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この作品に対する感想・要望
2009年09月25日(Fri) 23時25分
投稿者:ヒルナギ ID:QlwYkDRJbg
いえ。
実は抹茶小豆さんの仰ってることにあまり異論はなくて。
要は言い方を変えてるだけな気もするのですが。
魂に直面するのは綺麗ごとではなくて。
魂は清浄で美しいものと戦慄的でおぞましいものの複合体だと思うのですが。
戦慄的なものを罪と呼ぶか、人格の負の側面である影と呼ぶかの違いであって。
罪の許しという受動的なものではなく。
影との統合を意志的に能動的に行うと言いたいだけで。
たんに僕が傲慢であるというはなしなのではないかとも思えます。
2009年09月25日(Fri) 09時43分
投稿者:抹茶小豆 ID:Swhmf52Zf2
ヒルナギさんの言うとおりなのかもしれませんね。
『何が罪で、何が悪か』など、時代背景や主観によってそれぞれ異なり、
それこそ本当は存在しないものなのかもしれません。
しかし、時代を超えて、おそらく誰しもの心の中に『渇く』という感情が存在するのではないかなあと、最近思うのです。
『渇く』というか『魂の痛み』といおうか、
(すいません。あまりうまく説明できません)
人はどういうときに『渇き』どういうときに『満たされる』のか?
そういうのを突き詰めて考えていくと、私的には『罪』と『許し』という概念に辿りついてしまうのです。
漠然と浮かんだ、そういう感情をもっときちんと文章にできるようになりたいです。拙い作品を読んでくださり、ありがとうございました。
2009年09月25日(Fri) 03時12分
投稿者:ヒルナギ ID:HkEAWd.MpE
ひとは意識の錯誤によって愛するひとを拒絶するかもしれない。
その結果悪しき出会いが生じるかもしれない。
本当の意識のあるべき姿へ立ち戻ればそれは克服されるかもしれない。
でも
そこには神の裁きはなく。
ひとの意思だけがある。
そう思いました。
相変わらず変な感想でごめんなさい。
2009年09月25日(Fri) 03時12分
投稿者:ヒルナギ ID:HkEAWd.MpE
読ませていただきました。
僕は少し頭がいかれたひとなので、基本的にはスピノザを信仰しています。
つまり神は何も禁止しておらず罪も悪も存在しない。
神はアダムに知恵の実を食べることを禁止したのではなく、それを食べると
どうなるかという情報を提供したにすぎない。
失楽園の話はグノーシス主義的に解釈すると
悪しき造物主の造った世界からアダムを救出し目覚めさせるために
キリストが蛇となりエヴァを導いたとなりますが。
世界そのものが過ちで造られたというのは面倒なので
全ては意識の歪みによって生じるといったほうがしっくりきます。
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