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作品名:踵を掴む者 作者:抹茶小豆

第2回   逃亡
母が高弘の異変を察し、一足先に裏口から宏次を逃がす。
宏次は深夜のプラットホームへと走った。
それは惨めな旅立ちだった。

乗り込んだ電車の中で、宏次はしばしの微睡みを得る。
夢の中で、父が歌っていた。

『主よ、いよいよ近づかん
 輪が踏むべき 十字架の
 道をさけて 行くべきかは
 主よいよいよ 近づかん』

クリスチャンであった父は、子供の頃よく兄と自分を教会に連れていってくれた。
そしてよくこの歌を歌っていた。

―――罪の呵責?―――
今更、と自嘲する。
この歌は確か4番まであるのだが、2番は確かこうだったと思う。

「野を旅して 夕暮れに
 我の石をば 枕に
 野宿せしが 夢にもなお
 主よみもとに 近づかん」

この歌詞の意味は、あの昔話の続きとなる。
―――兄エソウの長子の特権と神の祝福を奪い取った弟ヤコブは、兄に命を狙われ叔父のもとに逃れてゆくのだが、その旅の途中で石を枕に眠っていると神の使いが現れ、必ずヤコブを祝福すると約束する。―――

「神ねぇ・・・」
理不尽な存在だと思う。
―――あんたが俺を兄より先にこの世に誕生させてくれてりゃ、
俺はこんなことせずに済んだんだ。―――

朝日がのぼる美しい田園風景を眺めつつ、宏次は思う。
―――俺はヤコブなんて人とは違う―――
「神なんて、信じない」

―――俺が、神なんだ―――

信じられるのは己のみ。
運命というものを切り開くのは、己の才覚でしかない。
奪い取ってでも。

宛てもなく、宏次はある田舎町に降り立った。
田植えにはまだ間があり、しばしの休息を得たその土地に菜の花が咲き競う。
傷心からか、それは心に染み入る光景であった。

親切そうな老婆がひとり、その道を通りかかり、宏次に声をかける。
行く宛てがないことを告げると、快く自分の家に招き入れ、離れにある一室を供してくれた。
老婆が作ってくれたおにぎりを頬張ると、
涙が溢れて止まらなかった。

いつまでも好意に甘えていられないと、宏次は仕事を探す。
どんな仕事でも精一杯がんばるつもりだった。
程なく、観光客が多く訪れるという地元の鮮魚市場での仕事が決まり、老婆にそのことを告げると、自分のことのように喜んでくれた。


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