第二章
八
卒業式で卒業証書を受け取った時点を「卒業」と言うなら、康彦は小学校を卒業していないことになる。卒業式は三月二十二日水曜日だったが、一週間前の十五日、康彦は安物の赭茶色ファイバーのトランク一つを提げて吉川に連れられ、省線駅の東側踏切を渡り、高台にある陸軍師団本営に通じる坂道の途中の石田時計店へ行った。 「今年はもう間に合わないが、来年の新学期から夜学へ通わせてもらえるよう頼んであるから」 吉川は五日前にも、二日前にも、その日家を出るときも言った。みんなより一年遅れるけど、仕方ない、と康彦は思った。 坂なので斜めに道路が走り、三段の階段は坂の上から来るとそのまま上段から店に入れるが、店の中央へは二段のコンクリートを登らねばならない、重みのありそうな素通しの硝子戸に金文字で「石田時計店」と記されている。店の中には腰の高さのショーケースが鍵型に配置され、のど仏が大きく突き出た老人が正面に坐っていた。 「ああ、この子かい。うん、よさそうだ。ま、お茶でも」 お前はちょっとここで、と客用の丸椅子に康彦を残し、老人と吉川は奥の部屋へ入っていった。 康彦は店内を見回した。さして広くもない店だが正面の壁にさまざまな形の柱時計が並んでいる。 数えてみると二十二個ある。どれも同じように振り子が動いている。振りの大きさや動きは不揃いだが、みんな、まるで生き物のように見える。針の位置もわずかづつ違っていて、「俺は俺だ、おめえらとは違うぞ」と言ってるようだ。 「じゃまあ、よろしくお願いしますよ」 吉川が先に、後から老人が出てきた。 「ご主人のおっしゃることをよく聴いて、ちゃんと仕事を教えていただくんだよ。きちんとしなければだめだよ」 言い残して吉川は、小腰を屈めて出て行った。 「ちぇ床屋にもいってねぇのか、あのぼさぼさ頭は」 主人は立ち去った吉川をそう言った。 「康彦と言ったな。呼びにくいから、ヤスオと呼ぶぞ、そっちから上がって、ここへ坐れ」 鍵型に曲がった、ショーウインドウの裏側の場所を顎で示す。 「はい」 康彦はさっき吉川が上がった所からトランクを提げて主人の後ろを通った。畳一枚が敷いてあり、ショーケースの手前に巾の狭い仕事机。背後は窓になっていた。 「ああ、そのトランクはそこの板戸の中に入れて、そう、布団があるだろう、トランクは布団の下にするんだ。お前が寝る布団だからな。ここがお前の寝る場所だ」 畳一枚の広さに布団がちゃんと敷けるだろうか、と康彦は思ったが、ひとつひとつに「はい」と答えた。 夕飯のとき初めて奥の部屋へ入り、思ったより狭いなと思った。八畳に南は窓、北は一間の押し入れに階段、東が一坪の台所と一間の廊下があり、廊下の北から東へ突き出して便所。便所に向きあって二階への階段がある。家族は五人、老夫婦と、「倅だ」と二人の男を紹介された。 一人は二十一か二か、大工仕事が好きで棟梁の家へ住み込んでいる。もう一人は中学四年で銀行員を目指しているそうだ。 五人、と言われたので康彦は妙に思った。 「今夜は長男がいないが」と主人は言葉を濁した。 食事がすむと次男と言われた男は帰って行った。 夜十時に店を閉める。 まずウインドウに雨戸をはめ込み、店の雨戸四枚を閉める。 主人はウインドウに飾ってあった腕時計を天鵞絨貼りのケースごと手提げ金庫に収める。ケースは三個あった。一個のケースに十二個の時計が入っている。うち一つのケースには金側も入っていた。手提げ金庫は主人が持って、そのまま二階へ上がる。 店を閉めてから「風呂へ入れ」と言われた。 チクタクチクタクという柱時計の音でなかなか寝就かれなかった。十一時・十二時、ボーンボーンと二十二個の時を打つ音が重なり合い、眠るどころではなくなった。 これから毎晩、こんな音響の中で過ごすのか、と冴えた眼を闇に漂わせた。 八時に店を開ける、と聞いていたが、六時に起こされた。 台所の水瓶がいっぱいになるまで下の井戸から水を運べ、とおかみさんが言う。七メートルほど離れた裏木戸を開けると六段の石段があり、下の砂利道の向こう側に手押しポンプの井戸があった。 顔を洗うとすぐ、店の雨戸を開け、ウインドウの雨戸もはずした。店の三和土を掃き出し、前の道路を脇の砂利道まで掃いた。ショーケースや客用の丸椅子や上がり框やケースの腰板まで雑巾がけをした。それらは前日に聞いてメモしていたのだった。 おかみさんが階段の下から朝飯を報せると、どかどかと中学四年の三男が駆け下り、主人が手提げ金庫を抱えてゆっくり下りて、店へ来た。 「あれ、ウインドウを開けちまったのかい」 いかつい目付きで康彦を顧みる。 