15 自殺した友人の最後の手紙
私は、秘密基地でその新聞を開いた。 佐々木と伊藤はあっと驚いた顔をした。 私は開く場所を間違えていた。見せたかった写真よりももっと大きな写真が私たちを睨んでいたからだ。「オレたちの命を返せ」と叫んでいた。 ……アア、嫌ニナッタヨ。
佐藤さんから「先日の話はなかったことにしてください」とメールが入った。その後、自身の心情をつづった文が添付されていた。 「思い出すには長い時間がかかります。新しい旅に出るみたいなものです。それも辛いことばかりです。それでも思い出す作業は俺たちの務めなのかもしれません。しかし、他人を引き受けることはもっと困難です」 「記憶が脳裡に浮かび上がって、鮮明な像を結ぶことは数少ないことです。俺自身の一生を左右する出来事でさえ、おぼつかないものです。それが正しかったことなのか、間違っていたことなのか。どうも、都合のいいほうを選んでいるようです。分岐点に立って、俺はいつも、暗い箱のなかを凝視していました。希望が読みとれたでしょうか。いいえ、いつも暗澹たる気持ちになって諦めてしまいます」 「俺は、原始の人たちが暗闇に何を見ていたのかを繰り返し考えていました。恐怖か。いや、それは安らぎではなかったのかと思います。自分の身体が自然と一体となってとけ込んでしまっているからです。俺たちはいま白昼にいて、自分を寒いほど感じています。独りなのです。そして、それを確認することを強いられています。歳を重ねるにつれ、この思いが深くなってきます」 私は、佐藤さんに悪いことをしてしまったと思った。 この人をも苦しめてしまった。私は追いつめてしまった。 なぜ、私が佐藤さんと同じ思いをもっていることを素直に伝えなかったのだろう。一緒にできることはなかったのだろうか。こう聞けば、佐藤さんはにやりと笑って、そんなことできると思いますかと言うだろう。しかし、ともう一度思った。けれども、私はそれ以上踏み出さないだろう。 私は、いつもこうだった。自分で重くなると、人に振ってしまう。そういう相手は必ず自分で引き受けてしまう人たちだった。 私はそんな人たちを嗅ぎ分けた。そして自分で重くなったものを押しつけて、いつも逃げていた。こうやって生きてきた。 私は、佐藤さんに電話をかけられなかった。メールで返事も書けなかった。佐藤さんは、それからテニスコートに来なくなった。
私は、自殺した友人が死ぬ前に投函した私への手紙を机にしまい込んでいた。 四〇年近くになる。黄ばんで、私の親指の跡が強く残っている。 なぜこの手紙をずっと手元に残しているのか、自分でもよくわからなかった。 数人の友人が自殺していた。彼らは私のアパートによく訪ねてきた。台所と一部屋しかない六畳間の部屋で明け方まで酒を飲みながら話していた。 煙草の臭いが立ちこめてなにやら深刻な感じになっていたが、文学論などが中心だったような気がする。とりとめのないことで一夜が明けて、近くの踏み切りを列車が走りすぎるころ、みんな不機嫌な顔をして帰っていった。 夜半に話が途切れることがある。話し出すきっかけを失った瞬間だ。そんなとき、だれかが死んでしまいたいなあと漏らした。 私も、死にたいと言った。そのたびに彼らは「お前は絶対に死ねないよ」と断言した。そのとおりだ。私は、何人失ってもまだ生きている。 その友人の一人で頻繁に行き来し、郷里に戻った友人が死ぬ前に手紙を送ってきた。 「きょう、後輩が死んだことを知った。自分の無力さが身体に押し被さってきて、どうしようもなくなる。死への誘惑が、もう明日はないのだという囁きをもって訪れてくる。すると、気持ちが楽になってしまい、周囲のものが自分の関心から消えていき、呼吸すら安らかに響くのを聞くことができる。毎日がそんな暮らしだ。 自分の身体を抱いてみた。身体が全身で自分に向かってはっきりと実在感を訴えてきた。まるで子犬が飼い主に飛びつくように。この瞬間しか自分は生きられないのではないかと思うと、後輩の喘いで死んでいったであろう姿が愛おしくなる。 死ねないために生きている者が、この世の中にどのくらいいるのだろうか。なぜ、このような者が生まれてきたのだろうか。人々はいろいろな理由を語る。しかし、それがなんだというのだ。全部、嘘じゃないか。嘘まみれになって、生きていけと言う。生きる理由の見つけられない者をこの地上で引っ張り回すために。 ああ、嫌になった。死ねないお前に最後の手紙を書いた」 その友人はいま私の部屋にやってくる顔のない男のように思えた。私は毎夜、夢の続きを見るようになった。
|
|