夕方、和宏は、重い足取りで病院に向かった。どうしてこんな気持ちなのに僕は行くのだろうか。和宏は、少しで良いから受け入れてほしかったのだ。僕の大事な身内なのだから。きっと、今日も、駄目なのかもしれない。それでも、会いに行こうと思う。 「こんにちは」 病室にはいると、美子は、昨日と同じようにベットに腰掛けていた。 「あ、和宏君、今日も来てくれたんですか」 少し、表情が和らいだ。和宏は、それでも、緊張していた。 「和宏君、昨日は、ごめんなさいね。私、なかなか、圭一の死を受け入れられなくて。でも、少しずつ受け入れて行かなきゃね。ごめんなさいね、貴方に酷いことを言って。ただ、また、ふと、あんな言葉が出てしまうかもしれない。そうしたらまた、貴方を傷つけてしまう」 和宏は、表情を和らげ、 「僕は、大丈夫です」 そう、貴女がそうやって言ってくれることが、僕を慰めてくれるんだ。きっと、母も貴方のように優しい女性だったのだろう。 「でも、また傷つけるかもしれない」 美子は、和宏を傷つけるのが怖かった。姉の子だからどこかで疎ましいと思っているのだろうか。そんなことはないと思うのだが、やはり心が狭いのだろうか。 「僕は、圭一君のことよく知りません。それに母のことも。だから僕は貴女に教えて頂きたいんです。駄目ですか」 「いいえ、私で良ければ。また、来てくれますか」 「はい、毎日でも伺います」 美子は、少女のように笑った。 佑美は、雅之と公園まで歩いた。途中で雅之は、暖かい缶コーヒーを、佑美は、暖かい缶のミルクティを買い。 公園のベンチに二人で腰掛け、温かい飲み物を飲んだ。 「寒かったね、ごめんね」 「いいえ、大丈夫です。こんな風に公園で過ごすのも良いですね」 佑美は、薄暗くなっていく海を見ながら笑顔で答えた。 「いつもね、圭君とここで会っていたの」 笑顔だが寂しそうな佑美を見て、雅之は、思わず、佑美の肩を抱いた。佑美の髪の香りがした。佑美は、一瞬、何が起こったのか解らなかった。雅之は、何をしているの。顔を雅之の方へ向けると、雅之と目があった。そのまま、雅之の顔が近づいてきた。 「いや」 佑美は、雅之を突き放した。雅之も、はっとし、手を離した。 「佑美ちゃん、僕は」 「やめてください。私は」 佑美は、瞳一杯に涙をため、立ち上がった。そのまま、背中を向け、早足で歩き始めた。 「待って、佑美ちゃん」 雅之は、佑美の腕をつかんだ。佑美は、もう抵抗しなかった。泣きながら雅之を見た。 「ごめん、でも、僕はずっと君が好きだった。だから、僕の正直な行動だ。すぐに僕を見てくれとは言わないよ、時間がかかっても良い。圭一君を忘れられなくても良い、少しでも僕に気持ちがあったら僕の気持ちを考えてくれないか」 「だって、この前、圭君が死んだの。だから、そんなこと考えられない」 佑美は、涙も拭かず、雅之を見つめ答えた。 「僕も、もう少し待とうと思った。佑美ちゃんが落ち着くまで。でも、あまりにも儚くて消えてしまいそうで、このままこの手を離してしまったら、消えてしまうんじゃないかと思ったから。もう、誰も失いたくないんだ」 雅之は、美由紀を思った。あんな悲しみはもう沢山だ。 「私は、消えてしまいたい。消えたら、圭君に会えるんだったら今すぐ消えたい。でも、会えない、きっと会えない」 泣き崩れそうになる気持ちを何とか踏みとどまって佑美は、立っていた。 「佑美ちゃん、僕は、君に側にいてほしいと思っている。君だったら、僕は、幸せになれるんだ」 「私は・・・今は、何も考えられないの」 雅之は、手を離した。 「ごめん、先走りしたね。きっと、嫌な男だと思うよ」 雅之は、じっと、佑美を見つめたままだった。真っ直ぐ見つめる雅之の目が苦手だったが、今は、その瞳の中に、真実が隠れていたことに気づき、優しさが見えるようになった。そう、今は嫌ではないのだ。この心の変化は何だろう。どうしても雅之の気持ちを拒む事が出来ない。ずっと、気になっていた。ふと、どこからか聞こえてくる声。私の内側から沸き上がるように、私の気持ちを乱す声だ。佑美は、やっと、目を逸らすことが出来た。 「お願い・・苦しいから、見つめないで」 佑美は、そう言い、はっとした。何を言っているの。佑美は、そのまま、雅之に視線を移した。