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作品名:老婆の弔い 作者:仁科治

第13回   13 トタン小屋に住んでいる老婆
13 トタン小屋に住んでいる老婆


 モウ止メテクレ。モウオ終イニシテクレ。私は叫んでいた。しかし、口に薄いセロハンが張られたように声にならなかった。
 あいつは映写機を回し続けていた。二人の少年が私を振り向いた。静かにしろと睨みつけた。


 「俺たちのこと、わかったかな」
 「大丈夫。あのばばあ、目が見えないのさ。暗くなるとからっきし駄目だって、おやじが言っていたからな」
 栄養不足で鳥目なのさ。伊藤が佐々木の言葉の後に弱い声でつけ足した。
 秘密基地で、佐々木が老婆の醜悪さを手振りを交えて熱ぽっく私と伊藤に話した。口の両脇に白い泡がたまっていく。そして飛び散る。佐々木は左の手の平でこすり、ズボンになすりつける。ズボンに染みが残った。
 みかん箱の上でカンテラからロウソクの匂いが強くしていた。四角の飴缶の側面をくりぬいて私がつくったものだ。缶詰の缶だと表面と裏面しか開けられなかったが、飴缶は四面をくり抜けたし、安定がよかった。
 光が揺れると、顔やからだが動いた。
 私は座っている段ボールの端をつかんでいた。からだの奥で震えが細い声を立てて、止まらなかった。
 秘密基地は、畑の横の竹藪の中にあった。
 家から持ってきた菓子缶に入れた蚊取り線香と畑の土の匂いがこもっていた。
 伊藤がすまなそうな顔でうつむいていた。佐々木は伊藤にきょうの失敗を責めなかった。私にも言わなかった。
 いてえなと佐々木の顔が陰影を濃くした。
 右肘のでっぱりあたりの皮が薄くむけて、血がにじんで黒ずんでいた。老婆の投げた砂利が当たったのだ。
 逃げる途中に振り向くと、老婆は地面から石を拾っていた。
 私の肘にも乾きかかった泥がついていた。指先でつまむと、ぽろぽろと落ちた。
 畑の中をいくどか転んだ。軟らかな土だった。
 私の前で転んでいる伊藤を追い抜いて走った。畑の土をひっかき回しているような格好で伊藤は座り込んでいた。何してるんだろうなと一瞬思った。
 伊藤は笑っているように大きな口をあけて私を見ていた。目が丸く開かれて、何を言いたかったのだろう。
 佐々木は私よりもっと早かった。私が前を向くと、畑の端を曲がるところだった。
 私は目の前に座っている二人を見ていて、笑いが込み上げてきた。いてえと、わざとしかめっ面をつくると膝や手首の泥を指先で強くこすった。伊藤がすまなそうに、また下を向いた。
 「うちのおやじが言っているんだけど、あのばばあはもう死んだほうがいいって。みんなに迷惑をかけているんだって。生きててもしょうがないって。見たろ、あれって、糞だぞ。暗くなってからドブに捨ててるんだ」
 「きったねーな。じゃ、おれんちのほうに流れてくるのかよ」
 「それによ、ときどきよ、マーケットの中をうろつくじゃん。他の客が寄ってこないじゃん。他のマーケットにお客が行っちゃったら、どうするんだよな」
 「父さんも同じこと、言ってた」
「生きている意味、ないよな」
 老婆はマーケットからすぐ近くの小屋に住んでいた。
 畑の角にあって、トタンで周りを囲っていた。夜は明かりがもれているのを見たことがなかった。窓はなかった。
 小屋の前に、道を挟んで幅一メートルほどのコンクリートで固められたドブが流れていた。昼に見ると、ドブの底にはわずかな水が流れていた。緑色の茎の長い草が寝転ぶように流れに揺れていて、その根元に米粒がたまっていた。ニンジンなどの野菜クズが引っかかっていることもあって、ときどき人の足音に驚いた太ったネズミが生活水が流れ出る穴に逃げ込んでいった。
 身体を屈めてドブを覗き込むと、洗濯石鹸のにおいがした。コンクリートは乾いていることが多かった。


 映写機の灯りが急に緩やかになって、カタカタと鳴り始めた。あいつの姿が見えなくなった。影が部屋の隅に吸い取られていった。周りが急に明るくなった。少年たちの姿も消えていた。


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