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作品名:ラズベリーの白い赤 作者:青山 裕希

第2回   2
 「じゃあまずはオレからやろう」
 みんなが揃った部屋でリオが言った。
 「第六感って言葉があるよね。それってどういうメカニズムか知ってる?」

 清原利央は、私たちはリオと呼んでいる、いつものように腕を組んでそう言った。
 全然気を遣われていないぼさぼさの髪に、フレームレスの眼鏡の向こうのグレーの瞳、無精ひげが残るシャープなあご、彼は大学四年間を通して全然変わっていないと思う。
 ブラジル人とのハーフである彼はその彫りの深い顔で私たちを見まわす。
 これでも彼は二年間浪人していて、私たちの中では一番年上だ。

 「メカニズムが分かってないから第六感なんだろう?」
 葛西はそう言った。
 「というか五感で説明できない、その他の感覚をそう定義づけてるような気がするな」

 葛西幸喜はそう答える。
 リオと並んでいると葛西は品行方正な、育ちのいいお坊ちゃまのように見える。
 中身は全く逆なのに。
 彼は髪をオールバックにきれいにまとめて、白と黒のチェックのネクタイを締めている、このネクタイも四年間変わってない。

 「確かに予感とか虫の知らせとかって、はっきりしないものよね」
 土屋晶は間延びした声でそう言う。
 ひと際目立つ真っ赤に染められた髪や、180センチ近くある身長や、切れ長の瞳や。
 よく晶と仲良くなれたな、と私は思う。
 もし同じサークルに入らなければ、きっと私たちは一言も交わすことはなかっただろう。

 「感覚ってものは、体のある一部の器官で受容した情報がまっすぐ脳に届いたときに初めて認識される、ものだよね。第六感ってそれと同じプロセスを経てると思う?」
 リオは言った。

 「そうじゃないか?たぶん、それがあまりにも些細だからどこでその情報が発信されたかはわからないわけで、それでも脳に届いた感覚だけは残るからそれを第六感って定義したんだと俺は思うね」
 葛西はそう答える。

 「私もそう思う」
 アユキもその論に加わった。
 「だから第六感って曖昧なんじゃないのかな」

 桐山亜由紀、アユキは静かだけど晶と同じくらい人目を引く女の子だ。
 葛西と違って見かけ倒しじゃない、本当の育ちのいいお嬢様だと思う。
 去年うちの大学のミスコンに出てから、ますます彼女は有名になった。
 それでも彼女には男の噂とかは一切立ち上らない、何しろ彼女はもう結婚しているのだ。
 私たちと出会った頃は彼女はまだ「西川さん」だった。
 「たとえば、何か大きい災害があったあとにそれを予見していたって人が結構多く出てるよね。でも私が思うに、この世界で常に何人かに一人がかわりばんこにそういう予兆を感じてるんじゃないかなって思う。ほら、私たちもときどき胸騒ぎがするってことがあるでしょう?たまたまそういう時に天災に出合った人たちがそれを予見してたって言ってるだけじゃないかって思うの。だからそういうのって超常現象ではないと思う」
 とアユキが言った。

 「確かにそうかもね」
 晶は言った。
 「でもリオが言ってるのはその胸騒ぎのメカニズムなんじゃないの?」

 「いや、アユキの言ってることは大筋では外れてないよ。そして、別にオレは超常的な力を信じてるわけじゃない」
 リオは言った。
 「オレも第六感っていうのは何かを予見したりとか、霊媒的なものを介して得られるものじゃないと思うしね」

 「じゃあリオはどう思うのよ?」
 晶が訊ねる。

 リオは立ち上がり、軽くつま先で地面を蹴ってみせた。
 とん、とん、と音が部屋の中に響き渡る。
 「たとえば、今オレのつま先は地面を打ってる。その感覚はつま先から足を通って胴体を通って脳に届いてる。だからオレは足が地面を打ってる事を感覚として受け取ることができてる」
 とん、とん、音は一定のリズムで響き続ける。
 「今の科学で説明できるのはこんなところだろう」

