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作品名:追憶 作者:サトー中尉

第5回   悲しみの追憶
それから2〜3日が過ぎた時のことだった。

中国のデモは日に日に増すばかりだった。
毎日、真千子は私と会って自分の胸の苦しみを打ち明けた。
私はただ、励ますしかなかった。
大丈夫だ、絶対に大丈夫だと励ますしかなかった。

そして、真千子は大学の学務課に呼ばれた。

私は嫌な予感がした。
予感が的中しないでくれと願いつつ、私も同行した。

学務課の窓口へ到着した。
そこには職員の佐々木さんが、堅い表情をして待っていた。

「・・・」

彼は何も話さなかった。そして一息ついてから口を動かした。

「実は、君の家族が死亡リストに載っていたらしい・・・」

佐々木さんは何度も瞬きをして、天井を見てそういった。
私たちはその言葉の意味が理解できなかった。
それで真千子は「何の死亡リストですか?」と佐々木さんに尋ねた。
そんなことは尋ねなくてもわかっていた、それは中国で起きた暴動による死亡者のリストのことだ。

真千子の背筋は凍りついただろう。
私の背筋もゾッとした。

真千子は佐々木さんと話すや否や、身振り手振りで、懸命に否定した。

「そんな事、あるわけ無いじゃない」

と、怒った口調で、佐々木さんに怒鳴りつけた。
そんな真千子に対して、彼は黙って首を振った。

「馬鹿馬鹿しいっ!」
汗がキラッと光り、真千子は左手で前髪をかき分けた。
そして額に右手を沿え、一瞬、動きを止めた。

怒って赤くなった表情は、一気に青くなり、体が震え始めた。
真千子は私の足元でガクッとしゃがみこんだ。

その瞬間、時計の秒針は、とても遅くなった、、、
真千子は、呼吸も間々ならなくなり、私の足にしがみついた。
声が出ていなかった。
口が「嘘だと言って」と動いていた。
私にわずかな救いを求めていた。

この時の彼女の目が焼きついてしまった。
目が合った瞬間、真千子の胸を締め付ける苦しみが伝わった。

真千子は涙をぼろぼろこぼし、呼吸が出来なかった。
 
そして、ようやく秒針が動いた。
真千子は悲鳴のような声で泣き出した。
私の足にすがりついて泣いた。

人にはどうしても耐えられないものがあるらしい。
真千子は今、それを知ってしまった。
しかも、最悪なパターンで知ることになった。

まだ実際に自分で結果を確かめたわけではないが、
逆にそれが不安という苦しみの最高潮を迎えたのだ。

人はその時、最も辛く苦しい瞬間だと感じるのだと思った。

私は彼女の家族とは面識がなかった。
また、私は家族を殺された悲しみも経験したことが無い。
知らない、わかるはずがない。

そう考えると、私の感じた苦しみは、彼女への哀れみだったのかもしれない。

真千子は過呼吸になり、息を詰まらせた。
私は日常の笑顔の真千子と、今の彼女を照らし合わせてしまう。
そのギャップが特に、私の胸を苦しめた。

真千子はこれからどうなってしまうのか。
立ち直れるのだろうか。
 
そればかりだった。

私の土曜日の苦悩の比でない、自分の愚かさを痛感し、恥ずかしくなった。
私は彼女を抱きしめるほかなかった・・・。

中国のデモは、もはやデモでは済まなくなった。
中国政府の対応の遅れから、日本人が避難していた北京のホテルが放火されたと言われていた。
そして、避難していた邦人と大使館職員、中国人のホテル従業員、全員が殺された。
私は報道番組を見た。
女性の若いリポーターが日本人死亡者が安置されている場所をリポートしていた。
彼女が涙を拭いながらカメラに向かっていた事が印象強かった。

私は以前、日本人に対してざまみろと思った事を思い出した。
ずっと他人のことだと思っていたことを振り返った。

号泣する真千子を見て、一気にそれが他人事ではなくなった。

日本人といえど、中国人といえど、民族意識などどうでもいいと思っていた。
それは、ただ興味がなかっただけのことかもしれない。

「打倒日本!」
「中国は世界一優秀だ!」
「皆、中国の威信をかけて戦え!」
「人民よ、過去を忘れるな!」
「愛国心は無罪だ!!」

中国人デモ隊は叫び続けた。

TVに映る安置所で、冷え切って全く動かない人間がいた。
私と同じ社会で生きてきた人間たちだった。
同じ空気を吸って、同じく連休を家族で過ごした人間たちだった。
これから始まる夏休みが楽しみにしていた人間たちだった。

日本の、じめじめした夏。
会社員は同僚達とビールを飲むつもりだったかもしれない。
父親なら家族とキャンプに行く計画を立てていたかもしれない。

花火が打ち上げられ、緑の田畑が独特の匂いを放つ日本の夏。
夏の忙しさで時が流れ、気がつくと田んぼが黄金色に変わる。
田んぼだけでなく、広葉樹も紅色になり、紅葉の季節が始まる。
すると段々と食べ物は美味しくなる。

これが日本だ。
そして、私達、日本人が楽しみにして生きる社会である。

もしかしたら、そこに安置されている人は私と同じだったかもしれない。
他国で苦しんでいる日本人を見てもどうも思わない人たちだったかもしれない。
しかし、そこで死んでいる人たちは同じ社会で同じ楽しみを持って生きた人間だった。

高城真千子の父・母・姉だった。

彼らが殺され、喜んでいる人間が平気で存在すると思うと、体が震えた。
私の頬をつたう涙は、悔しさと後悔だった。

ずっと他人事と思っていたこと。
愛する人が不幸にあったことによって、ようやく気がつかされた現実。
気がつくのが遅い、自分勝手な自分を物凄く悔やんだ。


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