魔人との戦いが終わった後、ふたりはこれからの事をゆっくり話し合う為に、フォートの屋敷にたどり着いていた。……心身ともに疲れきったこの状態で、果たして話など出来るかどうか、そこは疑問だったが。
屋敷の正面、キュアの国章が刻まれた大きな扉を押し開ける。そこは玄関を兼ねた広間で、フォートの導きで港から逃げてきた、沢山の水の民たちがごった返していた。
「あの化け物、どうなったのかしら」
「ベリルさん、前はあんな野心家じゃなかったよな?」
「孫娘がどうとか言ってたな。同情の余地はないこともないけど……やり過ぎだよ、あの爺さんは」
「ベリルさんもそうだけど、あのセッツとかいう男も酷かったわよ。あの人はベリルさんの弱みに付け込んだのよ!」
「ああ、やっぱり帝国は悪党の国さ。慈悲の心なんかありゃせんよ」
人ごみを掻き分けて足を進めるたびに、そんなやりとりがそこかしこから聞こえてくる。
ティアの表情がみるみる曇ってゆく。
魔人を倒して屋敷に向かってから、彼女は一向に口を開くことが無かった。
無理もない。
ティア自身とベリルの証言から察するに……彼女は、恐らく前にも魔人と戦ったことがあるのだ。
それが元は人間だったとは知らず、魔法を駆使して倒してしまった。
その、帝国の手で魔人にされてしまった人物こそが……彼女が『親友』と言い、あの老人が『孫娘』と言った人物。
ベリルは孫娘を魔人化させた帝国ではなく、殺したティアを憎んでしまった。だからティアを追放し、孫娘を殺した魔法能力者を憎んだ。憎んだあまり……自分もその力を得て、同じ力で孫娘の敵を討つ為に、帝国の甘い言葉に乗ってしまった。
そして……その悲劇が、再び起こった。
彼女にとって良く知る人物が再び魔人にされ、そして再び彼女が“殺して”しまった。
落ち込まないほうがおかしいのだ。
(……参ったな)
かける言葉も無く、フラムはただため息をつくばかりだった。
その時。
「君たち」
優しげな老人の声で呼び止められた。振り向くと、そこにはフォートが立っていた。彼の存在に気づいた他の水の民たちが、一斉に会釈をする。ざわめきが収まってゆく。
「……怪我は無いかい?」
「ああ。ティアが魔法で癒してくれた」
「……先ほどは、大変だったね」
「構わない。あそこであれに太刀打ち出来たのは、きっと俺たちだけだったから」
「……」
言葉を濁しながらも取り繕うような声をかけるフォートに、フラムは淡々と返す。ティアは、やはり黙り込んだままだった。
俯いているティアを見て、やれやれ、とフォートがため息をついた。
「……すっかり落ち込んでいるようだな」
「ああ。さっきの戦いからずっとあの調子さ。……ティア!」
「! え、ええ……」
フラムに鋭く怒鳴るように呼ばれて、驚いたようにティアが顔を上げる。慌ててフォートに向き直って、深く頭を下げた。
「お気遣いありがとうございます、領主様」
「どう致しまして。……ところで、君はこれからどうするつもりかね?」
「これから……ですか?」
「少し酷い言い方だが……」
そう前述して、険しい表情を浮かべながらフォートは言った。
「君は、ベリル殿を殺してしまったのだ。自衛のためとはいえ……これで追放処分はもう覆ることは無くなる。ベリル殿に後継者はいないのだからね」
「……ッ」
「君に、もう帰る場所は無い。しかし……国外に出るのが必ずしも良い事ではないのだよ」
俯いて黙り込むティアの肩にそっと手を置いて、フォートは慰めるように優しく語りかけた。
「君が望むなら、私の屋敷に住みたまえ。少ないかも知れんが、従者として働いてくれるのならば給金も出そう」
「えっ?」
「いいな。そうして貰えよ、ティア」
きょとんとするティアに、フラムはそう嬉しそうに声をかける。
別に、ティアのことを厄介払いしている訳ではない。
もし彼女がこのまま自分に着いて来るとしたら……これからも、ずっと酷い目に遭うかもしれないと思ったからだ。いや、「しれない」ではない。本当にそうなるだろう。何しろ、相手はあの巨大な帝国なのだから!
