雅之は、ベットに腰掛ける佑美のそばに勉強机の椅子を寄せ、座った。 「中井さん、ごめんなさい。でも、邪魔してほしくなかった」 「そうだろうね、死にたかったんだからね。でも、死んだって何も始まらないよ」 「今だって何も始まらない」 佑美の悲しみは深く、ずっと、海の奥底にあるようだった。僕は、そこまで行き着けるのだろうか。 「佑美ちゃんは、圭一君がいなくなって、辛いよね。じゃあ、お母さんたちはどうかな?佑美ちゃんがいなくなって」 「解るわ。でも、こんな気持ちでずっと生きていくのはもっと、辛い」 雅之は、深呼吸した。 「僕は、高校一年の時に、一つ上の姉を亡くしたんだ。僕の場合、姉は病気だったし、ある程度覚悟も出来ていた。だが、たった二人だけの姉弟で、凄く仲が良かったからいなくなって、ぽっかり穴が開いたみたいになっているんだ。それは今も同じなんだ。姉はね、凄く優しくて明るくてかわいい人だったよ。僕は、姉のような人と結婚したいって小さい頃から思っていたし、彼女が出来たら真っ先に姉に紹介しようっていつも思っていた。ある時期なんか姉と結婚したいと思ったこともあるけど」 雅之は、笑いながら話していた。悲しい笑顔だと佑美は、思った。 「僕もね、姉のいない世界なんてと思って、でも、死のうとは思わなかったな。僕の場合、悲しみを分かち合える両親がいたから。両親の方が辛かったから。きっと、佑美ちゃんは、みんなには解らないって思ってるんだろうね。解らないと思う。僕の悲しみも他人には解らないし、両親だって悲しいけど僕ほどは悲しんでいないんじゃないかって思ったこともあるよ。悲しみは、人によって違う気がするよ。時々姉の夢を見る。姉は、全然年を取らないで高校生のままなんだ。ちょっと、大人になった僕にいつも笑いかけてくれるんだ。僕は、いろんな女の子と付き合ってみた」 「どうして付き合えるの?」 寂しい笑いを浮かべる雅之は、 「姉に紹介したいから。もういないけど姉に褒めてもらいたくて」 少年のような笑顔が、悲しさを引き立たせた。 「でもね、長続きしないんだよ。僕は、誰も愛せないみたいなんだ。何がいけないんだろうと思う。いつも、女の子から付き合ってほしいって言われるから付き合うんだけどね。いつも振られるよ。僕は優しくしてるつもりだよ。優しいけどどこかに偽りの優しさがあるんだと思うんだ。女の子は見抜くんだね。仕方ないよね」 この人は、そこまで深くお姉さんを愛していたんだ。 「佑美ちゃん、圭一君のことは忘れることはないよ。でもね、圭一君は生きたかったんだと思うよ。生きていられる佑美ちゃんは、幸せなんだし、圭一君の代わりに生きてあげたらいいじゃない。圭一君の代わりにいろんな事を見て、いろんな事を体験して、もし、本当に死後の世界があるんだったら、その世界に行って話してあげられるじゃない。今ここで死んだら何も話せないでしょう。だから、辛いけど生きてみようよ。僕も、今も辛いよ。もう何年もたってるのに。でも、生きていくことにしたんだ。それからね、佑美ちゃんが、この家に自分の悲しみを解ってくれる人がいないって思ってるなら、圭一君の家に訪ねたらいいと思うよ。ただ、初めは受け入れられないかもしれないけど。でもね、君のご両親だって悲しんでいるよ。お兄ちゃんだってね。すぐに立ち直らなくていいから、早く元気になってほしいんだ。僕で役に立つなら、いつでも言ってよ」 佑美は、頷いた。辛いけど生きていかなければいけない。それが、圭一から与えられた使命のような気がする。 佑美の表情が少し和らいだような気がする。 佑美の深い部分まで僕の声が届いたのだろうか。雅之は、自分が救われたような気がした。 「ありがとう、中井さん」 佑美は、心から雅之に感謝した。 「いや、僕の昔話を聞いてもらっただけだし、辛いけど、お互いに、でも、きっと良いことあるよ。