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作品名:老婆の弔い 作者:仁科治

第17回   17 土色の猫はなつかなかった
17 土色の猫はなつかなかった


 私は、夢のなかで夢の続きを見ているのか、起きて当時を思い出しているのか、それはどうでもよくなっていた。
 目の前でぼんやりと映写機に映る自分たちの姿を見ているようであり、あいつの話し声が私の声になっているような気もしていた。
 そうだ、次の日の夜、老婆をのぞきに行くことになったのだ。
 その夜、銀色の眼鏡をかけた黒服の男が私の枕元で呟いていた。「食ワナキャイイノサ。食ウカラ糞ヲスル。ソレデ生キテイル」
 私は、祖母や叔母が近所の人と老婆の噂をするのを聞いていた。老婆の話になると必ず小声になった。
 身寄りがなく、戦争の後からずっと息子が帰ってくるのを待っていた。小屋を所有する地主も目をつぶっているし、役所の人も何度か来たけれど、老婆がわめき散らすだけで帰っていった。
 そんな話を聞いてから、だれも老婆に関心を持たないふりをしているように私には思えた。ときどき事情を知らない若い女がトタン小屋の前で老婆にすれ違ってしまい、不快そうに顔をしかめながら逃げるように避けて歩いた。


 老婆は一日、トタン小屋にいた。いるはずだった。
 私は、佐々木たちと「殺し」の話をする前から老婆を観察していた。
 学校から帰ってランドセルをおいて、おやつをくわえて、小屋の前の道を何度も行き来した。トタンの向こう側は静かだった。
 偶然、猫に餌をやるところを見たことがあった。
 小屋の脇に皿がおいてあった。
 猫は老婆が鍋から皿に餌をあけるのを見ていた。老婆は猫に関心がまったくないようだった。猫が食べるか食べないかを確かめる様子もなく、餌を皿にあけるとトタンの内側に姿を消した。
 空になった皿に干からびた米粒が黒ずんでこびりついていることもあったし、いつまでも雨に打たれていることもあった。
 猫は茶と黒と白が混じっているらしいが、全体は土の色になっていた。秘密基地脇にある垣根の隙間を身を細めて畑へ抜けていくのを見かけた。小さな猫だった。腹のあたりに細い骨のかたちが見えた。私を見ると、大きく目を開きからだを膨らませた。縦長になった口から小さな歯がのぞけた。
 猫は垣根を抜けると、畑から道路を渡ってトタン小屋へ歩いていくらしい。その垣根が猫の通り道であるのは確かだった。一日に何回も見かけたことがあったし、暗くなった秘密基地で帰ろうとするころ、ひっそり近づいてきた猫に驚いたこともあった。
 私は手なずけようと小魚を与えたこともある。しかし、用心して近づき、盗むようにくわえていくだけだった。何度やってもなつこうとしなかった。
 そうだ、私はこの猫を殺したはずだった。

……汚イ。モウ嫌ナンダ。

 「きょう、だな」
 「あそこ、でね」
 「うん」
 私たちは、学校ではクラスが違っていた。五年まで一緒だったのだが、六年になるとバラバラになった。だから、基地に集まってから何をするかを決めて遊んでいた。
 あの日は、秘密で私の頭はいっぱいだった。
 授業に集中できずに教師から何度か叱られた。教室の後ろに立たされてもぼんやりしていた。教師の話が耳に入ってこなかった。口がぱくぱくと動くだけで、音が伝わってこなかった。教師はさらに顔を赤くして怒った。みんなが振り向いて私を見るのだが、恥ずかしくはなかった。
 廊下で隣のクラスの伊藤と会った。
 伊藤も私と同じようだったらしく、私が親指を立てていくどか合図を送っても気づかなかった。佐々木はさすがにリーダーだった。私と顔を合わせると、近くに寄ってきてきょうの計画を確認した。


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