セッツのことは、妹を殺されている自分だけの問題。
会ったことはおろか、彼に何かを奪われたわけでもないティアは、何の関係も無い。
それがフラムの考えだった。
「……」
しかし、ティアは少し考えた後、黙って首を横に振った。
「ティア……」
「……、何故その答えを?」
「……私は、知りたいんです。私に宿った、この力の意味を」
そう言って、ティアは静かに目を閉じた。
その直後、いつかのように……彼女の背には羽が、額にはマークが、ふわりと浮かび上がってゆく。
3人を遠巻きに見ていた水の民たちから、おお、と感嘆の声が上がる。
「!」
「驚いた? 何度か発動するたびに、どうすれば発動できるか分かっちゃった」
目を見開くフラムにそう笑いかけてから、ティアは再びフォートに視線を合わせて、言った。
「追放されてから、私はずっと霧の樹海のあばら家に住んでいました。その間……ずっと、何かに呼ばれていたように感じていました。そして……つい先日、私を呼んでいたものの正体が分かったの。私にこの力をくれた……不思議な石。言葉を喋るほどの知性を持った、とても強い魔物に護られていた。つまり、それほど大事なものを私は手にした。大事な人を2人も殺してしまった、罪深いこの私なんかが……。そして、この力は……あの石は、帝国も狙っているそうです」
一気にそう言って、ティアは、ふう、と息をつく。長い台詞を言い終えた役者のようだ、とフラムは思った。
「……つまり」
黙ってティアの言葉に耳を傾けていたフォートが、顎に手を当てながら聞き返した。
「君に宿った力の正体を知る為に、帝国と戦う、と……そう言うのかね? 隣にいる、火の民の少年と共に……?」
「はい」
「ティア!」
大きくティアは頷き、即答した。迷うことなく、きっぱりと。
思わずフラムが声を荒げる。
「今からでも考え直せよ! これは俺だけの問題だぞ! “共鳴”のことはともかく、帝国のことはお前には関係無いだろう!」
「何を言っているのよ!」
勢いよく振り返って、ティアは反論した。
「連中にあんなものを渡しちゃいけないことぐらい、フラムにだって分かるでしょう!」
「それは分かるが……それだけでお前が手を汚す必要は無い! 俺にはセッツっていう仇がいるけど、ティアにはいないだろ! 帝国を……いや、誰かを憎むなんてこと、お前に出来るはずが……」
「そんな事無いわ!」
フラムの声を遮り、ティアは叫ぶ。
必死に、そして悲痛に。
同じ痛みを、分け合おうとして。
「私だって……クリスや村長を魔人にされたのよ! 殺してしまったのは確かに私だけれど……私がふたりと戦わなきゃいけない状況を作ったのは、帝国なのよ!」
「……!」
はっと息を呑んだ。
そう言えば、忘れていた。
先ほどのベリルだってセッツの手で魔人となったのだし、2年前だって……彼女の親友にしてベリルの孫娘・クリスを魔人化した誰かがいるのだ!
