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作品名:a nameless sword −青天ノ月− 作者:みつお

第3回   B
 国土のほとんどが熱帯雨林に占められているだけあり、シアネ王国は木材資源が豊富な国だ。その特徴が生かされ、王都コルドバは高い木材建築能力が駆使された巨大な町並みを形成していた。アルノート自身驚いたことであったのだが、木の温もりが肌に合うようで本国にある自邸よりもコルドバで仮住まいにしている公邸の方がくつろぎを感じれることができた。
「くそ。あいつら、こっちが強気に出ないことをいいことに図に乗りやがって」
 この日の外交交渉も不調に終わり、王宮を出てきたところでルッソが王宮の壁を蹴飛ばしながら毒づいた。目にした門衛たちがすかさず咎めるようにルッソを睨み付けてきたが、ルッソが逆に睨み返してやると門衛たちはおずおずと視線を逸らした。
「こっちが強気になるとこれだ。情けない奴らめ。やるならやるでがつんと……」
「勘弁してください、ルッソ。些細なことでも私は争いごとが苦手なのですよ」
 なおも毒づこうとするルッソをたまらず遮るようにアルノートが口を挟んだ。
「だいたい、ここはまだシアネの王宮ですよ。穏便にいきましょう。穏便に」
「大使。あなたがそれだから俺たちまでなめられてしまうのですよ」
 余計な波風を起こすまいとする相変わらずな下手の態度を取るアルノートに、ルッソは苦々しく口を開いた。
憂国党によるシュタイナー商会襲撃事件が起きてから三日が経った。ドストニアが憂国党による騒乱をきっかけに協定税率とアビレス市租借という無理難題の強要から始まった条約交渉は、愛からず平行線のまま交わる気配はいっこうにみせていない。
 普通に考えれば、ドストニアは今回の外交交渉にこれほどまで下手に出る必要はないのだ。ドストニアはシアネと比べて圧倒的な国力を持ち、その保有する軍の精強さは大陸西方諸国に恐れを持って知れ渡っている。ドストニアは条約交渉が思うように進まなければ武力に訴えればいいだけのことなのだ。
「いやはや、みなさんには本当に申し訳ないですなあ」
「いや……、だからそれなんですって」
 全く反省している様子がないアルノートにルッソは盛大にタメ息をついた。
今、シアネ側からあきらかに嘲られている原因がアルノートなのだ。アルノートの人の良い笑みと人が良すぎる性格、そして戦争ではなく外交によって平和裏に問題を解決させようとする必死なアルノートの姿が、逆にシアネは弱気と受け取ってしまっているのだった。
「ダメだ。これは頭を冷やさないとダメだ。ということで、俺はこのまま歩いて戻ることにしますわ」
「このあとは大使館に戻って明日のための打ち合わせですよ」
「どうせ、いまさら大した考えが出てくるとも思えないし、やるなら俺抜きでどうぞ」
 ルッソは面倒くさげに答え、さっさと一人歩きだしていった。
「仕方がありません。打ち合わせは私たちだけでやることとしましょうか。帰りましょう」
 アルノートは弱々しい笑みを浮かべながら随員たちへ告げて馬車へと乗り込んでいった。
 さすがはドストニアの大使館が所持する馬車だということだろうか。シアネの王族が使用する馬車よりも豪華な造りがされていて、両国の国力の違いを表していた。
 馬車の窓に流れる風景が王宮の庭園からやがて賑やかなコルドバの市街地へと変わっていった。やはり目につくのはドストニア人の姿だ。目に入るすべてのドストニア人が羽振りの良い格好をしている。対して褐色肌であるシアネ人で羽振りが良い姿をしている者を見つけるのは非常に難しい。今やシアネの経済はドストニア人の手に握られているのだ。これでは憂国党なるものが出てくるのも仕方のないことなのかもしれない。
 不意に馬車が急停止した。たまらずアルノートは座っていた席から前へと倒れこんでしまった。
「どうしたのですか、急に」
「申し訳ございません。急に男が飛び出してきたものでして」
御者がひどく恐縮しきった顔で答えてきた。アルノートはいったいどんな男かと確認するために馬車の窓から外を覗いた。驚愕した。あの男が目の前を通り過ぎていったのだ。
 とっさにアルノートは馬車から飛び出そうとドアを乱暴に開け放った。
「どうしたのですか、大使」
「すみません、先に戻っていてください」
 慌ててアルノートの随員が引き止めようとする声をかけてきたが、アルノートは構わず馬車から飛び降りて走り出した。あたりを見渡す。そういえば、今日は日曜日だ。親子連れや恋人たち、果てには物乞いたちの姿が視界を覆う。コルドバ一番の繁華街と近い場所であるために人の往来が激しい。遠くにあの男の背中が微かに見えた。なんとか追いつこうと走るが、すれ違う人の板垣でなかなか前へ進めない。
「見失ってしまいましたかね」
 ようやく人垣を越えることができたときは、すでに男の背中は見せなくなってしまっていた。アルノートは膝に手をつき、乱れた息を整えようとした。年甲斐も無く急に走り出してしまったので息が切れて身体が重い。
 ふとアルノートは子供たちのはしゃぎ声が聞こえてくる気がついた。顔をあげると人の手が入った木々と中央にある噴水が目に入り、初めてアルノートは自分が公園の前にまで来ていることに気がついた。日曜日ということもあり、公園では多くの親子連れが憩いのひとときを楽しんでいる。
 その中でアルノートはひと組の家族に目が止まった。あの男の背中が見える。それはいい。問題は一緒にいる女と子供の方だ。ありえるはずがないのだ。女は本国にあるアルノートの自邸にいるはずなのだ。そして、男と女の間で手を繋いでいる男の姿はアルノートの記憶にはまったくない子供だ。ただどこか他人ではない懐かしいものを感じさせる。三人は時折、男と女が二人で子どもを持ち上げ、子供が楽しそうにはしゃぎ声をあげている。どこにでもある普通の親子連れの風景だ。
 不意に男の子が振り返り、アルノートと目が合った。男の子はあどけない眩しいほどの満面な笑みを向けてきた。途端に、アルノートは初めて喉もとに何かがこみ上げてこようとしていることに気がついた。罪悪感や後ろめたさとは違う何か。まるで半身をもぎ取られたような喪失感だ。アルノートは断っていることが辛くなり、力なく崩れるように膝を地面についた。
「おじちゃん。どうしたの」
気づくと心配そうな顔をした女の子がアルノートを覗き込んでいた。。男とその家族の姿はもう見えない。
「どこか痛いの? お腹?」
「もう大丈夫だよ、お嬢ちゃん。どうもありがとう」
 アルノートは目に溜まっていた涙を誤魔化しながら拭い、無理やりに作った笑顔を女の子に向けた。
「そうだ。おじちゃんにこれ、あげる」
 女の子は肩にかけたポーチから一つの飴玉を取り出して、アルノートへと差し出してきた。
「甘くて美味しいよ」
「ありがとう」
 アルノートが女の子の手から飴玉を受け取り口の中に入れると、女の子は満面の笑みをアルノートに向けてきた。口の中ではいっぱいの甘い味が広がってきた。とてもおいしい。
気がつくとアルノートは自然にあの人の良い笑顔に戻っていた。


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