 部屋はだいたい10畳くらいあって、私たちは車座になっていた。
 外の壁と同じ乳白色の壁紙は時を経てところどころかすけている。
 レースのカーテンの向こうには深い紫に染まった海がある。
 漁船の明かりが真珠のようにその中できらめいていて、水平線の向こうにはぼんやりと拡散された光の雲が見える。
 それは海面をあまねく照らし、波に揺られてさざめいている。
 とん、とん、とん、リオの足で地面をたたく音が私の意識を引き戻す。

 「そもそも刺激を神経を受け取り、伝達し、脳に届けるというシステムは何を根拠にしているか。それは感覚が働く時に電気信号が神経を駆け抜けて脳に届くっていう事実だ」

 「それ、中学校の時に実験でやったよね」
 青山が口を開いた。
 「ほら、蛙の体に電極をつないでさ」

 青山祐希はそう言ってほほ笑んだ。
 青山は人当たりがよくて、私たちのサークルの部長をしている。
 誰とも仲良くやっていける、そんな人だ。
 栗色の短い髪の毛をちょっとだけ立てて、体もがっしりしてるけど普段はおとなしいし口数も少ない。
 まあ、お酒が入ると別なんだけど。

 「ああ、あたしもやったかも。確か足に電気を流すとぴくぴく動くやつでしょ?」

 「それは違うだろ、晶。その逆だよ、足を動かすと電気量が増えるってやつだろ」
 葛西がそう言ってカエルの足をつまむ真似をしてみせる。

 「それは体に動けって命令してる方だね。いや、まあそれもメカニズムとしてはあながち外れていない」
 リオはそう言ってようやく地面でリズムを刻むのをやめた。
 「そういう研究が進んで、しばらくして科学はこういう結論を下す。脳は体を統制する機関で、肉体はその乗り物。オレたちの思考や感覚は脳が司ってるってね」

 「それが何かおかしいの?」
 と、アユキがそう訊ねる。

 「大いに違うとオレは思うよ。今地面を叩いていた体験っていうのはあくまでオレの右足の体験であって、この熱っぽさや地面を打ってた時の感触の余韻は右足にしか残ってない。たとえば一日中鉄棒を練習した日の夜は、オレたちの手は寝てる間も鉄棒を握っているような形に握られてるらしいんだ。それは決して脳が命令してるわけじゃないだろう?両手が一日を通して反復した体験、感覚を引きずっているってことじゃないかとオレは思う」

 「無意識に脳が命令を出してるんじゃないの?」
 葛西はそう口を挟んだ。

 「無意識」
 リオは言った。
 「それが核心だよ、葛西。オレに言わせたら脳なんて全身の体験をただ集めてまとめておくだけの、書庫なんだと思う。神経はそれを全身に送り届けたり、全身から体験を運んでくるただの宅配係だよ。感覚を受けたり、思考したりしているのはあくまで全身、この肉体そのものなんだ。脳はそれを束ねているし総合しているから、思考しているかのような錯覚に陥る。目や鼻や耳や、主要な感覚器に近いから感覚を携わっているかのように欺かれる。無意識とはつまるところ、脳を介さずに行われたってことなんだ。もちろん、手には手の、足には足の、脊髄には脊髄の、独自の体験があり思考があるからそれは大いにあり得ることだ。脊髄反射なんて、無意識のほんの氷山の一角だとオレは思ってる」

 「脳科学は勉強したことがないから分からないけど、言いたいことは分かるかな。確かにわたしたちが考えてる事を電気信号の集積ですなんて言われても、得心いかないもんね」
 ようやく、慧子が口を開いた。
 「それで?そのことがどう第六感とつながるの」