「私だって、憎いのよ! 帝国が! 立ち向かいたいほどに……!」
「ティア……」
「……やれやれ。これは言っても聞かんな」
ため息交じりに、フォートが苦笑いした。
不意に、真剣な顔つきでフラムのほうを見つめる。
「赤毛の青年。確か……そう、フラムといったね」
「あ。フォートさ……いや、領主、様」
「いやいや、こんな老いぼれはフォートと呼んでも構わんよ」
ふるふると首を振りながら、優しげな笑みを浮かべるフォート。
しかし、その表情は一瞬で彼の顔から消え失せた。
「どうか、ティアを側で見守ってやって欲しい」
「え?」
「私はこの国の領主だ。例え罪人だろうと、彼女は大切な我が国の生んだ水の民」
そう言って、フォートはティアのほうへ視線を移す。
それは、慈愛に満ちた穏やかな目だった。
心から、自分の国民全てを、分け隔てなく愛している。
そう言いきれる優しい色を、その蒼い瞳いっぱいにたたえた、とても美しいもの……。
「魔法能力者だとか追放者だとか、そういう事ではないよ。我が国に住まうひとりひとりの人物として、私は君を送り出すんだ」
「領主様……」
ティアが思わず涙ぐむ。
フラムには、彼女の気持ちが分かるような気がした。
今までずっと異端視される辛さも、誤解されていた力を誰かに理解して貰える嬉しさも。
フラムにも、覚えがあったから。
そんなフラムの考えを察したのか、フォートはフラムのほうに視線を戻して、再び口を開いた。
「……、フラム君、といったね。私はね、君が彼女と出会った事は偶然ではない筈だと思うんだよ」
「必然的な出会いだった、って言うのか?」
「少なくとも私はそう思っているよ。君たちは同じ力を持ち、同じ目的を持ち、同じ過去を背負っている。それに……彼女と共に戦い、彼女を幾度となく守ってくれただろう?」
「ま、守ってくれたなんて……そんな!」
思わず、柄にもなくうろたえるフラム。
何だか、物凄く照れくさかった。
自分は別にこの力を特に特別だとは思っていないし、ティアを守ったのだって、ほとんど本能や勘に近い行動だったのだから。
「俺は別に、そんな大層なことは……」
「はは、照れなくても良いさ」
返答に困るフラムの苦し紛れな言葉を遮り、笑って言うフォート。
やがて、その表情が真剣なものに戻った。
「帝国を相手にすると言うのならば、並大抵のことではない。君たちはそれに立ち向かおうとしている。君が望むなら、私の大事な国民をどうか守ってはくれないか? ……出来る限りで構わない。これから先お互いの目的が果たされるまで、ずっと……ね」
それは『領主』としてではなく、ひとりの『水の民』としての、尊い願い。
そんなにも重いものを、彼は外国・小都市マグナの『火の民』……外国から流れ着いてきた『余所者』である自分に託している。
彼女と同じものを、複数抱えている。たったそれだけの理由で。
信頼、されているんだ。
あくまでも偶然に彼女と出会い、偶然に彼女の側にいた、自分だけが。
……面白い。
「……仕方ないな。そこまで言われちゃ、やらないわけにはいかないか」
「フラム!」
「そうかね、やってくれるか!」
ティアとフォートの顔が、ぱっと輝いた。
心から、嬉しそうに。
「どうか、私の国民をよろしく頼むよ」
そう言い、フォートが握手を求める。
「……ああ」
少し戸惑いながらも、彼のしわの入った手を握り返した。
「任せろ。指一本触れさせないさ」
口ではそう言いつつも、彼の心の中では別の思いが渦巻いていた。
(“共鳴”……か)
どちらにしても、帝国を相手にするのだ。
樹海や留置所で、倒すどころか傷ひとつ負わせることすらも出来ず、あっさり返り討ちにされた悔しさは、彼の心の奥にしっかりと染み付いていた。
セッツが言った“共鳴”の条件が、魔法能力者と関係があるのなら……
(もしかしたら……俺にも!)
妹の仇を討つのは、力をつけてからでも遅くない。
その為の近道が、今目の前にあるのだ。
見て見ぬふりなど、出来るわけがない。
ふと、何故か一瞬だけ……今は亡きベリルの、野心に満ちた顔が脳裏をよぎった。
(……俺も、あの爺さんと変わりないかもな)
「?」
皮肉っぽく、苦笑する。
ティアが不思議そうにこちらを見たが、気づかないふりをした。
「……さて、これからだが」
フォートの声で我に返った。
急いで彼の話に耳を傾ける。
「ふたりは帝国へ……闇の島・ダルグへ行きたいのかな?」
「……ああ、俺はね。ティアは?」
「私はあの光る石を調べたいわ。帝国だけじゃなく、ほぼ全部の国を回る必要があると思うの」
想定内の答えが返ってきた。
当然だ。
自分が見る限り、樹海の奥で見たのは水属性の石だった。だとすれば、他の4属性、風・地・火・闇の属性を秘めた石も、きっとどこかにあるのだ。
あの時は、ティアと石との属性が同じだったからこそ“共鳴”が起こった。自分が彼女と同じ現象を起こすのならば、石と自分との属性が一致しなければ意味がない。
それに、例え“共鳴”を果たせなかったとしても、今覚えているだけの魔法では心許ない。より多くの戦闘を積み、剣術も魔法も習得しなければ。
さも忘れていたかのように、とぼけて見せる。
「ああ、そうか。お前と“共鳴”したひとつだけじゃないもんな」
「ええ。連中の話だと、あと4つ残ってる筈だから」
「……成る程。ならば、とりあえずこの国を出なければならないね」
ふたりの会話の内容を知ってか知らずか、顎に手を当ててうんうんと頷くフォート。
やがて、彼は顔を上げた。
「何しろここは小さい国でね。港から出る定期便は、隣国の風の島・王国フェルザまでしか出ていないんだ。そこの首都まで行けば、帝国行きの船はあると思うよ」
「分かりました。少なくとも、そこまでは一緒に行動するのね」
大きく頷き、ティアが答える。
うむ、と頷き、フォートは丁度彼の真後ろにある、屋敷の奥に続く階段を示して言った。
「申し訳ないが、あんな事があった後だ。流石に今日は船は出せない。ゆっくり休んで、明日出発すると良いよ。好きな部屋を貸そう」
「ああ」
「ありがとうございます。領主様」
ぺこりと頭を下げ、ふたりは足早に階段に足をかけた。
嫌だ。
やめろ。
……やめてくれ!
