「若いの!」 Kiyoshi
昼下がり。行きつけの大衆食堂で軽い昼食を取り、そのまま店先の廊下に並べられたテーブルに居座る。初夏の陽射しがアスファルトで照り返され、暖かい街の息吹を感じる。
往来の喧騒、店先のざわめきをよそに、此処、つばめの町に、時間はゆっくり流れ、幸せな随想、暫し慰む。
やおら腰を上げ、再び日課の街歩きを始める。ひと朝2.5km、年寄りの冷や水は厳禁、と自制して数年続行。84の今、町歩きのほか、又何が出来よう。テニスがやれた日々を、テニスコートの歓声懐かしみながら黙々孤独の苦行である。
ところが、歩いてこそ拾える町でのバラエティーに富んだ出会いと、傍から見る人生模様は、「街歩き」も案外捨てたものではないなあと思うこの頃である。
道路を隔てて向いの、幅2.5m程の路地口に、中年婦人が低い小さい腰掛と机のセットを構えて何かの手作業をやっている。観る事にした。
見慣れた檳榔(ヤシ科)作りである。未熟の檳榔の実を縦割りに割って赤黒く染色した練り石灰を詰めて、ハート型の木の葉で包んで、これで台湾食文化嗜好品の出来上がりだ。
アジア全域で愛用されている様だが、勿論日本にはは入れないだろう。だが、在台日本人が好奇心から試食して、これにはまった事を聞いてる。
口中でかなりの時間をかけて噛み、砕き、赤い血と見紛うかじり滓の道路への吐き捨て、日本領有時代の厳しい官憲でも根絶出来なかった、根強い頑固な、不可解な、文化である。勿論私には論外の怪物だ。
眼前に立っている私を無視して無口の作業に余念の無かったおばさんが、急に含み笑いしながら口を開いた。
「若いの!」。 虚を突かれて私は「へえぇ?」と慌てて後を振り返った。誰もいない、オレの事だ!。「休憩してゆかない?」と「キュウケイ」だけは日本語で聞かれた。
私は又も慌てて、路地に接している店内を覗いた。若いおばさんが一人、ソファに脚をくんで人待ち顔で往来に虚ろな視線を向けている。私は往来に出て建物を見上げた。なるほど、華やかな二つのカラーフルな看板にこれも華やかな店名。
思い出した、この界隈はその昔、日本領有時代、市が企画し興した遊郭だったのだ。新町という名で親しまれた不夜城繁華街だったのだ。
とっくに全数没落したとばかり思っていたが、ここに未だ生き残りを賭けて、アルバイトしながら孤軍奮闘のおばさん達が居たのだ。
私は急に彼女たちが悲壮に見えてきた。
「キュウケイ」を勧誘されたので黙殺しては失礼かと、私は真面目に「出来ないよ」と言ったらすかさず「あたし教えて上げる」と来た。
呆気に取られて暫く絶句、彼女も沈黙。そして殆ど同時に二人とも呵呵大笑。
私はたルンペン帽を軽く摘み上げて会釈してその場を去った。
闘う女達に幸あれ。
「昼下がり ツバメ舞いまう 街の空」 Kiyoshi
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