授業が終わってすぐ、病院に向かうバスに乗った。那覇の街の活気はいつもと変わりないのに、真由は幾分まだしおらしげだった。ぼんやりした頭のままバスに揺られていたら、あっという間に病院に到着した。病院に入ると、正面のエレベーターで5階まであがり、502号室の開けっ放しのドアから中に入ろうとしたその瞬間、立ち止まった。看護婦さんの手が、壮太の手に伸ばされて、体の様子を丹念に見つめ、丁寧に点滴をはずしている。 『あなたにしかできないことが必ずあるわ。それを探しなさい。』 黒川のその一言が真由の頭の中をエンドレスに回り続けていた。 「お前にしてやれることなど、何一つない―。」 突如、不気味にささやく声が聞こえた気がした。驚いて、あたりを見渡すが、何事もなかったかのように看護婦と医者が行き交うだけだった。 真由は左手で額を押さえた。 冷房が効いているはずなのに、汗が一筋、頬を伝った。 一体、あんたは誰なんだ? 真由は耳をふさいだ。 ざわ、ざわ、ざわ、と波音にも似た音が耳の中でエンドレスに回り続ける。 やめて! 何度も叫んだ。 どのぐらい時間が経っただろうか。 あの不快な音は次第にフェードアウトしていった。 あの不気味さは声はやがて聞こえなくなった。 ゆっくりと耳を押さえていた手を離せば、行き交うベッドやら銀のワゴンの音だけだった。 「どうしたの?お見舞い?」 と、いう看護婦の一言にあわてて振り返った。 「あ、は、はい…えっと、比嘉、比嘉真由です。嶺井君とはクラスメートで。」 「あぁ、クラスメートの。中で壮太君お目見えよ。」 「は、はぁ…。」 幾分間の抜けた生返事を返すのが、真由には精一杯だった。看護婦は笑顔のまま、はずした点滴を持って、ナースセンターへ戻っていった。真由は意を決して病室の敷居を踏んだ。白いカーテンが夏風にたなびき、白いベッドが見える。一歩、また一歩、病室の奥に足を進める。緊張のせいか、足が重い。やっとのことで壮太の元にたどり着いたと思ったら、壮太はおなかをくの字に曲げて笑っていた。 「な、何よ!壮太!」 「い、いや、ごめん。だって、一昔前のロボットみたいな歩き方して入ってくるんだもん!」 う…。 顔は真っ赤に染め上がり、水でもかけたらあっという間に蒸発してしまいそうなくらいに赤く、熱くなっている。真由は背もたれのない丸いすにとりあえず腰を下ろした。 「ど、どう、具合は。」 壮太はいつもの屈託のない笑顔で、 「悪くないよ。」 と、応える。その笑顔がやけに切なくて、真由は瞳を伏せる。こんな時、何一つ言葉をかけてやれない自分がもどかしい、悔しい、情けない。喉元まで出掛かっているのに、出てこない。もどかしさと格闘しながらやっとの思いで声に搾り出す。 「あ、あの…!」 壮太が笑った顔のまま、真由の顔を真正面から捉える。もう10年以上一緒に遊んだり、笑ったり、泣いたりしてきたはずなのに、まるでそこにいるのは別の人のようで、真由はまた、喉をもぞもぞさせていた。 壮太がアルバムから写真を取り出した。写真が好きだという壮太のお父さんが撮ったものらしい。山原(やんばる)の森の中に小さな滝。青がかった緑に白い水しぶきが映えている。幻想的な光の中で水しぶきが柔らかく光っている。 「きれい…。」 真由が呟いた。 「山原だよ。」 「山原?」 「うん、山原。」 真由は写真と壮太の顔、交互に視線を動かした。壮太の目元にはうっすらと涙がたまっていた。泉のように湧き上がっていて、滝のように一粒こぼれる手前だった。 「死ぬ前に、一度行きたいな…って、時々、思うんだ。」 「え…?」 呟いた瞬間、目元にたまっていた涙が一筋、零れ落ちた。真由はさりげなく取り出したハンカチでそっと涙をぬぐった。 「大丈夫…?」 「うん、ありがとう。」 こうしている間にも壮太は日々近寄りつつある死と闘っている。悟られないように気をつけながら、真由は肩を抱き寄せた。男の子にしては滑らかで、華奢な身体だ。入院着越しにやせ落ちた身体を力いっぱい抱きしめた。首筋の柔らかさが頭にしみこんでいく。このまま時が止まればいいのに、今ほど願う瞬間はなかった。 時計の針は7時を指そうとしていた。
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