冬の夕暮は早い。電車から見える街々の光景はすっかり日暮れの顔をしていて、家路を急ぐ子どもたちの姿や母親が煮込むシチューの匂いも感じられる気がする。もちろん電車からの景色にはそんなものは見えもしないし、閉め切った窓からは匂いなど感じるわけもない。3時50分。約束の時間は4時だ。停車駅を前にスピードを落とす電車に揺られながら京子はきっと遅れてくるに違いない、と真知子は考えていた。京子と待ち合わせをして待たされなかったためしがない。4時と言えば4時15分が当たり前、「遅れてごめん」と彼女が口にするのは4時半を過ぎたときだ。 今日は出がけに隣の主婦につかまってしまった。回覧板を持ってきてくれたのは本当だろうが、きっと私が出掛けるのを見計らっていたに違いない。「あら、奥さんお出かけ?回覧板持ってきたのだけど、先にお隣に回しておきましょうか?」とさも親切そうに声をかけてくる。どんな手段を講じているのわからないが、彼女はいつも私が出掛けることを知っている。そして私が自由に外出するのを何かと邪魔をする。「でも、お出かけならやっぱり先に読んでいただく方がいいかもね。<至急>で回ってきているし。」そう言われて断るわけには行かず、回覧板を流し読みして、どこが至急なのかといぶかりながら、印鑑を取りに家の中に戻った。なぜ彼女がそういう行動に出るのかはさっぱり理解できない。私が在宅で仕事をしている時などは、決して邪魔をするようなこともないし、どちらかといえば礼儀正しく、心づかいもある隣人だと言える。回覧板を読み終えた真知子に、「お急ぎでしょ。私が次のお宅に回してあげるわ。」と待ち構えていてくれる親切心も持っているのだ。 そして、真知子は予定より出発が遅れてしまった。おかげで予定の電車より1本遅れてしまった。本来ならもう約束の場所に着いている時間だ。3時55分。師走の先を急ぐ人々に囲まれ、ホームを歩きながら真知子はメールを打っていた。「ごめんなさい。少し遅れると思うわ。」そう書きながらきっと京子はまだこの駅にすら着いていないだろうと考えていた。何度遅刻されても、どんなに待たされても、真知子はいつも京子との約束の時間に決められた場所に行く。それは、几帳面な性格からというのもあるが、今までかつて京子が遅れても自分は遅れたことはないという勝手な自己満足からかもしれない。万が一、自分が遅れたときに京子が先に来ていて、「真知子だって遅れるんだわ。」と思われることが許せないのだ。しかも、これまで20年、一度もそう思われたことはないのだから。いまさら逆の立場になるなどあり得ない。 20年、そういえば高校時代の京子は遅れてくることはなかったように思う。いつから彼女はああなってしまったのだろう。そんなことを考えながら歩いているとメールの着信音がした。京子からだ。きっと「私も遅れるわ」と書いてあるに違いない。そう思いながら手に持っていた携帯を開けてメールを読んだ。「わかった。待ってるわ」
京子はかれこれ30分以上ぼんやりと人々の流れを見ていた。待ち合わせによくつかわれるこの場所は噴水広場になっていて、噴水のまわりをぐるりと待ち人を探す人々が埋め尽くしている。駅から近く、広く円形のこの場所は交通の妨げになることもなく見通しもよいため万人がつかう「待ち合わせのメッカ」なのだ。親しい間柄の真知子との待ち合わせならば何もこんな誰もが使う、待ち合わせ場所として以外何のメリットもないところで待っていなくてもよいのではないかと、会うたびに思うのだが、いざ約束する段になれば「じゃ、いつものところね」で話がついてしまう気楽さで、やはりここを指定してしまうのだ。しかし、今日の京子はつくづくここで待ち合わせたことを後悔していた。まず、この噴水広場の周りは広く見通しはよいが、それはほかに何の施設もないことを意味している。駅のコンコースにつながる通路は人であふれているだけだし、ショッピングセンターにつながる通路は大きなエスカレータでふさがれている。この噴水を見通す場所には喫茶店ひとつないのだ。 京子は今日の待ち合わせをした電話を思い出していた。真知子に「4時よ。わかった?4時半じゃないんだからね。」と念を押された時に、ついむっとして「わかってるわよ。3時半から待ってればいいんでしょ。」と憎まれ口を叩いたのだ。確かにいつも自分が遅刻しているのだから、怒るのはお門違いだったのだが、真知子にそう言われるとつい反感をもってしまうのだ。それで3時半に来たかといえば、実はそうではない。その時の「3時半」という会話だけが記憶に残り、「待ち合わせは3時って言ったんだっけ?だから3時半じゃないって真知子は言ったのだわ。」と勘違いしたのだ。つまり京子は3時の待ち合わせのつもりで、やはり3時半にしか来れなかったのである。そして、3時半に来た時に、真知子がいないことに憮然とした。どれだけ遅れるのよ? しかし、しばらく待っても真知子が現れないので、だんだん不安になってしまった。そして約束の日にちと時間をもう一度よく思い出してみたら、4時だったことに気づいた。 そうなると、いつも遅刻をしている自分のために真知子が早めに来ることは考えられず、かといってこの場所を離れてお茶を飲みに行くほどの時間もない。そしてなにより最悪なのがこの「噴水広場」なわけだ。本当にただ「待っている」以外することがないのだ。京子は自分がいつも真知子を同じ目にあわせていることなど思い及びもせずに次回からは絶対に場所を変えようと心に決めていた。 道行く人を見ているのにも飽きてきて、もう真知子が来てもよいころだと思ったその時携帯のメール着信音が鳴った。開けてみると真知子からだ。遅れる?あの真知子が?何があったのかわからないが、少し、というのだからまぁ仕方ないだろう。今までこんなメールを送ってきたことがなかったから、今日まで真知子は一度も遅れずに来ていたのだろうか。私が遅れるだろうと思いながらも、きちんと時間には着いていたのかと思うとさすがに京子も少し気の毒に思えてきた。返信は長くしては迷惑だ。「わかった。待ってるわ」
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