―――― そのそも・・・・ これが、このクソややこしい話の発端となったわけである――――
それは甘く酸っぱく切な〜い、ある少女の思い出なのである。 年の頃なら、14か15。 少女は恋愛があまり得意でない。 見るからに真面目そうな面持ちで背伸びをし、一生懸命に体育館を覗いている。 白い半袖のブラウスにはきちっとアイロンがあたっており、背中まで伸びた美しい黒髪はきちんとおさげに編みこまれている。 楚々とした風貌は好感をもてるのだが、如何せん少々鈍臭いのが、玉に瑕?な彼女である。
そこで行われているのは、バスケ部の地区大会の決勝戦。 中学3年の夏、それは彼らにとって最後の夏なのであった。 背番号7を身に着けた、勝気そうな少年が宙を舞い、放ったボールが鮮やかな弧を描く。 少女は胸元で手を握り締め、祈る。 「はいれ!」 蒸せかえるような熱気が体育館を包み、刹那割れんばかりの歓声が起こる。 土壇場の逆転勝ち。 少女は興奮した観客に弾き飛ばされ、グラウンドに尻餅をつく。 仕方なく、彼女は汚れた手と制服を洗うべく体育館の裏にある水道へと急いだ。 なぜだか涙が溢れて止まらなかった。
この頃、少女はどうやら初恋というものを覚えたのらしいのだが、どうにもそれは御しがたい感情で、それを素直に表現することもできず、ただ物陰からそっとバスケ部のエースを見つめ続けるという、少々ストーカー的なというか、完全な片思い状態であった。
「おい、美希!」 背番号7がいる。 気分よさげに、少し興奮しているのか鼻を膨らませる。 「勝ったぜ!」 「うん、おめでとう」 少女は泣き笑いの顔で少年に祝福を述べる。 そのとき、遠巻きに見ていた女子の数人がやってきて少年にタオルを渡す。 「あの・・・・これ使ってください」 どうやら後輩と思しき少女たちに、少年はにこやかに応対する。 このとき少年は少し調子に乗っていた。 若さゆえの傲慢というやつか・・・・。 普段あまりモテナイ男が、ちょっと女子に好意を持たれたときに、あっぷあっぷな状態になり引き起こしてしまう『オレはモテるんだぜ!』というメッセージを暗に含んだ微妙な牽制球。 それを見てドン引きしてしまう女子は結構多い。
「一樹って、モテるんだね」 少女の顔が苦痛に歪む。 その表情を見てとって、一樹は意地悪く微笑を浮かべる。
「おい美希、お前俺のこと好きだろ?」
耳まで赤くなった美希を少年は余裕で眺める。
「お前が、俺のことをどうしても好きっていうんなら、付き合ってやっても・・・・」
少年は腕を頭の後ろに組んで、ニヤニヤと少女を見つめる。
青い!青いぞ少年!!!