何か落ち度があったか、と康彦はメモを見る。 「空っぽのウインドウ開けてどうするんだよ。通る人が変に思うだろう、みっともない」 あ、そういうことか、と康彦は思った。 「店番がいないと困るから、おまえは後で食え」 ウインドウに時計のケースを並べると、主人はそう言い残して奥へ行った。 三男が慌ただしく鞄を肩にし框の下から靴を出すと、そばにあった客用丸椅子を「こんなとこに置きやがって」と蹴飛ばして出て行った。 康彦は急いで椅子を起こす。 「めし喰ってこい」と言われて奥の間へ行った。 おかみさんが、その年頃の老婆に共通の、ぶよぶよ太った身体で丸い卓袱台に肘をついていた。 「お前のはあっちだよ」 右手で台所を示す。 上げ蓋にじかに丸い盆が置いてあり、丼のご飯とみそ汁の椀と沢庵の小皿が載せてある。 板の上に正座するのは初めてだった。 正座そのものを、めったにしたことがない。ご飯もみそ汁も冷めていた。 食べ終わって食器を洗うと「これも下げて」と卓袱台に手をひろげてみせる。三人の食器が乱雑に散らばっていた。 まとめて流しへ運ぶ。釜も鍋も洗えと言われた。終わって店へ出ると、 「めし喰うのに何時間かかるんだい」腕時計の裏蓋を上げて覗いていた顔を向け、拡大鏡を瞼からはずして主人は睨んだ。 康彦は抗弁しようとしたが、黙って俯いた。もう九時を過ぎている。通行人が増えていた。兵隊や将校が多い。 昼食後、洗い物を終えて一息いれる間もなく、風呂の水汲みを言われた。終わると三時半だった。ウインドウの白いカーテンを下ろせ、と言われた。西日があたるのだ。 「何やらしても、もたもたしてやがるなあ」帰ってきた三男が、おやつを喰いながら言う。 ぞろりとした黒い着物に羽織、ポマードで七三に別け、金縁眼鏡ののっぺりした男が入って来た。 「どこへ行ってたの…」とおろおろ声のおかみさん。 「ちぇっ、遊んでばかりいやがって…」のど仏の両側に深い皺を彫り込んで、主人が吐き出すように呟く。それが長男だという。半纏姿の次男も来た。 酒盛りにでもなったのだろうか、にぎやかな声が奥から漏れる。これで家族五人が揃ったわけか、夜学へ通わせてもらうまで一年、こういう生活が続くわけだ。店で康彦はそんなことを漫然と思っていた。
十日ほど経った日曜日、兵隊の街では日曜はかきいれだった。突然、積田先生が訪ねてきた。 自転車で来た先生は店へ入ると、小学校の担任であったことを告げ「添島を、ちょっといいですか」と主人に言った。 「え、ああ」教師と聞いて主人は曖昧な声で承知した。 「どうだ、辛抱できそうか」外へ出ると先生は自転車を押しながら言う。 「ええ、どうにか」 「今年は間に合わなかったが、来年夜学に行かせてもらえるんだろう」 「はい」 「うん、若いうちの一年ぐらいはどうにでも取り戻せるから」 「はい」 「これはね、卒業写真と卒業証書」 「あの、写真の方は…」 「お金はいいんだ。先生からの記念」 康彦は言葉が出なかった。 「さあ、遅くなって叱られるといけない、一所懸命、頑張りなさい。何かあったら相談に来なさい。いつでもいい、学校には必ずいるから」 「ありがとうございます」 そんな言葉を前にも聞いたことがある。五年から六年になって、学級編成の組み替えのときだった。クラスは四つ、一組と三組が男子で、一組は五十二名と最も多く、高等小学校に進む組。 三組は四十一名だが、中等学校への進学クラスだった。 中学を目指す者が最も多く、商業・工業がそれに次ぎ、師範学校。幼年学校の順になっていた。が、そのどれにも進まず、高小にも行かない、就職生(奉公に出る。あるいは家業に就く)は康彦を含めて三名しかいなかった。 三人は積田先生の進学クラスが預かる形になった。 進学クラスは、小学六年の通常授業を終えると、二時間の特訓授業を行う。 「きみはみんなと一緒に残って勉強しなさい。いまは進学できないと言ってても、いつ事情が変わって、行けるようになるか判らないのだから…、初めから諦めてはだめだ」 他の二人は通常授業が終わると帰ってしまったが、康彦は残った。学習用ドリルなどは先生が教師用を貸してくれた。そうして成績はいつも一番か二番だった。三番に下ることはなかった。 が、康彦の心に五年生までは感じたことのないものが頭をもたげた。いくら成績を上げても、自分は進学できないのだ。事情が変わるかもしれないと先生は言うが、変わろう筈はない。成績が何だ、順位などなんだ。進学出来なけりゃ意味無いじゃないか。
九