「……っ!!」
恐怖感が限界まで達した途端、強烈な浮遊感……そう、まるで深い水の底から一気に浮かび上がるような……で、意識が一気に覚醒する。
夢、だった。
ここ最近毎晩のように見る、2年前の……あの時の、悪夢。
「……」
全身が汗でぐっしょりと濡れ、気分が悪い。
「フラム?」
「っ!」
いきなり名前を呼ばれ、肩がびくりと跳ねた。
勢いよく声のしたほうを振り返る。
「きゃっ!」
「あ……」
自分が寝ていたベッドの側で、ティアが蒼い目を見開いていた。
驚いたのはこっちだ、と心の中で呟きながら、フラムはひとつ安堵のため息をつく。
「はあ……なんだ、ティアか」
「お、驚かせちゃってごめんなさい。……うなされていたわ、すごく」
「起こしたか? 悪いな。明日早いのに」
「ううん」
ふるふると首を横に振ってから、不意にティアは近くのバルコニーに足を向け、にこりと笑って言った。
「ね、外に出ましょう。月が綺麗よ」
「……ああ。丁度、夜風に当たりたいと思ってた」
素直に、ベッドから身を起こして立ち上がる。
夢というものは、悪い内容に限ってよく覚えているものだ。
今再び目を閉じたら、またしてもあの光景が襲ってきそうで……こんなこと彼女の前ではとても言えないが、怖かった。
それに、あんなものを見せられた今のフラムには、睡魔など全く襲ってはいない。
今夜は当分眠れそうにはなかった。
徹夜は慣れたものだ。悪夢を見始めてから、ほぼずっとこの調子なのだから。
先にバルコニーに出たティアに続いて、フラムは大きなガラス戸を押し開けた。
冷たい夜風が頬を撫で、いくらか気分が良くなったような気がする。
ティアの隣に立ち、夜空を見上げる。
今夜は一片の欠けもない満月。
丸い月の傍らで、星はまるでビー玉をばら撒いた様に、暗い空でいくつも輝いていた。
「キュアは空が澄んでいるでしょう? 月も星も良く見えるわ」
「ああ、星明りをぼかしちまう街の明かりも少ないしな」
「遠まわしに田舎だって言ってる?」
「……想像に任せる」
くすくすと笑いあう。
ふと、ティアの視線が、フラムの首に下がったペンダントにとまった。
「……寝てるときでも外さないのね。それ」
「ああ。これか?」
細い銀色のチェーンをそっと掴み、フラムはそれを自分の目の前ぐらいまで持ち上げる。
ガラス製のペンダントは、月明かりを透かしてきらりと光った。
「留置所で聞いただろ、俺の妹のこと。……最後にあいつに貰ったものさ。俺の16の誕生日の時に」
「そう……形見、なのね。そんな大事なもの、私なんかに見せてよかったの?」
「別に。壊されたり捨てられたりしないならいいさ。……それより」
チェーンを掴んでいた手を離すと、それはしゃらりと軽い音を立ててフラムの胸元へ戻ってくる。
ティアと向かい合って、フラムは真剣な声量で尋ねた。
「俺より、ティア。お前の過去については……ホントのところはどうなんだ?」
「……そう、ね。まだ全部言ってなかったわね」
話しておくべきなのかもしれない。
フォートも言っていたけれど……彼が魔法能力者なのも、自分と出会ったのも、過去にあった出来事が似ているのも、自分の過去を断片的に知ってしまったのも……偶然ではなく、必然なのかもしれない。
薄々、感じ始めているから。
「……時期的には、貴方と同じ2年前の話よ。村長はクリスの為、とか言ってたけど……本当は、きっと見せしめだったのね。帝国兵の誰かに、クリスは魔人にされて……そしてその瞬間、私はそこにいなかったの。外に薪を拾いに行ってて……」