それから、これは君のお兄さんには内緒だよ。かっこいい男で僕は通ってるからね」 雅之は、軽くウインクして笑った。 生きていることは辛いかもしれない。もう、恋をすることもないかもしれない。圭一のことだけ考えて、圭一の分を生きて行こうと思う。悲しみを比較することは出来ないが、きっと今一番の理解者が側にいてくれることは、佑美にとって、救いだったのかもしれない。 リビングでは、和宏が、母とともに、雅之を待っていた。階段を降りてくる音に、二人とも立ち上がった。 「佑美」 雅之の後ろに、鞄を持った佑美の姿があった。 「学校に行こうと思うの。もう大丈夫」 和宏は、雅之を見た。雅之は、頷き、 「もうお昼だから、学食にでも行こうか。久しぶりだろう」 「はい」 この二人の間には何があったのだろうか。和宏は、ますます佑美が手の届かないところに行ってしまったような気がした。やっと、僕のそばに帰ってきたような気がしたのに。 「俺、バイクで先に行くよ。二人で歩いて来いよ」 雅之なりに気を遣ったのだろうか。 「ありがとう、中井さん」 佑美は、笑顔で見送った。 「うん、また後で。佑美ちゃん、まっすぐ前を向いて歩いていこうね」 佑美は、頷いた。やってみようと思った。それで、何かが変わるかもしれない。 雅之は、そのまま、学校に向かった。 「お兄ちゃん、行こうか」 「いってらっしゃい」 静かに見守っていた母は、暖かく見送ってくれた。 「うん、お母さん、ごめんね」 佑美の笑顔が眩しかった。 和宏と肩を並べて坂を下りていった。この先には、圭一とよく会っていた公園がある。その前には雅之のマンションがあり、その間には、この道の延長がある。そう考えると、胸がどきどきし始めた。息が苦しく、呼吸が速くなった。思わず、和宏の手を握った。和宏は、はっとして佑美を見ると顔が真っ青になっていた。 「大丈夫?」 「うん」 佑美は、頷きながら、吐きそうになっていた。事故現場を通らなければいけない。怖い、あの日の圭一を思い出すのが怖いのだ。血まみれで、でも、私に何か伝えたくて痛いはずなのに笑顔で話す圭一。ごめんねっていう圭一。そして、そのまま目を閉じた。 「佑美」 佑美は、座り込んだ。だめだよ、圭君、通るのが怖いよ。駄目だ、どうしたらいいの。 「佑美、大丈夫だよ」 和宏は、佑美を見るのが辛かった。どうしたら良いんだろう。佑美を抱えるように立ち上がらせた。 「佑美、帰ろうか」 その言葉を聞いて、はっとした。だめだ、帰ったらずっと、此処を通れなくなる。 「行くわ」 佑美は、真っ青な顔をしていたが、一歩ずつ歩き始めた。そんな佑美を両手で、体全体で支え、そう、僕は守っていこうと決心していた。和宏は、そう考えながら歩いた。 事故現場には、朝と同じように花が供えられていた。佑美は、その花を見つめ、しばらく立ちすくんだ。此処なんだ。あの日、圭一が倒れていたのは。佑美は、供えられている花に近づき、手を合わせた。佑美の頬を一筋の涙が流れた。 泣いちゃいけないと思った。圭君が、私が泣いているのを見て、辛くなると思った。だから、泣いたら駄目だよね。佑美は、涙を拭いた。 「ごめんね、お兄ちゃん。大丈夫だよ」 「公園で休憩するか?」 「うん」 二人で公園のベンチに腰掛けた。目の前には青い海が広がっている。その海を眺めながら、 『こんな素敵な景色なんだから、嫌なことがあったときだけ来るのはもったいないよ。楽しいことがあったときにも来てあげないと』 駄目だよ、圭君。もう楽しいときには来られないよ。でも、此処には来て良いよね。思い出の場所だから。 「佑美」 沈黙を破って、和宏が話しかけた。佑美は、和宏の顔を見つめた。 