「ジョチュッコ」というのが「女中の子」だと判るまでに、たいして時間は掛からなかった。 母が添島の家に女中に来たのが先か、母の実家が北洋の漁業権を買い取る資金、四千円を借りたのが先か判らないが、北海道の漁村から添島の家に女中として上京し、二年後に康彦が生まれた、母二十一歳のときだ、と、母と三歳しか歳の違わぬ姉は話した。 康彦は父親に認知され庶子ということになったが、永患いだった姉の母はその二年後に死んだ。 その後も康彦の母は女中とも主婦ともつかぬかたちでずっと家に居続けた、と、姉の千枝は口を歪めて話した。 東京下町でだるま船八艘を持つ回漕業を営んでいた父は、康彦が小学校に入る前に死んだ。姉の母と同じ病気だった。親族会議で父の実家(代々、富山の廻船問屋)の伯父が、荒っぽい船頭を女手で扱うのは無理だと結論づけ、家業は人手に渡し、遺産は姉娘千枝が相続、康彦には母の実家に貸した四千円を相続させる。 康彦の母には遺言がない以上権利はない、と決めつけられた。 もちろんそれは姉の話である。康彦がその場に居合わせたとしても、話の内容も意味も判ろうはずはなかった。 千円あれば家が建つ、と言われていた。 家業の資産と同業者に融資した金、株・債権など合わせると弐万円とも弐万五千ともいわれたが、実際の金額は姉にしか判らない。 姉は高等女学校を卒業後、ずっと父の回漕店の経理を担当していた。 廃業後、姉は横浜の郊外に土地を買い、家作八軒を建てて家主となり結婚した。相手は海運会社の勤め人で、仕事の関係で昵懇であり、意中の人だったようだ。 人手に渡ってしまった家に住み続けることはできず、母は康彦の手をひいて実家へ戻った。唯一の遺産、四千円の利息だけでも、と考えたかもしれない。が、実家はすでに代が変わっていた。母の姉が婿を迎え、三人の子がいた。姉妹は仲がよくなかった。貧しい漁師の家であったからか、姉ひとり残って妹は何かの形で外へ出す。 売られないだけでも幸せだったというべきかもしれない。だが実質は売られたも同然か…。母の犠牲で漁業権は持ったものの、姉の代になってみると「そんなもん、知んねえ」で押し通す。 口争いの末、東京へ舞い戻ることになる。駅まで追ってきた婿さんが「そのうち何とかすっから」と言うのも気休めにしか聞こえなかった。 昔、添島の家で船頭をしていた久野という老夫婦が葛飾に住んでいた。そこへ康彦を預け母は働きに出ることになる。 母は漁村育ちの二十七歳。手に職はなく、水商売に入るより方途はなかった。 康彦は久野夫婦の家から小学校に通う。 久野夫婦はよい人で、何より恩義に篤い人だった。が、何分にも年寄りだったし、夫の方は重度の喘息を病んでいた。二年後、康彦三年生のとき、久野夫婦は山の手に住む息子夫婦に引き取られて行った。 途方に暮れた母は、仲居をしている中山の料亭近くに小さな家を借り、そこから通うことにした。しかし、通いというのは人を減らすとき最初の標的になりやすい。 職を失った母は、伝手を頼って千葉の料亭へ行った。 家には婆やを雇い、月に一度戻って婆やの給金と生活費を持ってくる。そんな生活は一年も保たない。 困り果てたある日、康彦は横浜の姉を訪ねた。初めての土地、初めての旅でもあった。 さんざんに罵られ、「ジョチュッコ」と蔑まれ「二度と来ないでね」と帰りの電車賃を渡された。 康彦はそれを玄関の式台へ置いたまま帰ってきた。 もう、二度と来るもんか。死ぬほどのことがあっても来ない。そう思った。 母が周旋屋の吉川に相談すると「うちで預かろう」という話になった。 五年生になると同時に康彦は千葉の吉川の家に移り、転校した。担任が、積田先生だった。 吉川の家は玄関に面した部屋が六畳で、その横に八畳間があり、玄関から見て突き当たりが三畳だった。 その三畳に母の箪笥とつづらを置き、つづらを勉強机の替わりにし、寝起きもその部屋だった。 周旋屋というのがどんな仕事なのか康彦には見当もつかなかったが、六畳に二・三人の男が集まり、桁の大きな数字ばかりの話をして、ときに「やまが当たった」と大盤振る舞いすることがあったものの、概してほとんどの日は貧しい生活だった。奥さんとまだ就学前の女の子がいたが、奥さんは万事に控えめな人だった、 母は落花生の産地という街へ行って働き、一年分の養育費を前払い、あとの一年は仕送りするという約束だった。一年過ぎて康彦が六年生になった頃は、仕送りは滞りがちとなり。進学の話などできる状態ではなかった。
十
