「室伏先生には弟さんがいるって。」
彼女の発したその一言で大方の察しがついた。今までの僕ならその一言で取り乱していただろう。けど、僕の過去話はもう僕だけが背負っているものじゃない。悪い言い方をすれば彼女を巻き込んだ、あるいは背負わせたとでも言えるかもしれない。けど、彼女はそんな僕の荷物を半分も持ってくれているんだ。だから、そこまで感情の激しい変化はなかった。 「弟さんの名前は?」 「和君の思ってる通り、…悠次さんだよ。…私のね、友達がね、…室伏、せんせ…の…。」 だんだんと彼女の声が小さく、震えてきたのが聞こえた僕は彼女の声を遮った。 おそらく、彼女は泣いている。 「奈央、今から会える?近くの公園とかでもいいから。奈央に会いたい。」 そう言葉を急かすと、彼女は一言、家。と消えそうな声で話した。 「わかった。今から奈央の家に行くから。ちょっと待ってて。」 彼女の言葉も聞かずに電話を切ると、急いで家を飛び出した。
彼女の家までは僕の家から歩いて約10分ほどの場所にある。男の僕からすれば、走れば5分くらいで簡単に着く距離だ。 だんだんと彼女の家に近づいてくると、僕はさっきまで会話してた携帯を取り出し、慣れた番号をさっと打つ。 「…かず…くん?」 きっとあれからまた泣いたのだろう。さらに鼻声になり、合間には鼻をすする音さえ聞こえる。 「もうすぐ着くから。今日は誰かいる?」 「おにいちゃん…。」 「お兄さんか。わかった。それじゃあとでね。」 電話を切ったところでちょうど彼女の家の前に来た。彼女の家は結構立派で、最初の頃の僕はその大きさに腰が引けてたけど、今ではすっかり見慣れた建造物の手前にあるインターフォンに手を伸ばす。 「はい、石崎です。」 ベルが鳴り終わると、フォンからは落ち着いた男性の声がした。 「夜分遅くすみません。榎本和樹と申します。」 「ああ和樹君か。久しぶりだね。夜はまだ寒いだろう、今開けるからどうぞ。」 そう言って玄関を開けて僕を迎え入れてくれたのは、彼女のお兄さんである達哉さん。彼女の家にはちょっと前までよく行っていたため、こんな時間でもお兄さんはにっこりと入れてくれるのだった。 「最近来ないから寂しかったよ。さては奈央のことかな。奈央なら部屋にいるからどうぞ。あとでお茶を持っていくから。」 そうさらりと流してお兄さんはリビングへと姿を消していった。とりあえず僕は見えなくなったお兄さんに会釈をして、2階にある彼女の部屋へ向かう。
彼女のお兄さんは彼女のお父さんの経営する病院で医者として働いている。今年28歳になり、もちろん妻子もいる。奥さんの彩華さんはその名の通り、華やかで美しい女性で、娘の浩香ちゃんは今年で3歳を迎えた。夫婦も仲が良くて僕の憧れの家庭像でもある。そんな素敵な兄夫婦を持つ彼女の恋人で、僕は本当に幸せ者だと思う。
彼女の部屋の前まで来ると、僕はノックを2回ほどした。 「奈央、僕だよ。」 「和君!」 彼女の声が聞こえたと同時にドアが勢いよく開いた。彼女の目にはもう涙はなかったが、今度は目と鼻の先が赤くなっていた。 「ごめんね…和君ごめんね。」 そう言って僕の胸に顔を押し付けた。 「奈央が謝ることじゃないだろ?僕のことなんだから…。」 「過去のこと、もうあんまり聞きたくないでしょう?…和君がまた思い出しちゃうから…。辛いと思って言いたくなかったんだけど…。」 彼女は自分のことのように考えてくれてたのか。どれだけ君は優しい女性なのだろう。そう思わずにはいられなかった。
ありがとう。と耳元で囁き、彼女をぎゅっと強く抱き寄せた。
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