表の通りを走る車がタイヤで跳ねる水の音で目が覚めた。 室内は薄暗く空気がひんやりと滞っており、毛布一枚では肌寒いくらいだ。 雨が降っているようだが、細かい雨なのか雨音は室内までは聞こえない。 陽子は毛布の中でからだを伸ばしてから反転させ、枕元の携帯電話で時間を確認した。 8時半を過ぎているのに、隣室も静かだ。ふう、と息を吐き出してからベッドに体を起こした。 襖の隙間からは蛍光灯の明かりが漏れている。どうやら母は起きてはいるらしい。 両足を揃えてベッドから起き出し、椅子の背に掛けてあるカーディガンを羽織ると襖を開いた。 電気ストーブが点いているおかげでほのかに居間は暖かい。ストーブの上で薬缶がしゅんしゅんと音を立てている。 卓袱台で帳簿をつけていた母は電卓を叩きながら目だけで陽子を見た。 陽子もなんとなく軽く片手を挙げただけで洗面所へと行く。 火の気のない台所は10月の半ばだというのに寒かった。蛇口をひねるとさあっと勢いよく水が溢れ出してくる。むくんだ顔にぱしゃっと冷たい水をあびせた。
洗面をすませ、居間に戻ると母がヤカンの湯を急須に注いでいる。こぽこぽと注がれるよい音がし、茶が香り立つ。 母の向かいに座ると、陽子の分の湯飲みをことんと置いてくれた。 陽子は無言で受け取り熱い茶を吹きながら飲む。体がぬくもった。 母は首を回し、また帳簿に目を落として電卓を叩いている。 押さずに叩かなければならない旧式の電卓なのだからそろそろ買い換えれば、となんども勧めてはいるのだが使い勝手が良いのだと譲らない。 母は顔を上げずにため息をつきそして伝票をめくる。子供相手の小さな学習塾を昔からやっているのだが、大手に通わせたい親が年々増えているし子供の数は減って行っている。 愚痴をこぼしはしないが眉間がけわしい。 陽子は藪蛇を突かないよう黙って肘をついたままぼんやりとしていた。
近所の子供が雨だというのに朝から声を上げて遊びに行こうとしているのか廊下で声をあげたのが聞こえた。 ばたん、と乱暴にドアが閉まり廊下を律動的な足音が近づいてそして遠ざかってゆく。階段をかんかんと軽い足取りが下りていって、そして消えた。 薬缶の蒸気の音。 電機ストーブの赤い光。 陽子が湯のみを卓袱台に戻すと母が取ろうと手を伸ばした。もういいと言おうとして母のその手を押さえて止める。節くれだった母の指には色も飾りもなかった。 その手を見つめながら、陽子はこの数日考えていたことへの結論が出た気がした。
「わたし、やっぱり結婚するのやめる」 言葉に出してみると、すとんとその答えが胸の中に落ちてきて納得できた。何故あんなにも煩っていたのだろうか。そのほうが不思議なほどだった。 母は吐息のように、そう、と呟いた
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