35 黒い風は女の夫と子どもを攫った
濃紺の空に三日月が出ていた。 礼服の男が花嫁を抱えながら、星の瞬く夜空を昇っていた。 花嫁は白い衣装を着て頭にショールを被っていた。男に抱えられながら、目を閉じてほほ笑んでいた。燃えるような赤い花が二人を祝福するように咲いていた。馬がにこやかな目を向けていた。 空の下の家は静かに眠っていた。 遠くの空まで続く星の明かりが家の屋根や壁に宿るように降っていた。 白い細い月がはにかんでいた。花婿が花嫁に口づけをしている。花嫁の乳首が桃色に膨らんでいた。 傍らで老婆が見たことのない楽器を吹いていた。先端が大きく広がってラッパのような感じだったが、音の調子によって大きさや形を変えた。 老婆は身軽に飛び回って楽器を操った。 老婆の足下近くで操り人形が踊っていた。 三つの人形をあの男が操っていた。細い糸が手足や顔の表情を描いた。 一人はがっしりした農夫で顎髭を蓄え、隣に男の子を抱いた女が座っていた。女は満足そうに男の子の頭を撫でていた。男の子は二人の間で笑い声をたてていた。三人の前には豊かな食事があった。
……尖ッタ氷ガ心ニ刺チッテイル。
突然、老婆の吹く楽器が激しい音を立てた。 男は、糸を操って空から黒い風を吹かせた。 風は、女から夫と子どもを攫っていった。 残された女は、地面に身を打って泣いた。男は糸を激しく動かした。 しばらくすると、女は空を見上げた。涙が頬を伝って落ちた。真っ赤な涙だった。それは土に落ちて、しだいに黒い染みとなって土に広がっていった。 楽器の音色にか弱い声が混じった。老婆が歌っていた。 老婆の後ろに女の子が立っていた。白いワンピースを着て赤い靴を履いていた。地蔵の陰から現れた子だった。 私は老婆と女の子のほうに歩きだそうとしたが、身体が動かなかった。岩のような固まりになっていた。 周りが見えなくなった。 宙に浮く感じがした。倒れたようだ。頭に何かが強く当たった。 Fノ心ハ、氷デ閉ザサレテイル。決シテ開カレルコトハナイ。Fハ危険ダ。罪ノママ生キテイカナケレバナラナイ。 老婆が少女に話していた。 少女は笑って頷いた。
……殺サナクチャ、イケナインダ。
目を開けると、氷枕が当てられていて私は寝ていた。 枕元に体温計と薬の袋があった。額に手を当てると包帯が巻かれていた。 布団の中は快い温かさだった。うとうとして、また眠った。 遠くで聞き慣れた声が聞こえた。 佐々木だった。叔母と話していた。妙に明るく響いてくる。 給食のパンを持ってきたのだろう。伊藤も後ろに控えていて、叔母を見つめているだろう。 伊藤は叔母のファンだった。美容院の窓近くにきて、いい匂いと言って深呼吸を何度もしていた。 あした、学校に行って佐々木たちと老婆殺しの計画を練らなければならないなと私は思った。
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