「お兄ちゃんじゃ、何の力にもならないかもしれないけど、辛いときは泣いてもいいし、お兄ちゃんに怒りや悲しみをぶつけても良いし、自分一人で悩んだら駄目だよ」 「ありがとう、お兄ちゃん。でも、もう命を粗末にしないよ。ちゃんと生きていくね。圭君のために」 「そうか・・・中井は、何を話したんだい」 佑美は、少し笑って、 「秘密なの。約束だから。でも、お兄ちゃんは良いお友達を持っているね。私は羨ましいよ」 「秘密かぁ、仕方ないな」 和宏も笑った。久しぶりに笑った気がした。 「さあ、急いで行こうか。中井が待ってる」 「そうだね」 佑美は、胸を張って歩いた。 「遅いぞ、もう、お腹がすきすぎて、死にそうだ」 学食の入り口でうろうろしながら待っていた雅之は、二人の姿を見つけると、そう叫んだ。 「ごめん、ちょっと、休憩してた」 和宏の笑顔を見て、雅之はほっとした。隣で佑美も笑っていた。良かった、何でもなかったんだな。 「何にしようかな?」 和宏と雅之がメニューを見ながら悩んでいた。佑美にとっては、久しぶりの食事だった。体が受け付けるだろうか。 「佑美、何にする?」 「うどんにする」 「そうだね、その方が良いかもね」 和宏は、佑美を労る表情で見つめている。そんな二人を見て、雅之は、苦笑いを浮かべた。この二人の間には入れそうにないな。 「入ろうか」 和宏は、雅之に声をかけた。 食事の間、佑美は、静かだった。うどんも半分以上どんぶりに残ったままだった。 「佑美、無理しなくて良いからね」 「うん」 食欲なんかなかった。でも、生きるために食べなきゃと思った。体はまだ、受け付けないようだった。 「ごちそうさま」 佑美は、それ以上手をつけなかった。 「うん、じゃあ、片づけてくるから待っていてね」 和宏と雅之は、立ち上がり、食器を返却しに行った。 佑美は、ぼんやり外を眺めていた。学校に来るまで風景なんて目に入らなかったが外はすっかり冬を迎える準備をしていた。もう冬なのね。一週間もたっていないのに。圭君はこれから何をしたかったの?私は、何をしたかったのだろう。圭君には、才能があった。小説も書いていたし、絵も上手だった。私には何もない。努力したら圭君に近づけるかな。圭君の人生を送るには私には大きすぎる人だったのではないだろうか。また、涙が溢れてきた。 「佑美、行こうか」 和宏の声で、佑美は涙を拭き、振り向いた。 「うん」 佑美は、立ち上がり和宏に支えられるように歩いた。 「佑美は、どうする?」 佑美は、時計を見ながら、 「あと一時間あるね。受けてこようかな」 「うん、授業が終わったら、僕たちの教室においで。一緒に帰ろう」 「うん、ありがとう」 佑美は、軽く手を振りながら教室に向かった。そのあと振り向かなかった。 そんな佑美を見ながら、和宏は、ため息をついた。 「中井、悪かったな」 「いいよ。そうそう、俺たち図書館で調べ物していたことにしてあるからな」 雅之は、あっけらかんと言った。 「来るのが遅かったな。何かあったのか」 「うん。事故現場で気分が悪くなって、公園で少し休んでいた」 「そうか、大丈夫だったのか」 「まあ、何とか。でも、しばらくは付き添った方が良いだろうな」 「そうだな。俺で役に立つことがあったら言ってくれよ」 「そうだ」 和宏は、雅之がどうやって佑美を説得したのか知りたくなった。 「それは、俺と佑美ちゃんの秘密だ。俺にだって人に言いたくない話があるから、それを佑美ちゃんにしただけだ」 「そうだな」 僕にもあると和宏は思った。今は、佑美の心身の回復を考えるだけだが、そのあとどうしたらいいのかまだ決めかねていた。本当の父にあった以上、どうしようもなかった。いつか、話をしてみたい、そう願うのはいけないことなのだろうか。
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