 月島慧子は壁に身をもたれかけさせたまま、長い前髪をかきあげた。
 真っ黒な髪が液体のように慧子の顔を逸れていった。
 健康的な小麦色の肌は彼女をアウトドア志向な人物に見せかけているが、実際はほとんど家から出ることがない。
 それもあってか、彼女は私たちの中で唯一、卒業までにまだ必要単位を残している。
 と言っても結局難なく単位をもぎ取ってしまうのだろう、それが月島慧子なのだ。

 「そうだね、話が脱線してしまった」
 リオは慧子の方に向き直って苦笑した。
 「第六感っていうやつは、つまるところ脳そのものの体験、思考なんじゃないかとオレは思うんだ。この頭の中に詰まってる神経の塊も、もちろん人間の肉体であって、思考もするし感覚だって受ける。問題はそれはどこからも由来していないし、どこにも帰結しない。だからうまくその第六感ってやつを捉えることができない。脳は常に様々な情報が送られてきたり、送ったりしているのを介している。感受している。そうしているうちにふと脳で送られてきた情報に対して引っかかりを感じる。もしくは送信されていく情報の背中を見ていて何かに気づく。それが第六感ってやつじゃないかと思うんだよね」

 「それはつまり、さっきリオが言ったところの右足のつま先がした体験と同じように、脳自身がなにかを体験したっていうこと?」

 「そう。誤作動って言い方もできるけど、脳は日々膨大な情報を送受信しているわけだろう?その中で今までとは違う異質な情報、もしくは今までに類似したものが何らかの悪影響を与えたことのある情報、何らかの原因で送受信のうまくいかなかった情報。それらに対して脳が違和感に気付き、反応する。それが第六感のメカニズムだと思うんだよ。」
 リオはそう言って小さく咳払いをした。
 「オレの卒論に関してはそんな感じ。もし不明な部分とかおかしいと思う部分があったら言ってみてくれよ」

 「第六感って深く考えたことがなかったからな、ってか深く考えることじゃないじゃん」
 葛西はそう言って苦笑した。
 「でも何らかの情報に反応してるっていうことは、はじめに俺が言ったこともそんな間違ってないことない?」

 「いや、それは違うと思うよ。情報の内容じゃなくて情報の形式に脳が反応するんだ。脳があくまで自分の機能の中で、そういう反応をするんだ」

 「そんなもんかねぇ」

 「まあ、ニュアンスの違いと言えばそうだよ」

 「それにしても初っ端からヘビーなのがきたよね、あとでやるあたしらの身にもなってよ」
 晶が苦笑した。
 「脳がものを考えてないっていうのは不思議な感じがするけど」

 「ただものの見方を変えただけって感じはするけど」
 アユキが口を挟んだ。
 「しっかりと意見がまとまってて、大丈夫だと私は思うよ」

 「ねえ、リオ」
 慧子が意地悪な笑みを浮かべて言った。
 「あなた、ドグラ・マグラを読んだでしょう?」

 「うっ」
 リオが一歩後ずさりをした。

 「脳幹はものを考えてない、胎児の夢だっけ?前半部分はそのままドグラ・マグラからの借り物みたいだね。でも第六感の下りはよかったよ、そこをもっと掘り下げれば形になるんじゃない?」

 「善処いたします」
 リオが小さな声で言った。
 「そうだよなあ、そこはもう少し練り直さないと」

 「ああっ、もう7時を過ぎてるよ」
 青山が立ち上がった。
 「続きは後にして、とりあえずご飯を食べに行こうか」

 気がつくと、時計は7時を15分も過ぎていた。
 窓の外はすっかり暗くなり、漁船の光はいっそう増え、輝いていた。
 夜空には星も月も浮かび上がっていない、もう雲が空を覆い隠しているのかもしれなかった。
 やっぱり明日は天気が荒れるに違いない。

 私たちは次々と立ち上がって、部屋を後にした。
 第六感、私は階段を降りながらその言葉を反芻していた。
 けっきょく、第六感は信ずるに値するんだろうか。
 階段を下りていく足音がいくつも重なる。
 いったい私は何を感じているんだろう?


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