腕時計の防水カバーというのが兵隊さんの間で評判になった。 兵隊は雨でも傘はささない。長靴も履かない。 濡れた衣服は着替えればいいし、乾かせばすむ。でも腕時計は微量な湿気が入り込んだだけで工合悪くなる。 そういう時計は側と文字盤をはずし、シャーレの中で揮発油に浸し、乾燥して潤滑油をさしなおす。重症の場合は分解掃除をすることになる。錆でも出ていたら部品交換か、それでも直らないことがある。そういう作業は全部主人がやっていた。辛うじて、防水カバーの取り付けを康彦が任された。防水カバーはセルロイド製で、バンド部分を除いた時計本体をすっぽりと覆ってしまう形になっていた。はじめ業者が、試しに置いてくれ、と言って一ダースの箱を無理に押しつけて行ったものだった。三日も経たないうちに一ダースは売り切れてしまった。主人は業者が置いていった名刺を出し「三ダース仕入れてこい」と康彦に命じた。 新宿(にいじゅく)町…あれ、通っていた小学校の近くじゃないか。半年ぶりの街を康彦は自転車で走った。 訪ね当てたところは、線路沿いの道から狭い路地へ入って更に曲がった路にある長屋の三軒目だった。 二年も住んでいた街だったが、こんな処にこんな長屋があるとは知らなかった。 声を掛けると、よれよれのジャンパーを着た男が出てきた。店に来たときは背広だったので、はじめは別人かと思った。 用件を言うと「売れますか」と真顔で訊いた。 売れたから来たんじゃないか、と思ったが「はい」と答えた。 三ダース、と聞いて男は「実はいま、ここには無いんです、工場が本所なもんで、明日届けますが」 「そこでは同じものを大量につくってるんですか」 「いや、あれはまだ試作なんです。売れるかどうか、自信がなかったもんで」 「じゃ、明日行ってから作るんですね」 「今から公衆電話で連絡しますから」 「多分、あのままだと後で苦情が出ると思いますよ」 「え!」 「取り付けは主人でなく、わたしが担当してまして、それで気が付いたんですが、あのままだと竜頭を巻くときいちいち外さなければなりません」 男は奥へ行って自分の時計を持ってきた。 「この竜頭の部分、下のケースを削って竜頭を外に出したらどうでしょう、その分上から被せる量を深くして竜頭を完全に被せる」 「なるほど、それなら付けたまま竜頭が巻けますね。判りました、そのように連絡します」
冬になると、畳一枚の広さでは薄い布団のどこかが持ち上がり、冷たい夜気が這い込んで寒かった。加えて間断なく響くチクタクの音。時を告げる音響。やっと眠ったと思うともう朝で、六時には起こされて水汲み。素足に水がかかり、踵の傷に凍みる。 師走も下旬になっていた。 朝食をすませ流しで洗い物をしているとき主人が厠に入った。そのわずかな隙だった。店に戻った主人が慌てた様子で炬燵の上の卓袱台に手を伸ばしているおかみさんに「健作(長男)はどこだ」と鋭い声をあげた。 「二階じゃないの」とおかみさん。 主人はどたどたと二階へ上がり、すぐに下りてきた。「いないじゃないか」 「じゃ、出かけたんかね」 「無いんだ。修理で預かった客の時計、十八金のが二個」 「どっか置き忘れてんじゃないの。ヤスオ、お前知らないかい」 「いえ知りません」 腕時計には兵隊の防水ケースを取り付けるとき以外触ったこともない。しかも取り付けは客の目の前でやっている。 「金庫に入れといたんだ」 「健作が盗ったっていうの」 主人はおかみさんの言葉にけりをつけたか、康彦に眼をむけた。 「すぐ、自転車で追いかけろ。洗い物なんか後でいい」 「はい、どっちへ?」 「どこでもいいから早く」と主人は本気で怒鳴った。 逃げた先を知らず、あてもなく走っても偶然が幸いしない限り探すことは無駄だった。康彦は途中で嫌気がさし、一時間ほどで店に戻った。 「判りません」 「ちっ、役にたたねえ小僧だ」 主人は手提げ金庫をがさがささせ、一枚の紙切れを出した。角を丸く落とした、一回り小振りな名刺だった。 …松むら こすみ… 「ここへ行って聞いてみろ」 「これ、どこなんですか。住所が無いですけど」 「蓮池に決まってるだろう」 「何屋なんですか」 「そんなこと判るか、誰かに聞いて、行ってこい」 やむを得ず交番で聞いた。 「こりゃあ置屋だよ」 「置屋?」 「置屋ってな、芸者を抱えてる家だ。ここに用があるのか」 「はい、人を探してるんです」 「人って女か」 「いえ、男です」 「そりゃだめだ。置屋には男は泊めない。だいいちこの時間じゃまだ起きてないだろう」 教わった場所に確かに松むらはあった。 看板などはなく、玄関の上の白く丸い門灯に「まつむら」と書かれただけの構えだった。格子戸には鍵が掛かっており叩いても返事はない。 横の木戸から若い娘が顔を出した。じみな矢絣にたすき前掛け。これが芸者?、芸者の卵か?、それにしても…どことなく田舎娘という感じだ。 「なんですか」 「あの、こすみさんて」 「こすみ姉さん?、まだ起きてないけど、なんか用?」 「あの、石田健作。いませんか?」 「さあ、いないけど、男の人は旦那と箱屋さんしかいませんよ」 「どこにいるか、ご存じじゃないでしょうか」 「さあ、表向きのことはわたしには…」 「いえ、こすみさんが…」 「だめですよ、いま起こしたりしたら叱られちゃう」 「そうですか。あなたは?」 「わたし?、わたしはさんちゃん。おさんどんなのよ」 赤い頬でにっと笑う。
