「ねえ、お姉ちゃん、実は私今日友達と出かけることになっちゃって、 今夜一樹さんの分も夕食頼めないかな?」
美希はできるだけ、さりげない風を装った。
「ええ、いいわよ」
今夜は夫の総二郎は出張で帰らない。 美希は頭に浮かぶ邪な考えを打ち消すべく努力した。
何を――――考えているんだ――――
一樹の好物は肉じゃがだ。 本当はもうずっとあたしが一樹に作ってあげたかった。 美気は料理の腕は妹の美羽より数段上だと認識している。 実際美希には絶対舌感なるものがあって、一度食べた味はそっくりそのまま再現することができた。 それになんたって、一樹に関しての思いには年季が入っている。 10年間一樹に対してアンテナを張り巡らせ、今日に至るわけで、 煮えたぎったこの感情はもう自分でも制すことができない。 料理の仕込みを終えた美希は、風呂に入って念入りに身体を洗い、真新しい下着を身に着けた。 一樹は濃い化粧や香りを好まない。 薄くメイクを施して一樹の帰りを待つ。 午後7時を回るころ、一樹は帰宅した。 「ただいま、おう来てたのか」 キッチンに美希の姿を見つけ、ぶっきらぼうにそういった。 「美羽は?」 ネクタイをはずしドカっと椅子に腰掛ける。 「なんか、友達と出かけるって」 何気ない風を装い、料理を温める。 「先にお風呂はいる?」 「おお」 気のない返事とともに、一樹は風呂場に向かった。 湯船に浸かって、浴室テレビを見ている。 美希は意を決して風呂場へと向かう。 髪をアップにまとめ、衣服を脱ぎ捨て、浴室の扉を開いた。 「背中、流そっか?」 一樹は足を滑らせ、浴槽で溺れ強かに水を飲んだ。 「お・・・・おおおおお前」 声が震える。 そこには一糸まとわぬ弟の嫁が立っているのだ。 「あたしを見て」 「ば・・・か、お前なに考えて・・・・」 美希は唖然とする一樹を抱きしめた。 一樹の一物が反応する。 「あ・・・・っやめて・・・・ だ・ダメ、やめて・・・・ い・・・・いや、止めないでくれ・・・・・」
行為の後で美希は頭の芯が甘く麻痺しているのを感じた。 禁断の果実は確かに甘く美味しかった。 やがて甘い麻痺の後には『恐れ』がきた。 夫と妹に対する罪悪感、何よりも事が露見することが恐ろしかった。
――――あたしは、一体なんということをしでかしてしまったのだろう―――― その夜、美希はベッドの上で一睡もできなかった。
翌日の夕方、総二郎は予定どおり出張から帰ったが、すぐに妻の違和感に気がついた。 動作のひとつひとつがぎこちなく、抱きしめても石のように硬い。 それがもっとも顕著に現れたのが、夜の営みのときだった。 美希の膣は、ちっとも潤わず、無理に挿入しようとすると、痛みのあまり叫び声を上げ、飛びのいた。 美希は泣きながら、全てのことを夫に告げた。
翌日、総二郎は電話で美羽を呼び出した。 お互いの職場の近くにあるカフェで、総二郎はすでにホットコーヒーを注文していた。 ほどなく美羽が現れ、彼女もホットコーヒーを注文した。
「兄貴と美希のことだけど・・・・」
美羽はポーチの中から煙草を一本取り出し、煙をくゆらせた。
「君、煙草はいつから?」
それは初めて見る美羽の顔だった。 なんとも物憂い、けだるさの中に彼女の疲れと痛みを見たような気がした。
「大学生のときに、一樹さんのほかにも一人彼氏がいたのよ、 でその彼が吸ってたのがこの銘柄だった」
その話もまた、初めて聞く話だった。
「そうなの?」 「女にはね、愛情タンクっていうのがあってね、 それを満たしてもらえないと死んじゃうのよ」 「兄貴は、君を満足させられなかったの?」 「そうじゃないわ、私は彼でなくちゃ満足できない」
美羽はくゆる煙草の煙を寂しそうに見つめた。
「じゃあ、なぜ?」 「彼は、私のほうを見てくれないわ いつもお姉さんばかり見てる」
総二郎には、痛いほど美羽の気持ちがわかった。 美希もまた総二郎のことは見ていない。 彼女がいつも求めているのは兄の一樹であったのを、総二郎も知っていた。 しかしそれでも良いと総二郎は思った。 その微笑が偽りであったとしても、残酷な真実よりは幾分救いがあるように思えた。
「白状するとね、私は二人がこうなるように、仕向けたの。 そして、頭のどこかで一樹さんが私を選んでくれることを望んでた」 「矛盾してるね」 「そうよ、でもそれが女心ってもんなのよ」
落葉が秋の終わりを告げ、木枯らしが容赦なく吹きつけた。 総二郎は思わず身震いし、己の腕を抱いた。 ふと目の前に赤い十字架のネオンが目に入り足を止めた。 なんとなく扉を開けると、祈祷会のために数名が集まり、牧師の話に耳を傾けていた。 総二郎は一番後ろの席に遠慮がちに腰掛けた。
『すると律法学者とパリサイ人が姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中においてから、イエスに言った。『先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところであなたは何といわれますか』 ヨハネの福音書の8章の有名な箇所だった。 総二郎はイエスの中に自分を見ているような心境になった。 『あなたがたのうちで、罪のないものが一番最初に石を投げなさい』 総二郎の心の中には、一樹と美希を殺したいほどの憎しみがあった。 しかし、二人の気持ちを知りながら、そこまで彼らを追い詰めた自分に、果たして罪はないのだろうか? 祈祷会が終わった後、総二郎は帰路に向かいつつ堂々巡りを続けた。 そして結論を出した。
「自分は、相手を許すことはできない。 そして相手を裁くこともできない。 ならば、自分もその罪を犯し同じ土俵に立てばよいのではないか?」
そして兄に電話をした ――――毎月第一金曜日は、お互いのパートナーを取り替えないか?-―――
意外にも、美羽はその申し出をすんなりと受け入れた。 「へえ、面白そうじゃない」 あまりにもさっぱりとした妻の態度に、一樹は拍子抜けした。
「だけど、覚えていてね。 私はあなたとは絶対に別れないわ」
それは心を凍らせた女だけが見せることのできる氷の微笑だった。
総二郎は、部屋を出る前にいつものように美希を優しく抱きしめた。 「君は、その行為に罪悪感を感じることはない。 僕も、今夜君と同じ行為をするんだから」 愛してる、とは言わなかった。 彼女の重荷になることが分かっていたから。 自分の愛する者のもとへ行け。 それが自分にできる彼女への愛情の全てだった。
隣の部屋で美羽が総二郎を待っていた。 二人は今寝室にいる。 Wベッドに座りながら言葉を交わすことは、ない。 やがて壁一枚を隔て、美希の喘ぎ声が聞こえてきた。 最愛の妻が、今他の男に陵辱されている。 それは総二郎にとってそれは、キリストの磔刑に値するほどの苦痛だった。 「ばかねえ」 美羽の掌がそっと総二郎の耳を塞ぎ、その胸に抱きしめた。 その眼差しは悲しみの聖母そのものの慈愛に満ちていた。
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