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作品名:老婆の弔い 作者:仁科治

第39回   39 老婆のトタン小屋はなくなっていた

39 老婆のトタン小屋はなくなっていた


私は何度か佐藤さんに電話をしてみようとした。しかし、途中で手は止まってしまった。何を話したらいいのか分からなかったからだ。
 夢の中で原色図鑑は人形を殺していた。
 案山子の吊された木の端に、水玉の衣裳を着せられたセルロイドの人形が紐で首をくくられていた。殺すのは簡単だと説明に読めた。
 針金を組み合わせて、棘の玉をつけた金網にゴム製の人形が引っかかっていた。首に棘が刺さり、両手を広げて目を丸くしていた。助ケテクダサイ。

……女ノ子ハ丸イ目デ振リ返ッタ。

 老婆の葬式は近くの公民館で行われた。
 入り口に佐々木の父親が黒い腕章を巻いて立っていた。
 奥に明かりが見えた。佐々木を見つけると、あちらに行けというしぐさをした。入り口から入った正面のテーブルにのった黒い箱から煙が立ちのぼっていた。
 「あそこで、お焼香をするんだぜ」
 三人は佐々木の父親から見えない塀の角に隠れた。
 そこから公民館を見ていると、夕方に近づいた照り返しのなかでときどき乾いた土が舞い上がった。
 女が三人きた。伊藤の母親がいた。佐々木のおやじが頭を下げた。
 その反対側から子どもを連れた女が歩いてきた。佐々木の父親の前に行って、体を折るぐらいにお辞儀をした。
 正面の台の前に立つと、右手を動かしてから手を合わせた。女の子が私を振り返った。黒い丸い目だった。女が正面にまた頭を下げた。
 「おやじ、美人の前で照れているんだよ。水商売だって、うちの母ちゃんが言ってた。でも、子どもが死んだときはかわいそうだと言って一緒に泣いていたよな。子どもの葬式も、あそこでやったんだ」
 「子どもって、どんな子」
 「女の子だよ」
 「あの女の人が連れているぐらいの…」
 私は佐々木に聞き返した。
 「どこに、いるの」
 「ほら、あの人の後ろに」
 私が指をさすと、女はこちらに向かって歩いてきていた。
 「いないじゃないか」
 伊藤が背伸びして言った。私があまり遠くを見るようなしぐさをしたからだ。

……子ドモノコトハ、コレデモウオ終イ。

 次の日、一人で公民館に行った。
 すっかり片付いていた。そのまま老婆の小屋に行くと、男たちが小屋のトタンをはがしていた。佐々木の父親もいた。あの石油缶はなかった。佐々木の父親は私を認めると、顔を背けた。
 坂道の地蔵のところに行ってみた。赤いちゃんちゃんこと帽子が陽に光って揺れていた。私は、初めて老婆のために手を合わせた。私だけの老婆の見送りだと思った。
 地蔵の前に一組の赤い靴が置かれていた。後ろのアパートで階段を降りる足音が聞こえてきた。振り向くと、あの女だった。
 女はバッグを胸の前に抱えて駆け足で坂道を下っていった。子ドモノコトハ、コレデモウオ終イ。
 通り過ぎたあと、きつい香水の匂いがした。向こうの空で、夏の夕焼けが終わりかけていた。
 それからしばらくして、佐々木の父親が私の家にきた。祖母と叔母と長い間、話していた。


 夏休みに入った。
 叔母はときどき私の描いた絵をじっと見ていることが多くなった。どういう意味なのかと聞くこともあった。私は画用紙にクレヨンを殴りつけるような描き方で太い線を引くのが快かった。
 黄色や赤、青を不規則に塗りたくっていた。その下から人の顔が現れてくるときもあったし、猫になることもあった。かたちをとらなくても、その感触が快かった。
 私は夏休みの終わらないうちに、父と義母に引き取られた。佐々木と伊藤に何を話して、どう別れをしたのかは記憶になかった。


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