「バカヤロー、どうして蓮池、片っ端から捜さないんだ」 「蓮池も通って来ましたけど、まだ門がしまってて」 「たたき起こしてでも聞いてこなかったのか」 「わたしには無理です」 「何が無理だ、手前、言いつけがきけねえのか」 「午後にまた行ってみますから…」 主人はぷいと横を向いてしまった。 蓮池には、用水なのかどぶ川なのか判らないが一間幅の川が流れている。川岸に沿って黒板塀を廻らせ、塀の切れ目に木橋が架かっている。それが四カ所あった。康彦は一つ一つ橋を渡って中へ入り、脇の木戸から勝手口へまわって仲居さんとおぼしい人に聞いてみた。 四軒とも、知らない、という返事だった。母さんもああいうふうな仕事してるんだろうか、落花生の産地という街はどんなふうだろう、と康彦は思った。 もう一度、松むらへ行ってみた。脇の木戸を入り、井戸端にいた「さんちゃん」に今朝と同じことを頼んだ。「こすみ」という人は、名刺から受ける感じの美人ではなかった。おしろい焼け、というのだろうか、素顔は薄黒く、砂地のような肌をしていた。 「ああ、時計屋のバカ息子ね」と「こすみ」は言った。 「ここんとこご無沙汰よ、なんでも新地のカフエに入り浸りって聞いたわ」 「そのカフエは、何ていう…」 「そこまで知らないよ。大した客じゃないんだ石田なんか」
「新地だと」と主人は痩せたわりに大きな眼をぎろりと向けた。 「なんていうカフエだ」 「そこまでは判らない、と言ってました」 「なんでちゃんと訊いてこないんだ。役にたたねえな」 「ですから、訊いたんです。そしたら、知らないと…」「もう、いい」 下校した三男に、探しに行くようにと主人は言った。 「やだよ俺、新地なんかうろついてるの見つかると、それだけで操行成績、パーだよ」 「ちぇ、どいつもこいつも…」 あとは口の中で呟き、主人は拡大鏡を瞼につける。 がすぐ向き直って「ヤスオ、もう一度行ってくれ。新地のカフエ一軒一軒あたって…」 「はい」と康彦は立った。夕飯前だった。 カフエはドアが狭く、開けただけでは中が見通せない。その上大きな鉢植えなどを目隠し代わりに置いてある。 照明も暗く、ボックス席に人の気配は感じても見分けがつかない。 ドアを開けただけで「いらっしゃーい」と化粧品とアルコールとたばこの混じった匂いの女が席を立ってくる。用件を聞くと「知らないよ、そんな人」と、突き放した声をたてる。 「石田健作?、ああ、イシさんのことかい」四軒目の店でやっとそういう言葉が聞けた。 「イシさんは麗子と…、あ、麗子、今日休んでる…」 「その、麗子さんの住まいはどこでしょうか」 「あんた、誰なの?、イシさんとどういう関係」 女は急に声を低くして訊く。 「わたしは石田時計店の小僧です。どうしても仕事のことで聞きたいことがありまして」 「寒川のアパート、表札は、粂田ふで、って言うの、わたしから聞いたって言わないでね」 もう夜も遅くなっていた。 自転車のランプを外してアパートの階段を照らしながら上がった。木造で、どんなに静かにしようとしても下駄では跫音がたつ。 三つ目の扉に「粂田ふで」の小さな文字を探し当てた。 ノックする。一度・二度・三度、やっと扉が細く開けられ、女の顔がのぞいた。 「誰?」康彦は足元の方を見た。見覚えのある雪駄。 「石田時計店の小僧です。若旦那にちょっと」 「イシさん。小僧さんよ。若旦那だってさ、ワカダンナ」 女は振り向いて言う。 「なんだ、誰に聞いてきたんだ」 下着姿の健作が不機嫌な声と共に出てきた。眼鏡は外している。 「あの、金庫にあった時計のことで…」 「金庫の、そんなの知らねーぞ」 「でもわたし、このままでは帰れません。もし、ほんとにご存じないのでしたら、一緒にいますぐ帰ってください。でなければ警察に届けるしかありません」 健作は黙って康彦の顔を見ていたが、奥へ戻ると財布から二枚の紙片を出してきた。 「ここへ行きゃあるから、親父にそう言え」 康彦の胸を圧して扉をしめた。質札だった。
十一
