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作品名:老婆の弔い 作者:仁科治

第32回   32 愛の合唱の中で女は眠っている
32 愛の合唱の中で女は眠っている


 流れの両脇には石造りの家が並んでいた。家の中がよく見えた。
 最初に見えた家では、カーネーションが色とりどりに咲いている花瓶の陰で裸の胸を見せた女が男に抱かれていた。脇に半分空いた葡萄酒瓶とグラス、手前に梨や葡萄がのった皿がおかれていた。
 二人は眠っていなかった。
 女の首筋に頬を当てた男は女が死ぬのを待っているような目をしていたし、女は遠くを眺めやる眼差しで男にまったく無関心のようだった。
 男は緑色の顔をしていた。女の髪の色は朱に染まっていた。二人の上に黄色の三日月が浮かんでいた。風が薄いカーテンを揺らしていた。
 次の家では、結婚式が行われていた。
 大きな目をした馬が新郎新婦を見つめていた。
 立会人のいない式が済むと、赤と黄色の花束を抱えた花嫁は花婿に抱きかかえられながら夜の空に昇っていった。
 夜は青色のクレヨンで塗りつぶされ、その隙間から星がのぞいていた。
 黄色の星だった。その下で町は眠っていた。樹木も夜にとけこんで眠っていたが、星たちは賑やかに夜空で騒いでいた。
 女ハダレト結婚シタノダロウ。老婆の声がした。死ハイツモ待ッテイル。ソノ気マグレノタメニ、私ハ泣イテキタ。
大きな窓から日射しが降り注ぐ部屋では、窓辺に大輪のバラ、こぼれるほどの小菊、背の高いカラーが咲き乱れ、薄いカーテンの下で男と横たわる女が豊満な乳房をあらわにしていた。明るい。二人は眠っているようだ。
 二人の上に犬だろうか、猫だろうか、小動物がうっとりと目を閉じて重なっている。白い窓の外には青空が覗き、広葉樹の枝が風にそよぎ、遠くに平和な村の穏やかな屋根の色が見えた。
 老婆がため息をつき、頬を拭ったように思えた。
 オレンジ色の色彩に満ちた部屋では、曲芸師が宙を回っていた。反対側のブランコに飛び移ると大きな拍手が起きた。
 ピエロが細長い笛を吹き、踊り子が足を高く掲げたり、その後ろで楽団の演奏が高らかに鳴った。赤い大きな手が拍手をし続けていた。
 地上に降りた曲芸師が観客に一礼すると、吹き鳴らされていた楽器が鳥になって燭台をくわえ、周りを明るく照らしだしながらあちこちを飛び舞った。明るさの中に唇を合わせる男女の姿が浮かび上がると、そのたびに笑い声が起こった。
 多くの家では、裸の女が子どもを胸に抱いて眠っていた。そばで馬が祈りをささげていたり、魚が優しい目を向けて歌っていたりした。
 私は頬に涙が流れているのに驚いた。ダレデモイイノデス。ミンナ仲良ク、楽シク生キテイケレバ、イイノデス。温カク見ツメテクダサイ。

 ……永遠ノ時ニ変エル愛ガ欲シイ。

 向かいに座った老婆が呪文のような言葉を呟いた。外国人の名前のようでもあった。聞き直そうとすると、老婆は後ろを向けと指で合図をした。
 振り向くと、流れと反対方向から明かりが近づいてきた。
 舟の先端に松明がともされていた。
 横を通るとき、裸の花嫁が髪の長い花婿に抱かれて横になっているのが見えた。舟の後ろ端に一人の女が座っていて、横笛のような楽器を奏で始めた。すると、流れに沿った家々からいろいろな楽器を持った馬や鳥があふれて出てきて女と合奏した。
 強い太鼓の音が響き、低い管楽器の音色がわき起こり、混声合唱もまき起こった。
 音と色彩で絹の流れは染め抜かれた。
 上空に真っ白な月が昇った。歓喜が満ちた。
 舟は快く揺れた。私は眠くなって、少し寝た。
 夢を見た。女が暗い空に歌っていた。
 「あなたにお会いしたくて、この街に来ました。あなたがどこにいるのかも知らず、歩いていました。この街はなんて暗いのでしょう。心が震えます。あなたを待つことが私の一生だったのでしょうか。
 あなたを愛しています。私はこの地上でもっとも尊いものを欲している女です。一瞬でもいい、あなたの愛が欲しいのです。永遠の時に変える愛。でも、私はあなたの言葉が信じられず、あなたを裏切りました。あなたがあの丘で私たちの代わりに受けた罰は、私の死では償えないものでした」


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