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作品名:a nameless sword −青天ノ月− 作者:みつお

第1回   @
 馬車のドアが開けられた気配を感じた。どうやら現場に着いたらしい。
 静かに瞼を閉ざしているアルノート。その柔和な顔は深いシワが目立ち、頭髪や髭はすっかりと白くなっていた。アルノートは今年でもう五十八だ。無駄な肉付きは一切無いのだが筋肉がたくましいわけでもないので、全体的にどこか弱々しい雰囲気を感じさせる。
 開いたドアから、シアネの王都コルドバ特有の湿気を不愉快なまでに含んだ重い風が流れてきた。煤けた臭いが入り混じっている。やはり誤報ではなかったようだ。微かに抱いていた期待に裏切られ、アルノートは腹の奥底がずしりと重くなるのを感じた。
「うわ〜、こいつはひでぇや」
 アルノートはゆっくり瞼を開くと、向かいに座っていたルッソが頭を掻きながら面倒くさそうに顔を外に出していた。まだ二十代後半という齢にもかかわらず駐シアネ大使館のナンバーUとなった男だ。
「ちょっと話でも聞いてこようかな。大使はここで待っててくださいな」
 ルッソは一方的に告げ、アルノートの返事も待たずに勢いよく馬車から飛び降りていった。ルッソは二十代後半で参事官に昇りあがってきただけあり、状況を的確に読み取り行動を起こせる有能な官僚だった。仕事に対する姿勢以外の話ではあるのだが……。ルッソはあまりにも飄々とした態度を取り続けすぎているのだ。そのために大使館で働く事務官の中ではルッソをよく思わない者も多い。だが、アルノートはルッソの特にその飄々としたところが好きであった。
「大使、どちらへ」
 腰を浮かしたアルノートに随行していた一等書記官が声をかけた。
「私も外に出ます。実際に目にしておきたいので」
 そう言うと馬車の外へとアルノートが出て行くと、一等書記官も慌てて馬車に外へと飛び出してきた。アルノートの眼に跡形もなくすっかりと焼け崩れた建物の跡が広がった。その瓦礫の上を現場検証なのか、歩き回っているシアネ王国の役人たち。背後にある馬車の向こうには人の往来が激しい繁華街であるために相当な野次馬たちがあつまっている。火の勢いは相当凄まじかったようだ。隣接する建物も巻き込んでしまい、やはり焼け崩れ去ってしまっている。
「ちょ、大使。ここに出てきたら危ないかもしれないんですって」
馬車から降りてきていたアルノートを見つけて、ルッソは慌てて駆けつけてきた。相変わらずの言葉にアルノートの背後に控える一等書記官は険しい視線をルッソに向けたが、ルッソも当のアルノートも全く気にしていない様子であった。
「ということは、やはりこれをやったのは憂国党ですか」
「もう、あなたって人は。そうですよ。犯行声明も出ているようです。だから、この付近にまだ残党がいるかもしれないですから危険なんですよ」
「そうですか。やはり憂国党が……」
 ルッソはたまらず頭を掻きながら盛大なため息を吐いた。危険であることをさんざんと言い募っているにも関らず、アルノートは全く気にする素振りをみせないからだ。アルノートはただ焼け崩れた跡を見渡し、やがて自分の足元で視線は止まった。焼け崩れて真っ黒な墨と化してしまっている中、かろうじてシュタイナー商会と読める看板がある。
 まずいことになってしまった……。アルノートを知っている人に聞けば、誰もがその特徴は人の好い笑顔と答えられる。今もアルノートは笑顔でいるのだが、それは人が良いものではなく緊張に包まれた笑顔になっていた。
 シュタイナー商会はドストニア人が経営する会社だ。本国にシアネとの貿易独占権を与えられ、主にシアネ王国で取れる上質な木綿を安価で買い叩き、機械化によって大量生産・低値段が可能な本国で製品化させ、そして再びシアネに戻して売りさばくことによって巨万の利益を得ている貿易会社だ。ドストニア経済を好景気に押し上げている一つの支えになっている。そんなシュタイナー商会の、あろうことか本店が焼き落とされたのだ。本国がこのまま黙っているはずはない。
「生存者は」
「いません。連中、逃げられないように従業員全員を縛り上げていたみたいです。酷いことをしやがる」
「ニコウラスもですか」
「社長室があったところあたりで黒コゲになっているのが見つかったそうですわ」
 ニコウラスはシュタイナー商会二代目の社長だ。商いに従事する傍ら、ドストニアのためにシアネ国内で独自に作り上げた情報網を使っての情報収集やシアネの要人へ金品などの贈賄を請け負っていてくれた。本店と社長の喪失。ドストニアにとってあまりに大きすぎる痛手だ。ますますもって本国は黙っていなくなるであろう。
 何か大きな流れが押し寄せてきている。それも二年前に感じたのと同じ嫌な感じがする流れだ。アルノートの笑みが微かに苦渋に歪んだ。


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