正月は三日まで休みだったが、水汲みだけはやらされた。小遣いは元日の朝、お年玉として一円貰った。毎月の小遣いは二円だったが、お年玉はそれとは別だった。 三日間、康彦は身体をもてあました。街はほとんどの店が閉まっていて深閑としていたが、神社の境内は参詣人が絶えず、活動写真館はどこも満員札止めだった。所在なく康彦は私鉄の終点駅へ向かう路に自転車を走らせた。繁華街を抜けると街はひっそりと息をひそめている。 雨戸を立てていても中は家族や訪問客で暖かく賑やかなんだろうな、と思った。 遠く、制服制帽の中学生、近づくと小学校で同級の小出祐介だった。 おう、おう、と同時に声を掛け合い。康彦は自転車を下りた。祐介の帽子の白線が眩しかった。 「お前、夜間部に行くんだろ。積田先生から聞いたぞ」「うん、そのつもりだ」 「準備してるのか。一緒に受験して落ちたの二人いるけど、夜、積田先生のとこへ通って猛勉の最中だ。お前大丈夫か、もっとも、お前は出来たからなあ」 「そうでもないよ」と康彦は照れた。 「勉強はともかく、願書は一月の末には出さないとな、試験は二月だから」 「うん、判ってる。提出の方法や手続き、先生に聞きに行こうと思ってたんだ」 「俺んとこへくるか、親父は親戚と酒飲んでるが、俺の部屋なら大丈夫だ」 「いや、そろそろ帰らなくちゃ、風呂の水汲みなんだ」 「風呂の水?、お前、そんなことやらされてるの?」
正月も十五日を過ぎると街も人通りも平常と変わりなくなり、寒さだけがつのってくる。 「あの、夜学のことなんですけど」 三時のお茶をおかみさんが運んできて、主人が拡大鏡を瞼から外した頃合いを見計らって康彦は切りだした。 「夜学…。夜学がどうした」 主人は骨張った顔から目玉を光らせて康彦を見た。 「もうそろそろ願書を出す時期なんですが」 「何のことだ、誰が夜学に行く」 「わたしです。たしか、夜学に通わせて頂けるって…」 「知らんぞ。そんな話は聞いてもいない」 「あの、吉川さんから…」 康彦は慌てて言ったが、言葉が続かなかった。 「吉川にはね、五年間奉公するって約束で百五十円払ったんだ。夜学なんてとんでもない」 「でも、それじゃ話が違います」 「何が違う」 主人は噛みつくような表情で手提げ金庫の底から封筒を取り出し、紙片を出して見せた。 念書、と書いてある。五年間、と書いてある。百五十円、と書いてある。だが「夜学」の文字はどこにも見当たらない。康彦は奈落へ突き落とされた感じがした。 二日後、思いあまった康彦は昼食後、ちょっと出かけます、と主人に言った。 「どこへ行くんだ」と言う主人の言葉を後に自転車に乗って小学校へ向かった。 授業中だったので職員室で待たせて貰い、戻ってきた積田先生に逐一話した。授業の終了は三時だった。積田先生は今年は五年生を担当していた。 先生と連れだって時計店へ戻る。 主人は先生にも「念書」を見せ、夜学などへ通わせる気はない、と言い張った。先生は言葉を尽くしてくれたが、主人は頑として応じなかった。 「嫌なら辞めたらどうだ。ただし百五十円は、いまこの場で返して貰おう」 翌日、二人で吉川の家へ行った。 「話はしたんだよ。約束じゃないけど、話はした。お願いだな。だから夜学に通わせる通わせない、は、先方の都合次第ってことじゃないのかな」と吉川はうそぶく。 百五十円に話が及ぶと「俺は周旋屋だからね、人でも物でも土地でも建物でも、頼まれれば世話して口銭とる、それが俺の商売なんだ。その上この康彦の母親は、毎月払うはずのものを半年も溜めたんだ」 話はそこまでだった。それ以上押す手だてはなく、先生は職員室の机から講義録のパンフレットを出した。発売元が印刷されてある。 「まだ諦めるんじゃないぞ」と先生は渡してくれた。 講義録は三月に届いた。一年生の全科目が揃っている。夜、店を閉めた後、仕事机のスタンドを枕元に置き、腹這いになって読み始めた。読んでいるだけではおぼつかないので、鉛筆とノートを買ってきて要点を筆記した。図も書いた。演算もした。十二時の音を聞くまでやった。 が二週間ほど後、店を閉め風呂の掃除を済ませて三十分経った頃に突然ライトが消えた。しかし翌朝には点く。 次ぎの夜も十時半に消える。翌朝は点く。 朝、水汲みをしている時に三男が起きてきて台所の配電盤にある瀬戸物のスイッチボックスを押し込んでいるのを康彦は見た。 ああ、わざわざ勉強の邪魔をしてるんだな、と康彦ははじめて気づいた。 四月の半ば、康彦の母から主人宛に手紙が届いた。 「お前のお袋さんが再婚して所帯持ったんだとよ」 主人は半ば嘲るように言う。 だが手紙を見せようとはせず「それで一度帰らせてくれ、だと…、図に乗って」 康彦は黙って主人の顔を見ていた。 再婚というのはおかしい、自分を生んだときは女中だったし、父の死後は誰とも結婚はしていないはずだ。 「合間に帰すわけにはいかねえ、七月のお盆に行くからとお前から手紙出しとけ」
