空気が、じめじめと重苦しい。
じっとりと浮かんできた汗をぬぐうのも忘れて、フラムは立ち尽くしていた。
「……」
濃い霧と高い樹木が、あたりの視界をほぼ完全に遮っている。
魔物自体は先ほど戦った2体と同じぐらいのものだろうが、ここは流石に不利だった。こんな場所ではいつもの実力はとても出せない。
……それに。
「……ほんとにお前、こんなところに住んでるのか?」
こんな場所で、か弱い少女がたった一人で生きていけることが、フラムには信じられなかった。
ティアが当然のように頷いてみせる。
「ええ。……一応、私だって戦えるもの」
「お前が?」
「あら。意外?」
フラムの驚いた顔を見て、くすりとティアが笑った。背中に装備していた弓を引き抜き、言う。
「さっきも見たでしょう? これ」
「弓だけでどうするんだよ」
「……」
そう尋ねられて、ティアは……ふと顔を森の奥のほうへ向け、目を細める。
霧の向こうで……何かが、動いた。
「! ……魔物!」
「……今から見せるわ、私の力。剣は抜かないでいいから」
「……え」
そう止められ、面食らいながらも腰に手を伸ばしかけていた手を止める。
ティアは、霧に映る影に向かって弓を構え、目を閉じた。
……次の瞬間、フラムは見逃さなかった。ティアの手の中に、蒼い輝きが徐々に集まってゆき、矢の形を成してゆくのを。そして、ティアの立っている場所から、蒼い揺らめきが立ち上ってゆくのを。
「なっ……これは!?」
フラムが驚きの声を発するのと、ティアの瞳が開いたのと、霧の向こうから魔物が飛び出してきたのは、同時だった。
相手は、ウルフ。
「水矢(アクア・アロー)!」
ふぉん、と澄んだ音が響いた。
弓を持っているほうのティアの手から、矢の形を成した水の魔力が勢いよく放たれる。
ウルフのほうは、霧から飛び出したままのまるで隙だらけな体制で、脳天から見事に水の矢で貫かれ、絶命した。
地面に落ちた瞬間、その亡骸は空気に溶けてふわりと消えてゆく。……この樹海に満ちる、霧のように。
「ね?」
構えた弓を下ろして、ティアはフラムに笑いかけた。
「分かったでしょう? 私の力」
「……お前も魔法能力者だったのか!?」
「そうよ」
驚くフラムに向かって、ティアは素直に頷いて言った。
不意に、手にはめていた手袋をはずして見せる。青みがかった金属で出来た腕輪が、手首にしっかりと装着されている。はめ込まれた青い宝石が、時折わずかな木漏れ日を受けてきらりと光った。
「疑ってる? ちゃんとアーツ・バングルもあるわよ。このとおり」
「……疑いようがあるかよ。目の前でそんなもん見せておいて」
「ふふ、そうね」
「まさか、こんな形で同じ能力者に会っちまうとはなぁ」
そう呟きながら、手が無意識に自分の手首に伸びた。手袋をそっとめくると、そこには間違いなく、目の前の彼女と同じモノ(彼女と違い、金属や宝石は赤いものだ)がしっかりとはめられている。
能力者に更なる力を与えるアイテム、アーツ・バングル。
魔力とは、自然の力。それらは本来人間が扱うべきものではない荒々しいもの。能力があるからといって、それは自在には操れない。アーツ・バングルは、魔力を使役し、暴走させないためのアイテムだ。
当然、アーツ・バングルの装備が許されるのは能力者の人間に限られるという。が、その経緯についてはほとんど知らない人間のほうが多い。大多数の人間は、能力者のみがつけなければならないものだと信じてやまない。フラムも当然そう信じているし、能力を持たない人間が装着してしまうとどうなるかは、知らないし興味もなかった。
元通り手袋をはめるティア。手首のアーツ・バングルは手袋と服の袖に隠され、見えなくなった。
「私の家は、樹海の中心部よ。広場になっていて、そこに小屋があるの」
「小屋?」
「ええ……きっとずっと昔、人が住んでいたんだと思うわ。追放された日、泣きじゃくって霧の樹海に迷い込んで……偶然あばら家を見つけて、住み着いたの。……昔話は良いわよね。行きましょう」
そこで話を切り、ティアは自分から先頭に立って歩き出した。慌ててフラムが静止する。
「待て! お前は詠唱時間がある。俺が前に立ったほうが良い。さっきみたいに魔物が飛び出して来たらどうする。お前より俺のほうが体力があると思うから、壁役にぐらいなれるさ」
「え。だって案内しないと……」
「方向だけ教えてくれれば良いさ。行くぞ」
そう言い、さっさとフラムは歩き出す。
「あ。……はい!」
ティアはしばらくぽかんと立ち尽くしていたが、やがて慌ててフラムの後を追った。
|
|