雅之は、とまどった表情の佑美を見つめ、そして、理解した。気持ちは通じていた。佑美も少なからず、僕を受け入れようとしてくれていたんだ。 「佑美ちゃん・・」 佑美は、溢れる涙を拭きながら、 「解らないの、だから、だから、今は待ってほしいの」 悲しみを持って行くところがないからかもしれない。ただ、甘えていたいだけかもしれない。だから、今は、まだ・・。 「佑美ちゃん、大丈夫だよ。時間はあるから、いつまでも待ってるから」 雅之の優しさが伝わってくる。佑美は、笑った。本当に心から笑った。久しぶりだった。笑顔が戻るなんて思いもしなかった。 「ありがとう」 佑美は、雅之を見つめた。 坂を上がってくる一人の男性がいた。その男性は、公園の前に二人の人物が立っているのに気づいた。 「あれ、佑美、どうしたんだ」 和宏だった。 「お兄ちゃん」 「あ、横川、どうしたんだ」 「どうしたって、お前らだって何してるんだ」 「偶然会ったんだ。それで、ずっと、話をしていたんだ。お前、早く帰ったよな。どこか行っていたのか?」 ああ、と言いながら和宏は何も言わなかった。今日は、受け入れてくれた美子。明日も大丈夫なのだろうか。もうきっと、大丈夫なのだろう。そうなれば佑美の事も受け入れてもらえる。そう思いながら佑美をいつの間にか見つめていた。 佑美は、そんな和宏の視線が怖かった。私の揺れ動く心を見破られているのではないかとふと感じた。 今はまだ、話す時期ではない。もう少し、本当に佑美が、僕を見てくれるようになれば和宏に話していい、雅之は、そう考えていた。 三人は暫く沈黙が続いた。 「佑美、帰ろうか」 その沈黙を破ったのは、和宏だった。 「うん」 佑美は、ちらっと雅之を見た。その瞳は、拒否的ではなかった。きっと、その瞳は、僕だけを見てくれる日が来るのかもしれないと、願いたかった。 「じゃあ、また、明日」 雅之も二人に向かってそう告げた。 「お休みなさい」 佑美は、俯きながら、雅之にそう告げた。 佑美と和宏は、無言のまま坂を上がった。「何してたんだ、佑美」 優しいけど、厳しい口調で聞いた和宏だった。 「手を合わせていたの、圭君の事故現場で。その時会ったの。それでいろいろ話していたの」 嘘を言った事で胸が痛んだ、佑美だった。 「あんまり遅くならないように帰らないと、お母さんが心配するからね」 「うん、ごめんなさい」 佑美は、圭一を思った。やはり涙が溢れそうになる。でも、少し、変わったような気がする。少しだけだが。雅之のことを考えてみた。どうなるのだろうと思った。きっと雅之は、いつまでも待ち続けそうな気がする。心苦しいところもあるが、救われるところもあった。私は、圭一を忘れることはない。忘れたくないのだ。ずっと、好きでいたい。圭一の分まで人生を生きたい。圭一がしたかったことをしてあげたい。それが、私のこれからの人生なのに。どうして雅之が気になるのだろうか。今は、優しくされるから気になるのかもしれない。そう、優しさに飢えているだけだ。だって、私が会いたいのは圭君だけ。圭君が居てくれたら、そうね、雅之の事が気になったりはしないのに。やっぱり辛い。圭一が居ないと思うと実感すると、くじけそうになる。生きなきゃね。解ってるよ、圭君。圭君の分まで生きなきゃね。でも、駄目なときもあるんだよ。寂しくて圭君に甘えたくて、でも、今は居ないじゃない。私、そんな時、どうしたらいいの。教えてよ。私、そんなに強くないのに。私、一人じゃ辛くて悲しくて。だから、雅之に惹かれているの?。違う、ただ、気になるの。雅之が気になる。どうしても心を許してしまう。なぜだか解らないけど。 佑美は、空を見上げ、沢山の星を見上げ、泣いた。会いたいと思う。圭一に今すぐ。でも、出来ないことも解っている。携帯電話のメールが届いた。メールを開くと、雅之だった。 『今日は、ごめん。でも、僕は、君だけをずっと見てきた。ずっと、好きだったんだと思う。信じてもらえないかもしれないかもしれないけど。僕は、圭一君のことを忘れてもらおうとは思っていない。それでも少しでも僕を見てくれるならそれでいい』 雅之の気持ちは嬉しかった。でも、それで良いの?辛くないの?ずっと、違う男性を思っているのに。佑美には、理解できなかった。そんなの、悲しすぎるよね。どうして、それでも良いと言えるの?