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作品名:追憶 作者:サトー中尉

第9回   山頂の追憶
 私たちは、このオンボロカーで、蔵王の山頂に到着した。車を駐車場へ停め、私たちは山頂にある「おかま」と呼ばれる大きな噴火口へ向かって歩いた。霧がとても濃かった。

 山頂は土曜日ということもあって、観光客がいっぱいいた。子供連れやカップル、老人たちのグループなど様々だった。ただ、ここへ一人で来ている観光客はいなかったような気がする。つい最近の私だったら、ここへは絶対に来ないだろうと思った。

 真千子が走って噴火口に近づき、私の名前を呼んでいる。

「わあ!おおきいね!」

 噴火口は濃霧に包まれ、僅かにその形が見える程度だった。天気が晴れていたら、目の前に大きな湖が見えるはずだった。実際は湖ではなく、噴火によってできた大きな穴で、そこに水が溜まって、一見、湖に見えてしまうのだ。
 真千子は嬉しそうな顔をして、今にでも柵を越えてしまうのではないかと思うほど、柵から身を乗り出して霧に隠れた噴火口を眺めていた。

「健次郎……」

 真千子の表情が、突然、悲しみに満ちたように暗くなった。

「健次郎……」

 真千子が何度も私の名前を呼んだ。私はボーっとしていたのだが、さすがに何度も名前を呼ばれると、無視できなくなった。

「ど、どうしたの?」
「実はね、ここに連休のとき家族と来たの……」

 真千子は亡くなった家族とここへ来た思い出に浸っていた。
 真千子の髪が、霧を含んだ風になびいた。

「いつまでも、泣いてちゃいけないんだよね……」

 真千子の目に涙が潤んだ。私は慌ててポケットからハンカチを取り出そうとした。

「私、もう泣かないことにする!」

 そう言いながら、真千子の目から涙が溢れた。
 私はハンカチを持ってきていなかった。

「健次郎っ、私、強く生きなきゃ……」
「真千子さん……」

 私は真千子の肩に手をかけた。
 真千子は手で柵を掴みながら、その場に泣き崩れた。ここで、この場所で家族と過ごした思い出が、真千子の胸を苦しめた。もう、ここで一緒に笑った家族はこの世にいない。
 真千子はその悲しみに自ら立ち向かっていた。わざわざ、家族と楽しい時を過ごしたこの場所に足を運び、こうして悲しみと向き合っていた。
 私はそんな真千子の姿を見て、どうにもやるせない気持ちになった。

「真千子さんっ!」

 私は崩れる真千子にあわせ、真千子の側でしゃがみ、上着を真千子の背中に優しくかけた。

「どうした、苦しいの?」

 私は地面に膝をつけ真千子と一緒に丸くなり、真千子に優しく問いかけた。

「苦しい、苦しい……、すごく苦しい……」

 真千子は静かに涙をこぼし、頭を二回頷けた。

「そうか、そうか、苦しいよね……」
「苦しい、苦しいの、すっごく……」

 私は真千子の頭をそっと撫でた。
 真千子は声を出して泣いた。周りにいた観光客が、私たちに視線を向けた。他人の視線なんてどうでもよかった。どう思われようが関係ない。そのうち、真千子の心を表現したような濃い霧が私たちを包み始めた。
 私は真千子の頭を、私の胸の中にそっと抱え込んだ。真千子の辛さ苦しさを、私はこの胸で受け止めたいと思っていた。私が真千子に出来ること、それは真千子を抱きしめることしかなかった。

 私たちは、しばらくその場を離れなかった。真千子と私は、近くの大きな岩に座って、ぼ〜っと濃霧の噴火口を眺めていた。

 真千子がそこの小さな売店で売っているソフトクリークが食べたいと言い、私たちは重たくなった腰を、ようやく動かすことが出来た。

「泣いたら、甘いものが食べたくなっちゃった〜」

 私たちはソフトクリームを食べ、そして、この場所に別れを告げた。
 ここが真千子が再出発の場所で、ここにもう一度来るときは、真千子の苦しみが解放されたと時、もしくは真千子の身に何かあったときだ。私はそう思いながら、カムリのハンドルを握り、エンジンをかけた。
 ここに来るときにずっと聴きっぱなしだったポール・モーリアの音楽が流れ、私たちの間を切なくさせた。なんという名前の曲だっただろうか、その曲は悲しく苦しくも強く生きようとする真千子の横顔を、とても美しく奏でた。
 きっと、愛をテーマにした曲に違いないと思った。
 私は運転さえしていなければ、ずっと助手席にいる真千子の横顔を見ていたと思った。そして、真千子の唇が最高にいとしいと思った。
 このまま車を発進させたら……、発進させる前に……

「真千子さん」
「はいっ」

 真千子はちょっと驚いたように、運転席の方に振り向いた。
 私は顔を真千子の唇に近づけた。
 真千子と一瞬、目が合った。
 私は次の行動をためらった。
 真千子の目が潤み、頭を右にわずかに傾いた。
 私は頭を左にわずかに傾け、目をそっと閉じた。
 そして、少しずつ、顔を真千子の顔に寄せた。
 予想より早く、私の唇が触れた。真千子の唇に触れた。
 同時に、真千子の両手が、私の顔に触れ、徐々に首に腕をかけ、私たちは深く深くキスを感じた。
 私も真千子の頭に手をかけ、真千子の後ろ髪を撫でた。

「真千子さん、好きだ、君のことが、大好きだ!」
「健次郎、私も、私もあなたのことが好きっ……」

 私たちはもう一度、深いキスを交わした。
 車が揺れた。

 私は真千子を手放すものか、この女を独りにするものか、真千子は必ず俺が守るっ、と心の底から誓った。何度も何度も誓った。

 何度もそう誓った。

 霧は更に濃くなり、私たちを再びその影で包み込んでいた。


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