「ねぇ、ヒロユキ。吐くんならトイレ行きなよ。帰るんなら目の前ドアだし」溜め息をつく私。 「嫌だ。ここがいい。柔らかいしぃ、良い匂いするしぃ。コウの顔がよく見えるぅ〜」 ひょいと立ち上がると、玄関先の床にヒロユキはガツッと頭を打ちつけた。 「ひでぇおんなー。傷心なんだから、ちょっとくらい優しくしてくれよ」 「んな酒くさい男に、朝も早よからたたき起こされて、やさしーく膝枕なんてやってられますかっ」
そうなのだ。まだ夜が明けきる前からマンションに転がり込んできた酔いどれ馬鹿、もといヒロユキが「気分悪い」って泣きながら云うから、心配して介抱してたら、膝の上にすっかり居着いてしまったのだ。かれこれ何時間?
「あのねヒロユキ。帰る家が違うでしょ。マコちゃん待ってるよ。それにあんたがしょっちゅうこっち来るから…」 「…ふふっ。またフラれたの?痛っ!叩くなよ。優秀な脳細胞死ぬだろーが」 「うるさいっ。グーで殴られないだけ感謝しなさいよ。この確信犯がっ」 そう。こともあろうかヒロユキは恋人の目の前で私を押し倒して、エロちゅーしてきやがった。で、その恋人とヒロユキがつかみ合いの大ゲンカ。 「俺、あの女きらい。だってさぁ。あの女、別のやつと三股かけてたんだぜ。その中の一人は人生のキープカードの男。外資系商社マン」 「えっ…」 「……やっぱり。気付いてなかったんだ」 ふかぁーく溜め息をつくヒロユキ。その頃には、ぐったりしながらも玄関先に座りこんで、タバコをくゆらせていた。灰が下に落ちるのが嫌で灰皿を持ってきたら、ぽんぽんと頭を撫でられた。ぽつぽつと水滴が落ちる。 「ふぇーん。また騙されたぁ〜」 「はーい、よしよし。泣いちまえ。鼻水たらして泣いてしまえ。コウの分までひっぱたいといたからなぁ、あの性格ブス」 お母さんがするみたいにぎゅうっと抱き締めてくれた。
ヒロユキと私には不思議な縁があるらしい。お互い恋人がいても、こんなくすぐったい関係が続いている。付かず離れず。
「ねぇ…これって。私も二股になるのかなぁ」 「ならんでしょ。俺、コウとはエロちゅーすっケド、他モロモロは男としかしねーし。コウは女としかしねーし」 さっきからヒロユキのケータイが振動してた。 「出ないの?マコちゃんじゃない?きっと心配してるよ」 ヒロユキの顔を見上げると、切なそうな表情して瞳をふせた。 「出る必要ねぇや。俺たち終わったし」 「…え?なんで?あんなに仲良かったじゃない。マコちゃんは私にだって優しかったよ。…え…もしかして私?」 「違う。…マコト…仕事辞めて田舎に帰るってさ」
ヒロユキのジーンズからケータイを奪い取る。 出ると、やっぱりマコちゃんだった。 『コウちゃんなの?じゃあヒロユキは無事だね、良かった。安心したよ』 「ねぇ、どうして?どうしてヒロユキも一緒じゃ駄目なの?」 「やめろコウ!」ヒロユキが叫ぶ。 ケータイを取られないように、奥の部屋に逃げ込んだ。 「ねぇ、どうしてなの?あんなに仲良かったじゃない。…もしかして好きなひとができたの?」 『違うよ』 「じゃあ…!」 『落ち着いてきいてコウちゃん。 あのね…僕の田舎って秋田の旧家なの。それでね…こないだ兄さんが死んだんだ。だから僕が跡継ぎになっちゃったんだ』 「だからって!…ヒロユキと続けてちゃいけないの?」 『…僕ね。どんな人生になろうとも“たったひとりのひと”を大事にしようと心に決めてるんだ』 「…それって、ヒロユキじゃないの?」 マコちゃんは黙った。しばらく黙った。 『僕はヒロユキが大事。きっと自分の命より大事。だからお終いにしたの。いましばらくはヒロユキ荒れると思う。でもずうーっと、ずうーっと後になってから解ってくれると思うよ。僕が誰よりもヒロユキが大事だったってこと。 …コウちゃん?泣いてるの?ありがと。ヒロユキをよろしくね』 「やだ。マコちゃんのうそつき。今度、買い物行く約束してたじゃない。ヒロユキの誕生日プレゼント買う相談してたじゃない」 『したね。ごめんね、約束やぶって。でも…ヒロユキにはもうプレゼントあげたよ』 「…何?」 『コウちゃん』 「は?何云ってんの?駄目だよ。私、男ダメだもん」 『うん。知ってる。でもヒロユキの“大事”は僕じゃない。それにね僕。子供が欲しくなっちゃってたんだ。ヒロユキに良く似た奇麗な顔した可愛い子供。だから田舎帰って結婚する。コウちゃん誤解しないでね。僕、ヒロユキが好きなものは全部好きだから。だから……もね』
プツッ。ツーツー……
電話が切れると同時に、ヒロユキが部屋に入ってきた。私からケータイを奪い返して、切れてるとわかるとリダイヤルした。 「着信拒否かよっ!!」 ケータイをぶん投げたら、壁にぶち当たって、にぶい音をたてた後、ぱりんと壊れた。
静まりかえった部屋に、いつの間にか降り出した雨の音が響く。
ざぁざぁ。ざぁざぁ。
ヒロユキが泣いてるみたいだ。
私の耳にマコちゃんの最後の言葉が残っていた。
『だから…隣りにいて欲しいひとを間違えちゃいけないよ。…コウちゃんもね』
〈Fin〉
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