日が落ちて辺りが暗闇に包まれる時間。
はっとして体を起こすと、僕の全身からは気持ちの悪い汗が滲み出ていた。
「また夢か…。」 ぐしゃぐしゃとまだフリーズ状態の頭を掻いてソファを降りた。小さい頃の嫌な夢は今日で2回目。ただでさえ小さい頃の記憶をなかったことにしたいくらいなのに、こうも夢に出てくると気味が悪い。しかも夢なら普通はどこか実際とは違う物語になるはずなのに、実際のことと何も変わってない。まるでビデオを再生したかのようだった。だんだんと頭が痛くなってきた僕は、どかっともう一度ソファに身を投じた。すると僕の気配に気付いたのか、パタパタと足音をたてながらフェンネがやってきた。 「わんわんっ!」 嬉しそうにしっぽを振って僕に抱きつく。頭を2、3回撫でてやると、ぱっと僕から離れて台所の方へ駆けていった。たしかに僕の気配を感じてきてくれたのは嬉しいけど、あまりにも飼い主の僕に対するスキンシップが短すぎるんじゃないだろうか。フェンネの行った先を睨んだり一度舌打ちをしたりと気分の悪さからの悪態をついていると、奥のほうからわんっとフェンネの声が聞こえてきた。 「あれ、フェンネどこ行ってたの?」 そして女性の声がする。そっと台所を覗いてみるとそこにはエプロン姿の彼女がいた。ああ、そういえば彼女が夕食を作ってくれるんだっけ。台所に立つ彼女の後姿に改めてあの悪夢から覚めたんだと自覚し、安心からか、僕の頬は緩んだ。 あの夢は所詮夢。今、僕の目の前には最愛の彼女がいて、大好きなフェンネがいる。あれはもう終わったことだから…。 僕は頭をぶんっと横に振ったあと、台所へと入っていった。
「あ、和君?もうちょっとでできるから待っててもらえ…」 僕は彼女の言葉を遮って、後ろから腰周りにふわっと手を回した。普段の僕ならこんな恥ずかしいことはしない。けど、恐い夢を見て恐怖心から必死に親を探す小さな子供のようなやるせない寂しさが込み上げてきて、思わず彼女の腰を抱いた。 「和君どうしたの?甘えんぼだね。」 驚いた顔を見せたかと思うと、すぐにまた柔らかく微笑む彼女。母親の愛情のようなものすら感じる彼女のオーラに僕はもう、ただの小さな子供になっていた。
「つらかったね。」 僕は今、彼女の胸に顔を埋めて、目からは大粒の涙を止めることなく流している。 彼女の手作りの夕食を終えたあと、なんとなく僕は心が寂しくて彼女を帰さなかった。いや、帰せなかった。誰かに側にいて欲しかった。なんて、そんなわがままな言葉を素直に言えるわけがなく、「今日、泊まってけば?」と偉そうに言ってしまった。彼女はそんな内弁慶な僕に気付いたらしく、ふふっと笑みを溢して、「うん。」と言ってくれたのだった。そんな彼女が愛しくて愛しくて。一人で風呂に入りながら涙を流していたのは嘘じゃない。それから彼女も風呂から上がり、ベッドでふたりくつろいでいると、彼女がふといつになく真剣な目で僕を見つめた。 「今日、何かあったの?講義といい夕食といい。和君らしくないよ?これでも私、和君の彼女なんだけどな。」 僕から目は離さなかった。そのくらい気になっていたのだろう。彼女には僕の小さい頃の話は全くしていなかった。むしろ自分のことを話すのが好きじゃない僕は、過去話なんてものを口にするなんて考えていなかった。けど、今回は過去の話が絡んでくる。思い出すだけで涙が溢れそうになるが、長く息を吐いてから今日の夢の内容をぽつぽつと語り始めた。
「だから和君、私からの誘いも断り続けてたのね。」 僕の髪を優しく撫でながら言葉を紡ぐ彼女。僕の目には水がありすぎてはっきりと彼女の顔は見えないけど、きっととても優しい顔をしてる。
僕は3歳のときに見たことが、そのまま夢に出てきていたということを話した。彼女は僕が話してる間、何回も「つらかったね。」と言ってくれ、その度に胸が詰まって言葉にならないこともあったが、途切れ途切れの僕の話をちゃんと真剣に聞いてくれていた。自分の過去を人に話したのは初めてだったが、案外話し出すと止まらないものでどんどん言葉が口を突いて出た。それと同時に、心の荷物が本当に降りていくような気がした。過去のあの忌まわしい物語は僕の中ではなかったことになっていたはずだったのに、本当はなかったことになんかできていなくて、知らないうちに心の重い荷物になっていたことがよくわかった。 「もう大丈夫だよ。和君の隣には私がいるから。だから今日は安心して休んで?」 どうしてこんなにも彼女は強く優しいのだろうか。涙を流しながら鼻水を垂らす僕は決して格好いいものじゃない。でも、そんな弱い僕を全力で包んでくれる彼女は何者にも代えることのできない存在で、本当にいいパートナーを見つけたと心の中で感謝した。
その夜は夜の営みこそなかったが、そんなことをするよりも僕らの心はもっと近づいたような気がした。
|
|