坂を下りきった踏切の東側、上り車線の外側に枕木二本の狭いホーム状のものに狭い階段をつけたものが新設された。何だろうとみな首をひねった。階段が付いているのだから人の乗降に使うのは間違いない。しかし駅からは五百メートルほどしか離れていない。 その頃、康彦は目覚まし時計の分解掃除など任されていた。そんなある日、師団本営の兵隊が二人、木製収納箱を二つ持ち込んだ。 「歩行計でありますが、動かないのや二歩・三歩で一つしか針が進まないのがあります。古い品ですから修理と分解掃除をお願いしたいのでありますが」 革ケースに入った弁当箱ほどの物を吊り下げ、上下に振るとカチッカチッと音がして針が動く。文字盤の桁が一〇〇までとなっていて、一〇〇になると短針が一つ進む、外見は置き時計と変わりなかった。 「ちょっと待ってくださいよ」主人は一個の蓋を開け、中を覗いてから、「判りました、やってみましょう」と引き受けた。 歩行計は二つの収納箱に計八〇個あった。分解掃除は康彦の仕事になった。修理を要する物は主人の仕事である。大きめのシャーレに揮発油を入れ、部品を浸す。柔らかいブラシを使って汚れを落とし、新聞紙に並べて乾かし、組み立て直して潤滑油を差す。 康彦は拡げた新聞紙を何気なく見た。求人欄である。 …冊子配達・夜学可・東京冊子回読会… 康彦はそのページを引き裂いて机の下へ置いた。主人の食事の隙にその広告だけを切り抜いて蟇口へ入れる。 作業は十日かかった。四〇個を収めた収納箱を自転車の荷掛けに載せたが、フラフラとハンドルを取られる。おまけに師団本営は坂の上だ。 一箱づつ二度運ばねばならない。自転車を押し歩いて師団本営の事務室まで届ける。 行ってみて眼を見張る光景に出会った。 師団本営は普段将校が多く、兵の数は少ない。ところが事務室の窓から見える練兵場には兵隊が群がっていた。みな背嚢を負いゲートルを巻き帯剣して分列行進などしている。何百人という数だ。いつの間に増えたのだろう。 二日後「明日、戦地へ向かう軍隊が汽車に乗るから、みんな小旗を振って店の前へ出て見送るように」という達しが町会長からもたらされた。 あの狭い仮設ホームから、背嚢を負いゲートルを巻き、帯剣し、銃を持った兵ががやがやと乗り込む。 「愛国婦人会」と染め抜いた襷をかけた一団や日の丸の小旗を振る小学生に送られ、悲鳴に似た汽笛の音を残して列車は西へ進んでいった。 一週間に一度の割で、仮設ホームから臨時列車は旅立っていった。どこへ向かうのか。杭州湾上陸・徐州占領・広東占領・武漢三鎮占領。と、皇軍の向かうところ敵なし、などと言われているのに、更に奥地へ戦線を延ばそうとするのだろうか。 旬日して判った。ノモンハンで、外蒙軍と日本の関東軍が武力衝突を起こしたのだった。
十二
落花生の産地という街の駅へ下りた。 木造の架線橋を大きな音させながら下駄で歩く。 駅前は広い土の広場だった。右側の、ポイント切り替えの小屋を隠す垣根の厚い葉が、陽光を反射してわずかな風に煌めいている。 「康彦!」 母だった。三年半ぶりの再会である。 仲居をしていたと聞いていたので派手な容姿を想像していたが、地味な、さっぱりした絣模様の着物を着ていた。 「時計屋はどうだい」 「うん」 辛いとは言えなかった。もちろん辛くないとも言えない。ただ夜学のことだけは話さなければならないと思う。吉川の百五十円も…。 五分もかからず家に着いた。三間間口の両側が下見板で、中四枚の曇りガラスの戸が開け放しになっていた。 「こんにちは」と康彦は敷居を跨いだ。 一間幅、間口全部が土間だった。畳敷きの上がり框が珍しかった。座敷正面の長火鉢に、初老の男がちんまりと坐っている。 「おお、来たんか、上がんね」これが母の「再婚」相手か、と康彦は思った。 「初めてお目にかかります。康彦です」正座して、両手をついた。 「うん、よく来たな、お茶でもやんな」母がお茶を淹れ、干菓子を出した。 次の間に女の客がいる。小さな卓袱台を前に団扇を遣いながら、にこにこと康彦を見ている。母より少し若く、あか抜けした女だ。義父の後ろに一尺幅の板が鴨居から敷居まで張ってあり、手回し式の電話機が取り付けられている。何の商売だろう、と康彦は思った。 ふと、電話機の下に黒ずんだ表札ほどの板が掛けてあるのを見た。