセックス前のアクションでしたが、[前戯]の概念があるのだ から、その[対概念」として[後戯]という言葉もあるんでしょうね」 「いかにも論理的な思考をするローヤーらしいことをいうな。たしかに[後戯]という概念 もあります」 「なるほど。すると[後戯]もまた性行動の流れにおけるプロセスの一階梯ですか」 「まあね。これはセックス本番のあとにおける抱擁とか接触などの愛撫的な性行動なん です」 「この[後戯]についてはあとでコメントしてもらうことにして。さっきの[前戯]にはいる ためになにか必要な準備行為はありますか」 花園は念をおした。 「ええ。要するに愛撫の対象となる身体の部位を清潔にしておくこが大切です」 「不潔はよくない。それで各部位の手入れ方法を教えてください」 「ええ。まずクリトリスの洗浄・手入れですが。ラビアを清潔にしておかなければなりま せん。そもそもクリトリスは包皮に包まれているので、その包皮を指で剥いてソフトに 洗浄します。これを不潔にしておくと恥石が溜まり、強烈に臭ってパートナーの性感を ダウンさせてしまいます。そこで柔らかいチーズ状の恥石をいつも洗いおとすことが 大切です」 「こまめに洗うことが女性としてのエチケットだと。このほかの部位はどうですか」 花園はグラスを握ったまま、興味深そうに藤原の顔を覗きこむ。 「そうですね。クリトリスについで大陰唇や小陰唇も清潔にしておかなければならない」 「そうですね。女性の性器としての中心部ですからね」 「そのうち大陰唇は手に触れやすいのでいつもきちんと洗浄することです。これに対し 小陰唇はクリトリスの包皮に隠れている部分は手入れがしにくいので手入れを怠りやす い。そこでこの小陰唇の裏表は包皮を捲り、その中身に指を触れ、指のハラを使ってソ フトにしっかり洗浄しなければなりません」 「そのほかにはどこを洗浄しなければ」 「そのほか膣の中です。シャワーを浴びたり、風呂にはいったときに、からだを洗うだけ でなく、性器の手入れを忘れてはなりません。ですから膣の中もソフトに洗浄しなけれ ばなりません。ただ[膣壁]は柔らかい粘膜質だから傷つきやすい。そこで洗浄する方法 として、指で擦ったり、タオルで擦ることはよくない。指をいれると爪先で膣壁を傷つ けたり、タオルで擦ると膣壁に擦過傷をおこす危険もあります」 「そうすると安全な手入れをするにはどうしたらよいのですか」 「ですから指を膣の中に挿入しないで、圧力のあるシャワーのぬるま湯を2〜3回、膣内 に流しこむことを推奨します。このシャワー方式だと膣全体が膨らみ汚れはおちます。 たとえば、ハンドシャワーのお湯のでる部分をラビア全体に密着させるだけで膣内にお 湯は入り込みます。お湯が一定量以上はいると膣から溢れてくるのを感知できるはずで す。そしてシャワーの口をラビアからはずせば膣内部のお湯は膣外部に流れるので心配 は要りません」 「なるほど。よくわかりました。このほかにも[前戯]のまえに準備しておくことがありま すか」 「そうですね。そのひとつは性器周辺の脱毛ですな」 「えっ。陰毛を抜いてしまうんですか。もったいない。大切な陰毛を抜くなんて」 「そもそも膣周辺の陰毛の生え方には個人差がありますが、大陰唇の上部だけでなく小陰 唇の近くまで生えているのが多い。陰毛の長さにも個人差があるけれども、5〜7cmの 女性が多いんだ」 「なるほどね。いわれてみれば、うちの佐保子の陰毛は短いほうかもしれない。おれ[前 戯]のときに佐保子の陰毛を撫ぜまわすことにしているんだ」 「それはお奨(すす)めですな。ともかく膣周辺の陰毛は膣の穴にまで覆いかぶっさってい るから、これを抜かないでおくと、セックスのとき陰唇周辺の陰毛がペニスと膣の間 に紛れ込み擦過傷となることもあるんだ。そのうえ陰毛を抜かずに自然のままにしてお くと性器を結合させたとき陰毛が擦れたり痛みを感じたりして性感度をダウンさせる」 「なるほど。それで陰毛を処理しなければならないんだ。佐保子にはその必要はない。 それで陰毛の処理について気をつけるテクニックのようなものは」 「そのテクニックとして陰毛を剃ることは推奨(すいしょう)できない。