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作品名:老婆の弔い 作者:仁科治

第19回   19 海岸線は鉄柵に仕切られていた

19 海岸線は鉄柵に仕切られていた


 急に太陽が猛烈に熱くなって、額が焼けるような感じがした。
 黒塗りの車の走ったあとのアスファルトは車輪のゆがんだ形を残していた。黒い体は大きく揺れながらどんどん小さくなっていった。
「死ぬって、どうなるんだろう」。伊藤の声がした。
「ずっと寝ているみたいじゃないかな。おばあさんが死んだとき、目を閉じて寝ていたもの」。佐々木が言った。
 「でも、焼かれるんだよ」
 私は祖父が亡くなったとき、葬儀場で長い時間を過ごしたのを思い出した。祖父を入れた木の箱が鉄枠の四角い空間に押し込められ、下から火が燃え上がって鉄の扉が閉ざされるまで見ていた。
 待合室の窓から黒く高い煙突が見えた。
 灰色の煙が出ていた。空に帰っているんだよと、隣に座った男が言った。吐く息に煙草の臭いがした。中指の指先が黄ばんでいた。祖父が生きているときは祖父の陰口ばかり言っていた親戚の男だった。この日は、祖父の死をしきりに悲しんでいる振りをしたがっていた。
 叔母は顔が腫れていた。
 子どもの私にも疲れているのがわかった。下ばかり見つめていた。倒れそうな感じで、私は気になった。しかたがないんだよ、だれでもそんな気持ちになるんだよと、私の背後から女の声が聞こえた。
 ずいぶんと時間がたってから、別の部屋に案内された。明るかった。テーブルの上に骨があけられていた。
 黒服の男が「二人で箸を持ち、骨を挟んで金属の箱の中に入れてください」と言った。長い鉄の箸だった。私は叔母と箸を使った。
 薬だね、と黒い骨を指して葬儀場の女が話した。
 祖父は喘息を長く煩ってきた。
 食後に幾種類かの薬を飲んだ。
 「頭痛薬がいけなかったんです」
 最後まで付き添ってくれた看護婦が言った。それ以降、私が頭痛薬を飲むことは禁じられた。でも、私は隠れて飲んだ。小さいときからいつも頭が痛かったし、骨が黒くなって死んでもいいと思っていた。
 「痛みをずいぶん、こらえていましたもの」
 看護婦の一言に叔母は突然、泣き伏した。
 和やかになりかけた雰囲気が急に沈んだ。隣にいた女が叔母を抱えて部屋を出た。祖母がどんな様子であったか印象がない。

……夕焼ケガキレイダッタ。

オ前ニハ、ズイブン警告シタハズダ。あいつは私を見た。
 映写機の光の先に小さな漁師町が映し出された。
 漁船が数隻、マルタを転がした砂浜にせり上がって黒い影を伸ばしていた。波の音は聞こえてこなかった。
 霊柩車の向かう先に私たちの学校があって、道は海岸線に続いている。もっと行くと、漁師町がある。そこは私たちの遊び場ではなかったが、ときどきカニや小魚を捕りに潜りに行った。
 浜には漁船が並んで引き上げられており、堤防に釣り人がいた。筵に昆布が干されていて、竹竿に干し魚が吊されていた。陽が照っていてまぶしかった。
 漁師町の外れに黒煙を流す高い煙突のある建物があった。その中に黒い車は吸い込まれていったはずだ。祖父もそこに運ばれ、骨になった。
 その建物や石を積み上げた塀に接して、黒い闇がひそむ鉄柵が海岸線を仕切っていた。「立入禁止」の看板が立てられ、その下に外国語が書かれていた。鉄柵は陸だけでなく、海の中にまで張られて中に入れなかった。
 潜りに行ったとき、向こう側に鉄の帽子を被り、肩に銃をおいた外人の姿が見えた。私たちはそこに行くのを学校で教師からも禁じられていた。
 クラスに転校してきた友人が漁師町に住んでいて遊びに行ったことがあった。
 友人の家に着くまで、私たちの周りを見え隠れしながら黒い影がついてきているようで落ち着かなかった。その友人もすぐ転校してしまった。
 それっきり、私は漁師町へ行っていなかった。祖母に聞くと、行けば攫われてしまうぞと言われた。


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