佑美は、とまどっていたのだ。 和宏は、次の日も、病室に訪れた。 「明日、退院になったのよ」 明るく話す美子を和宏は笑顔で見ていた。 「今度の日曜日に圭一の四十九日をすることになって。もし良かったら来て頂けませんか」 和宏は頷いた。僕の弟だ。僕は、送ってやらないと。 「でも、佑美さんには、まだ会いたくないの。ごめんなさい。どうしてもまだ会えないの。心の準備も出来ていないから」 「解りました、僕一人で来ます。両親にも内緒にしておきます」 「ありがとう」 きっと、佑美に会うのが辛いわけもよく解る。何故うちの子だけと思っているに違いない。それがおかしいことだって美子にも理解できている。それでも会えないことが和宏にも解るのだ。だから、責めることも出来ないのだ。佑美は、また一人で墓参りに行くだろう。一人で行くのが辛かったら僕が一緒に行ってあげよう。でも、どうやって伝えよう。その時は、両親に伝えてもらおう。 授業が終わり、佑美は、ぼんやり歩きながら校門を出ようとしていた。 「佑美ちゃん」 その声は、雅之だった。佑美は、声が出なかった。私を待っていたのだろうか。少し笑ったと思う。笑顔で雅之に頭を下げた。どうして笑うことが出来たのだろうか。 「ごめん、待ったりして」 「いえ」 佑美は、なんて答えたらいいのか戸惑っていた。雅之を嫌いなわけではない。どちらかというと好意を抱いている。だが、まだ圭一も忘れられないのだ。だから、いい加減な気持ちで雅之とは付き合ってはいけないのだ。 「真っ直ぐ帰るの?」 「はい」 「一緒に帰って良い?」 「はい」 二人は沈黙の中、坂を上がっていった。 「少し、公園で話さない?」 少し戸惑いながら、佑美は、頷いた。 ベンチの腰掛けてぼんやり薄暗くなっていく海を眺めていた。 「ごめんね、迷惑だったね」 「いえ、そんなことは」 佑美は、どう答えたらいいのか解らなかった。 「僕と居るのは嫌じゃない?」 「ええ、でも、まだ、圭君が死んでからそんなに立ってないし、それに、まだ、圭君のことを忘れられないから。どうしたらいいのか解らなくて」 「すぐに忘れなくて良いよ。ずっと、思っていても良いよ。その中で僕のこと見てくれたらいいよ」 佑美は、悲しくなった。どうしてそんなことが言えるの。 「どうしたの?」 「だって、どうしてそんな風に言えるの。辛くないの?嫌じゃないの?違う男の人のことを考えて居るんだよ」 「僕は、大丈夫だよ」 雅之は笑顔で答えた。どうして笑えるの?「私が、申し訳ないと思うの。辛いの。私、雅之さんのこと嫌いじゃないから、辛いの。嫌いだったら良いのに」 佑美は、泣きながら答えた。嫌いになれたらどれだけ気が楽だろう。でも、嫌いになれないのだ。好きになる事も出来ない。失うのが怖いから。そうなのだ、失うことが怖いからもう誰も好きになりたくないのだ。 「怖いから、失うのが、怖いから」 雅之は、思わず佑美を抱きしめた。 「僕は、君を置いて死なない」 佑美は、あまりにもいきなりだったので抵抗も出来なかった。それに、雅之の言葉に、ますます動けなくなった。 「僕は、ずっと居るから。君を置いてなんて行かないから。僕も、置いて行かれるのは嫌だから」 そうだ、僕も嫌だ。美由紀を思い出した。あのときの悲しみは今でも忘れられない。 「中井さん、もう少し待ってください。今は、まだ、駄目なんです」 雅之は、静かに佑美から離れた。 「そうだね、ごめんね。でも、忘れないでね。僕はずっと君の側にいるから」 今の佑美には、辛い言葉に思えた。圭一を好きだったことを忘れてしまうんじゃないか。圭一が、自分に愛情を注いでくれたことも忘れるんじゃないか。圭一が死んでしまったことは辛いけど、あの輝いていた時間を失うのがいやだったのだ。このまま雅之に甘えてしまったら、どんなに楽かと思うのだが、圭一を忘れたくないのだ。 「私、帰ります」 「送っていくよ」 佑美は、その言葉に少し困った顔をした。 「君のお兄さんの友人として」 雅之は、苦笑いを浮かべながら答えた。まだ、受け入れてもらえないな。当たり前のことだけど。それでも良いと思った。いつかきっと思いは通じる。
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