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作品名:自分が男でなくなる瞬間 作者:藤田

第10回   性行動の科学的研究
           第10回 性行動の科学的研究


○ 桜門大学多摩病院の全景
  武蔵野の一角に近代建築の10階建て高層ビルがそそりたっている。
  ビルの屋上には、[桜門大学多摩病院]という緑色の看板が青空をバックに浮かぶ。
○ 多摩病院6階の610号室
  壁時計の長針がぴくりとうごき午後3時になる。
  花園はベッド専用テーブルのうえに分厚い原稿をひろげている。
  A4判の印刷用紙に書き込まれた原稿の表紙には黒く太い文字で[性行動の科学的研究] という文字が浮かぶ。
  この原稿は昨日、妻の佐保子が藤原教授に依頼されたといって届けてくれたものだっ た。
「これは藤原が緑風舎から出版するという著書の原稿をコピーしたものだろう。入院して るわしに
 読んでみろということか。あるいは読んでみて批判してくれという趣旨なのかもしれな い」
  花園弁護士は呟(つぶや)きながら原稿の最初のページを捲った。


                # 藤原教授の原稿 #

                    
                  はじめに

 この本は、いわゆるエロ本でもなければ、興味本位のエッチブックでもない。
 まして最高裁の判決で定義されているような猥褻文書ではない。
  なぜなら判例が定義づけたような「いたずらに性欲を刺激または興奮させる」類いの著作ではないからである。
  この本は、人間の「性行動」を研究の対象とした純然たる科学書である。その対象である「性行動」は、美しい星といわれる地球上に生存する一個の「生活体」としての人間の行動の一部を構成している。
 この意味において「生活体」としての人間の「心的活動」を中心とした人間の「行動」を対象とする心理学と共通した性格を有する。
 たとえば「異性愛」とか「恋愛」とか「尊敬」や「畏敬」の心情、さらには「師弟愛」とか親子・兄弟などの「肉 親に対する愛情」の発露などは、すべて人間の「心的活動」のあらわれなのだ。
 人間の「性行動」は「生活体」としての人間の本能に由来する最も人間らしい根源的なアクションである。それは人間であるがゆえに必然的に生起される人間行動のひとつの形態として位置づけることができる。
 このような性行動を対象とする「性行動学」は男女の性的差異をスタートラインとして展開される。
 この学問は、男女の差異をごく自然に性差として肯定しつつもそれぞれの性行動を研究の対象とした「ジェンダー部門」、男女のコミュニュケーションの過程のなかに表現される性に親近性をもついろいろな行動を対象とした「セクシャリテー部門」、そして狭義の性行動を研究対象とする「セックス部門」によって構成される。
 これら各部門につき筆者は実証的研究をつづけてきた。その成果を科学的に体系づけたのが「性行動の科学」としてのこの著作である。
  読者のみなさんは、この本を有意義に活用し、望ましい姿としての「健全な性行動」をとおしてその性生活をよりいっそう芳醇なものとせられ、人間らしい幸せな生き方に徹してほしい。

○ 610号室

  花園弁護士が藤原教授の原稿を読んでいる。
「ああ、膀胱がちりちりしてきた。トイレにいってくるか」
 呟きながら花園弁護士はベッドから降りて廊下へ消えてゆく。

 壁時計の指針が3時30分になる。
 花園弁護士がもどってくる。
 彼はベッドにあがると藤原教授の原稿を捲る。
「ええと、第1章が「ヒトの性行動 になってる。その第1節は「ヒトの本能」か。興味深々。読んでみよう」
 花園は呟きながら原稿を注視する。