細かい字は近寄らないと見えないが中央に大きく「牛馬商」の文字があり、左下に麻井巳之助、上中央に四角い焼き印が捺されているのが認められる。何かの鑑札であるのは間違いない。時計屋にも「中古品売買」の鑑札がある。だが「牛馬商」とは何だろう。と康彦は不思議に思った。 客が来た。母は次の間の女客の前にある卓袱台に干菓子と茶を移すと「康彦はこっちへ」言って客に新しく茶と菓子を出した。 康彦は女に挨拶した。 「あんたがきぬさんの坊やかい」と、女は笑顔で言う。きぬ、は母の名だった。 坊や、と言われて康彦は顔が火照るのを感じた。客に茶を出すと母も来て坐った。 「こちらはね、一緒に働いてたお店の香代さん、お店辞めて所帯持ったのも一緒なんだよ」 「よろしく」と香代さんはまた笑顔を作った。 「牛馬商ってなに?」康彦は一番の疑問を尋ねた。 「博労だよ。牛や馬の仲買をして、肉の問屋へ売る。今でも向こうに牛三頭、いるんだよ。他に豚も扱ってる」 母の指さす方に板塀があり、中ほどに木戸があった。塀の向こうに牛小屋だか馬小屋だかがあるらしい。 「いま来た人も馬方でね、おとっつぁんの買い付けた豚を籠に入れて馬車で運ぶんだよ」 「牛や馬もかい」 「いいや、牛は牛方、馬はおとっつぁんが乗ってくる」 ふと康彦は、母が夫である人を「おとっつぁん」と呼んでいることを奇異に感じた。このあたりの方言だろうか。 思えば母さんもぼくが幼いときから転々とし、そのたび言葉遣いも変わっていった。一緒に移り移りしていた頃には気づきもしなかったが、小学五年から三年ぶりに会ってみると、その変遷がはっきりと判る。もっとも、いま見る義父は「おとっつぁん」と呼ばれて少しもおかしくないほどの年齢差ではあるが。 「姐さん、また来る、きょうは坊やが来たから、親子でゆっくりして…」 「いいのよ、遠慮しないで…」 「また来るから…。ダンツクのツノもあるし」 「ぼくは売られたの?」 香代さんが義父と客に挨拶して帰ると、康彦は訊いた。 時計屋では「ぼく」という言い方を禁じられていたが、康彦は確かめておかねばならないことの一つを切り出した。 一瞬母は、何のことことか、という顔をした。 「五年の年期で、時計屋に売られたのかい」 「売っただなんて、そんなことあるわけないだろ」 「でも、時計屋には証文があるよ。それで吉川のところへ聞きに行ったんだ。そしたら周旋屋だから口銭取るのは当たり前だろう、それに母さんからの送金も溜まってたし、って言うんだ」 「その分は、おとっつぁんが出してくれて、吉川にはきちんと払ってある。口銭なんてことは聞いてもいないよ」 「でも、証文があるんだよ。吉川のところへは学校の先生も一緒に行ってくれたんだ」 「いったい、時計屋は吉川にいくら払ったんだい」 「百五十円」 母は憮然と唇を閉ざした。 「それに…」 康彦は母の顔色を窺った。何と言うだろう…。 「夜学へ通わせるって約束だったんだ。この正月にそのことを言ったら、そんなことは聞いてないって主人は…」 「時計屋だろうと何屋だろうと、夜学なんかに通わせるオタナなんてあるわけあんめえ」 馬方と話していた義父が振り向いて、少し離れた位置から言った。 「ひと通りの義務教育は受けさせたんだ」 急に、母は疳高く言う。 「牛にも馬にも蹴られないようにしてやったんだ」 「上の学校出たってな、おまえなんかせいぜい三百代言になるぐらいが関の山だ」 際限もない母の金属的な声に、康彦はじっと耐えた。 ある程度予想はしていたものの、実際に言われてみると哀しかった。暗澹とするばかりだった。 「まじめに働いて、きちんと年期を勤めれば、暖簾分けしてもらえるんだぞ」と義父。 そんなことを本気で思っているのだろうか…。
時計屋へは落花生の袋を一抱えも土産にした。 翌々日だった。使いに出された康彦は街で小出祐介に出会った。祐介は制服制帽、肩から鞄を下げていた。 立ち話で、夜学に行けなくなった経緯を話した。 そうして、回読会の広告を蟇口から出して見せた。 しばらく見ていた祐介は「夜逃げしちゃえよ」と言った。 「夜逃げ?」 「うん、夜逃げしてここへ行くんだ。今度の日曜にな、従兄の家で入営のお祝いに親戚集める。それで土曜日の午後から親父もお袋も出かけるんだ。お袋はお勝手の手伝いだから日曜の昼には帰ると言ってたが、親父は夕方まで飲み続けだろう。だから、日曜の朝早く夜逃げして俺んとこへ来い、朝だから夜逃げじゃないけどな、俺の部屋で様子見て、時間ずらして東京へ行け」
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