というのは陰毛は 半日の経過で伸びてくるが、剃ったあとで陰毛が伸びてくると、伸びはじめた陰毛はヤ スリのように刺々しくなり、膣に挿入したペニス周辺を刺激して痛みを感じさせパート ナーの性感を減少させてしまうからだ」 「なるほど。そうなんだ」 「そのうえ剃刀をあてると傷つけるおそれもあり、もし傷つけると雑菌が多い部位がけに 雑菌による感染の危険もあります」 「陰毛を剃らないで処理するこたができるんですか」 花園弁護士は首を傾ける。 「ええ。剃刀で剃らないで、痛くとも我慢して毛抜きで陰毛を抜いてしまうのがベターで すな」 「なるほど。その手があったんだ。陰毛を抜いてしまうと、膣の周辺は毛がない状態にな り、性器の周辺はするっとして滑らかになるでしょう」 花園は自分のグラスにビールを注ぐ。 「そうなんだ。さっき述べたようなマイナス要因も解消されます」 藤原は自分のグラスにビールを注いだ。 「そのほかにも脱毛のメリットはありますか」 花園はぐいとグラスを傾ける。 「ええ。たとえば[クンニリングス]のときには舐めやすくなるし」 花園は苦笑する。 「いっそう性感もアップされます。ちなみに陰毛がまったくないラビアにペニスを挿入し、 ピストン運動をすると性感度がアップされるため、通例のときの3分の1程度の所要時間 で射精することが実証されています。その反面、女性も通常、2分の1程度の時間でオーガ ズムに達することが報告されています」 「もし陰毛を抜いてしまうと[ロストバージン対策]が問題になりはしませんか」 花園は藤原に視線を浴びせる。 「いいご質問ですな」 藤原教授は花園と視線をあわせ、けらけら笑いこける。 「たしかに完全に脱毛してしまうと処女を疑われてしまうおそれがあります。そこでパート ナーに初めて抱かれるときには、陰毛を抜かないで、陰毛が膣に届かない程度に短くカット しておくのが賢明ですな」 「なるほど。そういう手もあったか」 ○ 清津峡谷 新雪で白銀と化した狭い谷間をごうごうと清流が流れくだる。 雑木に降り積もった雪が時折、粉雪を振りまくように砕け散る。 〇 桔梗の間 花園弁護士と藤原教授が紫檀のテーブルに対座している。 襖が開いて和服姿で瓜実顔の仲居がはいってくる。 「お待たせしました。特別サービスとして栗ごはんができました。炊き立てのご飯をどうぞ」 仲居は黒塗りのお櫃(ひつ)と茶碗をテーブルにさしだした。 「どうも」 花園は仲居に微笑みかける。 「ごゆっくり。お寝みの時間になりましたら、おしらせください」 「ああ。布団は自分で敷くから結構です」 「お膳をさげるのも明日の朝にしてくれ。若い女性には、あまり聞かせたくないはなしが盛り 上がったところだから」 花園は仲居と視線をあわせる。 「あら嫌だあ」 仲居は両手で顔を覆う。 「かしこまりました。それではいつものようにおねがいいたします」 畳に手をついた仲居は起ちあがりドアの外へ消えてゆく。 「それでは飯にするか」 花園はお櫃の蓋に手を掛ける。栗飯をよそり藤原のまえにさしだす。 「ほう。ホテルで栗ごはんがでてくるとはな」 「特別のサービスなんだ。ここのオーナーの女将さんがおれの教員時代の教え子でな」 「それで特別あつかいか。教師とはいいもんだな」 花園は自分のお椀にも栗飯をよそる。 「いただきます」 藤原は栗飯に箸をつける。 花園も飯を口にする。 「栗飯は久しぶりだな」 ふたりは食べつづける。 「おかわりは自分で好きなだけ」 花園はお櫃を藤原のほうに寄せる。 「ええと。さきほどからの[前戯]のはなしだが、その前戯的性行動にもテクニックがあり ますか」 花園は箸置きに箸をおく。 「ああ。それを要約してコメントしましょう。指を膣に触れたり、からだを撫でまわたり、 性感帯にも触れる。そして髪の毛にも触れるほか、愛狂しくやさしい言葉をかけることも大切 です。さらに愛撫する部位を舌で舐めるとか、抱擁してキスをする。まんねりにならないよう に愛撫する箇所を変えてみるなど、テクニックは多い。これらの手法 は、いわゆる[クンニ リングス]とか[フェラチオ]などにもかかわりをもってくる」 「なんだか聞き慣れない概念が現われてきたな」 花園はおかわりに栗飯を茶碗によそる。 〇 清津峡谷 銀世界の峡谷を清流がごうごうと流れくだる。
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