               # 藤原教授の原稿 #

               第1節 「ヒト」の本能

1 果てしなく無限大につづく大宇宙における数多くのなかでも美しい星だと宇宙飛行士 がいわれた地球上にわれわれは人間は生存している。
  その人間は一個の「生活体」として自分を取り巻く環境に適応しながら生命の燃焼を つづけているわけである。
2 人間がその生命を維持し、生存してゆくためには基本的な必須の条件が具備されてい なければならない。
  まず人間はその体力を蓄え、人間としての活動をつづけ、生命の燃焼をつづけてゆく ためには食欲を満たさなければならない。摂食行動により栄養を補給しなければ人間ら しい生育を遂げることができないし、成人に達したのちにも人間としての諸活動を推進 してゆくことが困難となるからである。
  そこで人間は食欲を満たすために必要な行動を起こすことになる。食欲を満たすため には摂食できる食物を入手しなければならない。そこで「生活体」としての人間は食欲 を満足させることができる食物の獲得という「目標」に向かって行動を起こすことにな る。
 まず自然界に存在するサクランボ、ブドウ、ヤシの実、バナナ、魚類、山鳥、山兎など の「天然果実」の獲得にとりかかる。
 しかし天然に存在するものだけでは満足できない場合には自然界に存在する植物や動物 を改良して、よりすぐれた食料を生産することになる。米麦、果物、野菜などの栽培に はじまり魚類の養殖、牛や豚、鶏の飼育から科学的技術を駆使した加工食品の製造にい たるまで人間はその知能を発揮してきた。
  人間は空腹になると「食欲」が起こり、その「欲求」を満たすために食物という「目 標」に向かって行動を展開する。その行動によって食物という「目標」に辿りつけば、 それを摂取し、「食欲」という「欲求」は満たされ、ひとまず食物の獲得という「目  標」に向けられた「心的緊張」は解消され、「生活体」としてのわれわれは心理的に安 定した状態になる。
  このような「食欲」は人間として生まれながらにして備わる本能にもとづくものと考 えられている。
3 食欲が満たされて満腹になったり、疲れてきたりすると、人間は眠気に襲われること がある。そうなると欠伸がたてつづけにでてきたりする。このため電車のなかでも、病 院の待合室でも、勤務中の事務所でも、重大事件を審理している法廷においてさえも、 国会で首相が施政方針演説をしている最中でも、眠気を押えることができずに、たまら なくなって、こっくりこっくり船漕ぎ運動をしてしまうことにもなりかねない。
  このように人間は「睡眠欲」という欲求を満たすために、眠気がしてくる度に仮眠を とったりする。それだけではなく人間は明日への活力を蓄えるため日常生活のスジュー ルのなかに一定時間を睡眠時間として組み込み、纏まった時間の睡眠をとることにより 「睡眠欲」を満足させるのが通例である。
4  そうした「食欲」や「睡眠欲」のほかに人間には、その子孫を残すため生来の本能 として「性欲」が備わっている。
 この本来的な側面における性欲にもとづく「性行動」は、雌と牡が交尾して子孫を残す という動物のそれと共通しているともいえよう。しかし「人間の性行動」は単に子孫を 残すためだけではない。子孫を残すという本来の性行動とは異なり「性欲」を快楽原理 のなかに置き換え、性行為によるオーガズムなどの快楽をエンジョイすることのみを直 接の「目標」とした性行動がみられる。この点が人間の性行動の特徴である。
  フリーセックスという価値観が台頭してきた現代人の性行動は、子孫を残すためとい う本能にもとづく「性欲」の満足という側面よりも、「快楽原理」に依拠する「快感を 求める性欲」の満足に主眼がおかれているともいえよう。
5 美しい星といわれる地球上に生存しているわれわれ人間に備わった「食欲」・「睡眠 欲」・「性欲」のうち、本書では「性欲」にかかわる人間の「性行動」を科学的に分析 し、その科学的研究を新たな学問分野として体系化してゆくことになるであろう。
 この試みは700年以上の歴史を有する「心理学の最先端」に位置づけるものだからい わば「特殊心理学」ともいえよう。


○ 610号室
   花園弁護士がベッドの上に起きあがり藤原教授の原稿に読み耽(ふけ)っている。
「この原稿はたしかにエッチブックでもなければ、エロ本でもない。科学的に体系化された学術書として評価されてよい」
 花園弁護士はうっと背伸びをした。
「心理学者としては定評のある藤原らしい発想だ」
 花園はベッドから降りてスリッパをつっかける。
「トイレにいってこよう」
 呟きながら彼は610号室から廊下へ消えてゆく。
○ 武蔵野の一角
  モノレールを3両連結の電車がゆっくり走行してゆく。
  JR中央線を10両連結の快速電車が急スピードではしりつづける。

○ 610号室
  花園弁護士がもどってくる。
  ベッド脇のテーブルに載せてあった冷たくなったお茶をすする。
  花園はベッドにあがる。
  ベッド専用テーブルのうえに広げた藤原教授の原稿を捲る。
「ええと、こんどは第2節か。この節のサブタイトルは[性行動の源泉]だ」
「ここでは源泉というから原始人のはなしになるのかな。興味深々、よし読んでみよう」
 花園は視線を原稿にうつした。


