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作品名:老婆の弔い 作者:仁科治

第34回   34 父と母の顔をした腐った魚たち
34 父と母の顔をした腐った魚たち


 包みは箱だった。
 布をはずして蓋をとった。そこに祖父と祖母の目を見開いた首が入っていた。
 殺サレタノハ、オ前ノ責任ダ。オ前ガ汚シタンダ。
 周りから合唱がさらに高まった。
 私は玄関を飛び出た。
 背後に腐った魚が迫っていた。カチカチと歯を合わせる音が響いた。
 私は包みを頭の上に抱え上げると、魚めがけて箱ごと投げつけた。箱から二つの首が転がった。そこに魚が群がった。

……ドウシテモ許セナインダヨ。

 私は、走った。
 澱んだ濠が目の前に現れた。そこにも腐った魚がひしめいていた。
 魚は人間の顔をしていた。
 尾鰭で水面を叩いて私の気をひこうとしていた。
 見たことのある顔がいくつもあったが、だれなのかは思い出せなかった。みんな、親しくした者のようだった。
 濠のくぼんで陰になっている水面から男の顔が現れた。腐った藻のような髪がかぶさっていた。痩せた魚だった。
 「お前の父さんだよ。ここから助け出してくれないか。手を伸ばして、すくい上げてくれるだけでいいんだ。ようやく、お前と会えたんじゃないか」
 男は苦しそうな顔をした。その顔の上に他の魚がはねて、その尻尾があたった。男も負けずにはねた。
 「助けてくれよ。ここから上がれないと、俺も腐っちゃうんだ。お前も嫌だろう、父さんがこんな汚い奴らと一緒にいるのは」
 「オ前ガオ祖母チャンタチヲ、不幸ニシタンジャナイカ」
 「あれは嘘だよ。ばあさんがお前を手離せなくて嘘をついたんだよ。俺はいつもお前を取り返そうとしていたんだ」
 「ソレナラ、ナゼ、スグニ来ナカッタノカ」
 男は黙って私をにらみつけた。
 「助けろ、親だぞ。父親が苦しんでいるのだ。助けろ」
 私は後頭部にガラスが刺さったような痛みを感じた。頭を動かすと、ガラスの先端が動いて脳を刺した。口を開くことができない。
 「助けろ、助けろ」
 男は繰り返し叫び続けた。
 オ前ハ、コノママ腐ッチマエ。ズット好キナコトヲシテキテ、今サラ親ダナンテ、ヨク言エタナ。腐ッテ腐ッテ、僕ノ前カライナクナッテクレ。
 私は足下にある石を拾って投げた。
 小さいころ、父親から石を投げられた記憶がよぎった。私に石をぶつけたのは、この男だったのだと私は思った。
 小学校に上がる前、父親を慕って後を追いかけた私に小石を投げたのだ。足にあたって泣き出す私を見て、この男は笑ったはずだ。
 私は、男の顔をめがけて石を投げた。
 目に当たった。口に当たった。腹に当たって砕けた。肉が裂けて、沈んだ。それを見て他の魚も逃げ始めた。
 死ンデシマエ、オ前ガイナクナレバ、皆、幸セニナルンダ。
 私は少し離れたところを見ると、女の顔があった。魚の群れの中から私を見ていた。涙を流しながら私を見ていた。
 「母さんだよ、お前の本当の母さんだよ」
 助ケナイヨ、ドウシテモ助ケナイヨ。僕ハオ前ノタメニ、コウナッタノダ。小サイトキカラ憎ンデキタ。ダカラ、誰モ心カラ愛セナクナッタ。心ノ中ニデキタ尖ッタ氷ガ、イツマデモ溶ケナインダ。
 「お前が父さんを殺すのを見たよ。でも、お前は母さんを殺しやしないよね。この腐った泥水から出しておくれよ。お前の心一つで母さんは助かるんだ。お前は母さんを見捨てないよね」
 アナタハ、僕ヲ置イテ、父ヲ捨テテ、他ノ男ト行ッテシマッタジャナイカ。
 「しかたがないんだよ」
 女は泣いた。魚の丸い目に涙があふれてきたが、泥水がそれを攫っていった。
 僕ハ、アナタヲ憎ンデイルンダ。ドウシテモ許セナインダヨ。
 私は石を拾おうとした。それを見て、女は逃げるように他の魚の中に潜った。それっきり女は現れなかった。


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