「ち・・・・ちがうもん」 少女は俯き頭を振った。 それが、少女のできる精一杯の抵抗だった。
少年は顔色を変える。
「うそつけ!お前試合中俺のことばっかり見てたじゃないか!」 「う、自惚れないでよ、誰があんたみたいなサル頭のことなんて好きになるもんですか!!!」 売り言葉に買い言葉、ええい、あとはどうにでもなれ。 「さ・・・サル頭だと!!!」 少年は真っ赤になって怒り狂う。 「じゃあ、お前は誰が好きなんだよ!」 「あたしは・・・・ あたしは総二郎が好き!」 窮鼠猫を噛む??? その言葉は明らかに少年の心を強かに打ちのめした。 KOである。 少年の瞳になんともいえない苦痛の色が浮かび、 二人の間に微妙な空気が流れたのだった。
「あたしは総二郎が好きなのよう!!!」 気付けば少女は大声でそう叫んでいた。 一泊置いて、体育館の横に位置する美術室の引き戸が開く。 古びてはいるが、どこか趣のあるこの美術室から、一樹と同じ顔の少年が茹蛸になって顔を出す。
「あ・・・あの、美希ちゃん、今のって本当?」
油のきれたブリキの人形よろしくである。
「あ・・・・総ちゃん・・・・・あの・・・・」
少女もつられたように赤面し、思わず口ごもる。
「僕、もうずっと美希ちゃんのことが好きだったんだ!!!」
感極まった総二郎少年が声高に叫ぶ。
サッカー部、野球部、陸上部・・・・以下略の多くのギャラリーが彼らを取り囲む。 少女は腹をくぐった。 一泊置いて息を吸い込む。 少女は一樹少年をきつく見据え、
「そうよ、あたしは総二郎が好きなの!!!」 刹那、1組のカップルが生まれたことを誰もが喜び、拍手喝采と様々な野次が飛んだ。
――――嗚呼、試合に勝って勝負に負けたというのは、このことかもしれない。―――― 少女は空を見上げる。 空は青く、どこまでも高かった。
一樹は一瞬硬直し、顔色を失うが次の瞬間真っ赤になって怒鳴った。 「ああそうかよ! だったらお前らとっとと付き合えば?」
「ええ、ええ。そうしますとも! あんたに言われなくても、こっちもそのつもりよ!」
思ってもみない言葉が溢れだして、自制できない。 少女は岩石に頭を打ち付けたい気分だった。 総二郎の瞳が潤む。 完全に恋をしている乙男のそれである。 総二郎の手が、少女の掌を包みこむ。
「僕と付き合ってください」
少女の背中に冷たい汗が滴り落ちる
自室ベッドに寝転びながら昼間の出来事を思い、少女は激しく自己嫌悪に陥る。
「ダメだ、やぱりきちんと総ちゃんと話をして誤解を解かなくちゃ」
美希はベッドから重い頭を上げると、おぼつかない足取りで、部屋を後にした。 家の勝手口から外に出て、いつものごとくにお隣の敷地への無断侵入よろしく足を踏み入れる。 総二郎は二階にある自室の窓を開け、ぼんやりと夜風にふかれていた。 視界に美希の姿を認めると、少し頬を紅潮させ、嬉しそうに手を振った。
「僕まだ夢をみているようなんだ」
美希は言葉を飲み込む。
「小さい頃からずっと、美希ちゃんのことが好きで・・・・ だから美希ちゃんが、今日僕のことを好きっていってくれて本当に嬉しい」
夜風が頬を撫でる。 不思議とそれは嫌な感覚ではなかった。 それは総二郎の優しい瞳に見つめられる感じと似ていた。 思えば、幼い時分から美希はその感覚を心地よいと感じていたのかもしれない。 幼いながらに、そこには一種の愛情があった。 故に美希は決して総二郎を傷付けたくないと思った。
総二郎の唇が美希に重なる。 それは不意のキス。 総二郎は少し震えていた。
「あっ・・・・」
美希は凍りつく。
「おーい、総二郎〜 風呂次お前の番だぞ・・・・・」
パンツ一丁で一樹が総二郎を呼びに姿を現し、 凍りつく・・・・。
それは中学3年生の一樹少年には、少々刺激がきつかった。 自宅の裏庭で、キスをする男女。 男は自分の双子の弟で、女は自分の初恋の女の子。 てっきり彼女は自分のことが好きなのだと自惚れていた。 しかし彼女は自分ではなく、弟の総二郎が好きなのだといった。 一樹少年は大いに自尊心を傷つけられ、あまつさえ二人のキスシーンまで見てしまったのだ。 一樹少年はこのときはまだキスを経験したことがなかった。 今まで、全てにおいて勝っていると思っていた弟に先を越されてしまった。 なんだか妙に男のプライドも少々傷ついている。
嗚呼――――晴天の霹靂
それは一樹少年にとっても、ほろ苦い中学3年生の夏の思い出であった。
|
|