空の色は重く、美希はなんとなく悟っていた。 アダムとエバは神が食べてはいけないという禁断の果実を食べたのだが、その代償に様々なものを失った。 神というものが存在するのなら、自分は必ず裁きを受ける。 そう思ったのは良心の呵責のせいだったのかもしれない。 携帯が鳴った。 総二郎の同僚からの着信で、総二郎が会社で倒れて救急車で運ばれたとの事だった。 ――――裁きを受けるのは、自分であるはずなのに、なぜ?―――― 美希の思考は半ば呆けていた。 保険証と当面必要な入院の道具を一式揃え、美希はタクシーに乗り込んだ。 愛裏に思い浮かぶのは、総二郎の優しい微笑みばかりで、鞄を持つ手が不自然なほどに震えた。 「病名は胃潰瘍ですが、状態はかなりひどいです。 最善は尽くしますが、出血が多く今はなんとも言えません」 医師は気の毒そうに目を伏せた。 原因は過度のストレス。 言わずと知れたあたしのせいだ。 美希は瞳を閉じる。 なんとなく電気を使いすぎて落ちてしまったブレーカーを連想した。 美希はフラフラとおぼつかない足取りで総二郎の病室を後にした。 そこはキリスト教系の病院で、一回のロビーの横に祈祷室がある。 その中心に大きな十字架のネオンが青とも紫ともつかない優しい色を音もなく発している。 美希はその十字架のまん前の最前列の中央に腰掛けた。 他に人はいない。 美希は十字架を睨み付けた。 「神様、仏様とは申しません。 私が結婚式場のチャペルで、誓ったのはキリストの神のあなたですから、私はあなたに申し上げます。あなたは神で何事もあなたの前に隠せるものはないと思っています。ですから、あなたは私が犯した罪をご存知のはずです。私は結婚式であなたに誓った誓いを果たすことができずに誠実な夫を裏切りました。私があなたに裁かれることは、正当なことです。しかし今私に裏切られた哀れな夫が命を失おうとしています。神よ、それは正当なことではありません。夫の代わりに私の命をお取りください」 それは、祈りというより精神的な格闘であった。 何時間もの間、美希はその場で祈り続けた。 それは自分の命をかけた祈りであった。 そしてそのとき、美希は確かに死んだ。 一樹への恋心を抱き、夫を裏切った美希は死んだのである。
そこにあるのは、自分の命を懸けて夫を救おうとする、妻の姿であった。
真夜中を過ぎた頃、その祈祷室にフラフラと美羽が入ってきた。 「お・・・・お姉ちゃん、 総二郎さんが・・・・」 美羽の瞳に涙が盛り上がる。
美希は今、総二郎の傍らでりんごを剥いている。 その回復ぶりには医者も驚いている。
「年内には退院できるそうよ」
美希は夫に微笑みかけた。
「はい、あ〜ん」
美希はりんごをフォークに刺して、総二郎の口に近づける。 総二郎が退院した後、美希は総二郎とともに実家に帰るつもりだ。 そして自分たちが住んでいたマンションに実家の両親に住んでもらうことになった。 それでWは解消できても、自分が犯した罪が消えるわけではないが、今こうして総二郎の傍にいることができる幸せを思う。
総二郎が一命を取り留めた後、美希は教会に通うようになった。 そこで牧師婦人が言っていた。
「私たちは弱いものです。ですから私たちも毎日神にいのるのですよ。 今日一日、私が夫だけを愛すことができるように、そして夫も私だけを愛してくれますようにと」
聖歌隊の歌うクリスマスキャロルを聴きながら、美希もまた心の中でこの祈りを唱えた。
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