              # 藤原教授の原稿 #


              第2節 性行動の源泉  
                ー性の本質をみてみましょうー

1 性行動の生物学的機能
  性行動は人間を含むすべての生物が「個体増殖」のためにもつ「生物学的機能」を有 する。
  ここに性行動の源泉は湧出する。この意味における性の本質は、遺伝子の修復と若返 りである。
          cf 遺伝子のミックスは修復の一方法にすぎない(団まりな)参照。
  いい換えれば性の本質は、からだを造る細胞に運命づけられた分裂回数の限界を突破 しリセットする仕組みである(団まりな)参照。
2 人間の性
 A 自然界における人間の性
   人間の性も「生物としての生殖」という営みである。
 B 文化社会における人間の性
   これは産業、経済、会社、官公庁、学術、医術、芸能、大学および下級教育の現場 など多様な「社会関係」や「権力関係」を形成する源泉である。
3 役割分担としての性
 A 「生む」ための性      
   この側面では「女性」がその役割を分担する。
 B 「生ませる」ための性
   この側面では「男性」がその役割を分担する。
   このように性は、人間社会において性差による役割分担を定め人間活動の活動分野 の区分を生みだしている。
4 三位一体の性
  このうな人間社会における「性の分野」においては、以下のような形で具体化され  る。
  A ジェンダー(生物学的意味における性差:男・女)
  B セクシャリテー(一般的には個人の性的指向をいう)
   a  ヘテロセクシャル
    異性を愛するセックスに傾斜する「性的指向」をいう。
   b ホモセクシャル
    同性を愛するセックスに傾斜する「性的指向」をいう。
   c バイセクシャル
    同性と異性の両方を愛するセックスに傾斜する「性的指向」をいう。
    このようにしてセクシャリテーは、異性愛・同性愛・単独愛(マスターベーショ    ン)という形で具体化される。
  C セックス(狭義の性行動:性交)
   人間社会における「性」は、このようにABCと三位一体という体制で語りつづけ られてきた。

○ 610号室

 花園は藤原教授の原稿に溶け込んでいる。
 彼は、ふうっと深いため息を吐く。
「メンシェンの世界における性的指向にホモセクシャルがあることは識(し)っていたが、そのほかのことはよく考えたことがない」
 花園は腕を組んで考え込む。
「バイセクシャルとかホモセクシャルというセクシャリテーは、いわば少数派だからマイノリテーといえるが、ヘテロセクシャルは、異性を愛するというごく普通の人間だから多数派のマジョリテーというわけだ」
「それにしても[生ませる性]と[生む性]とは当たり前のことのようでよく区別したもんだ」
「三位一体という表現は人間の性生活をいっそう芳醇にするために大切な発想だ。藤原もさすが一流の心理学者だけのことはある」
 花園は深いため息を吐いた。 
「こんどの第3節だが。[性規範の変容]となっている。いくらか法律臭くなってきたな」
 花園は原稿に手をかける。


               # 藤原教授の原稿 #


               第3節 性規範の変容
                    −フリーセックスの時代−

1 性行動に対する法的規制
 A 人間の性行動にかかわる法的規制としては刑罰法規の基本法とされる刑法の規定が  ある。
  a 「個人的法益」に対する犯罪としては強姦罪や強制猥褻罪などの処罰規定により   「性的自由」など個人の法益を保護している。
  b これに対し「社会的法益」を保護するため公然猥褻罪などの処罰規定をおいてい   る。しかしこの側面における犯罪は「被害者なき犯罪」ともいわれ、その存在理    由が問われるようになった。
   そのうえ「性行為の非公然性」という規範意識も希薄化している。
 B 取締法規による法的規制
   売春禁止法、風俗営業その他の取り締まりに関する取締法規による法的規制も存在  するが、その運用は緩和傾向にある。
2 規範意識の希薄化
  現代における価値観の多様化傾向にともない「性規範意識」は希薄化しているともい えよう。
  とりわけインターネットの普及にともなう出逢い系サイトなどの氾濫などにより「相 手方選択の自由」は拡大化されている実情である。
   今後もフリーセックスという価値観はさらに浸透してゆくことになろう。
  性行為における「相手方選択の自由」は、憲法解釈論としては「幸福追求権」の一内 容として保障されると解する余地もありえないわけではない。

○ 610号室

  花園弁護士が藤原教授の原稿に読み耽っている。
  花園は腕を組んで呟いた。
「たしかに価値観の多様化により性規範意識には変容がみられる。」
「性についての表現となればすぐにエッチの衣を着せてしまう。という従来の哲学は考えあおす必要があるかもしれない」
「古い哲学は放棄して性行為の非公然性を見直す時代に接近しているようにおもわれなくもない。もう一度、原始人の時代へとタイムトンネルをくぐる
のもよかろう。それこそ丸裸だったホモ族の真の姿ともいえよう」
 花園はベッドに寝そべり天井をみつめた。


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