「そして、お前が魔人の暴れてるとこに出くわした……ってわけか」
その先は言わない。言うほうが、きっと酷だから。
……ティアが、殺してしまった。
魔人と化した親友を。
元に戻る術はもう無く、親友が『殺してほしい』と懇願したとか、そういう美談ではない。
それが、元は親友だとは……いや、そもそも人間だとは知らずに、ただ魔物だと思って『退治』してしまった……。
「……助けなきゃ、って思った」
だんだん声が震えてくる。
夜空が、ぼやけていく。
あの時のことが、どんどん鮮明に思い出される。
こみ上げてくるものは、悲しみと後悔。
「クリスの両親を……村長の息子さんたちを殺したのは魔法を使う魔物だった。それ以来、村長は息子さんたちを殺した魔法が大嫌いになって、能力者の私に冷たく当たっていた……だけど!」
「ティア……」
「それでも、助けたかったの! 魔法は人殺しの力なんかじゃない、誰かを助ける力にだってなれる、って……そう思ってたのに、私……っ!」
「ティア!」
あふれ出す激情を、フラムがどうにか押しとどめた。
震える背中を、ぽんぽんと撫でるように優しく叩く。
それは、まるで小さい子供をあやす父親のようだった。
「もういい。よく分かった。分かったから」
「うっ……うぅっ」
「お前も、親友を奪った帝国が憎いんだな。俺と同じだ」
「……」
幾分、気持ちも落ち着いたらしい。
指で涙をぬぐいながら、静かにティアは答えた。
「ひとつだけ、違うわ」
「え?」
「もうひとつ、別のことを思ってる。フラムはただ憎いってだけでしょう? でも私は……可哀想、とも思ってる」
「可哀想?」
「ええ」
小さく頷き、不意に視線をフラムの顔から外し……ティアの瞳は、空の向こうをとらえていた。
位置的に、そちらは帝国が……闇の島・ダルグがあるほう。
「そんな風に……民族が違うとか地位が違うとかってだけで、誰かを見下したり、蔑んだり、見せしめなんかで殺したり……そんな生き方しか出来ない……ううん、知らないのかな、って」
「……」
やがて、再びフラムのほうを振り向いたその顔は、とても優しい微笑を浮かべていた。
「私たちで教えてあげましょう。もっと別の生き方があるんだ、って。あの分からず屋さんたちに。ね?」
不思議な少女だ、とフラムは思った。
魔法能力者というだけではない。
何故彼女の言葉には、こんなにも力があるのだろう。
彼女が悲しめばこちらも悲しい気持ちになり、そして彼女にこんな風に励まされれば、何故か頑張れる気持ちになってしまう。
「ああ。そうだな」
悪くない、と思った。
彼女の純粋さに、賭けてみようと思った。
朝一番の便でキュアを離れた。
フォートなら、きっと見送りに来ると思ったからだ。そんな堅苦しいものは、自分たちには似合わない。帝国打倒というのはあくまでも裏の姿。表向きは、国籍は違うものの、ごく普通の2人組みの旅行者なのだから。
空を飛ぶ大きな獣(魔物ではない)を動力にした船が動き出し、今まで自分たちが立っていた地面が、どんどん遠ざかってゆく。
眼下には、大陸より下をすっぽりと覆う雲。
それより下は、誰も知らない未開の地。
人はそこを【奈落の雲】と呼ぶ。落ちてしまえば生還は叶わないと言われ、恐れられている場所。
白く分厚い雲を見下ろして、ぽつりとティアが言った。
「……いつか、あのずっと下まで行ったりしてね」
「まさか」
フラムがばっさりと、彼女の期待に満ちた言葉を一蹴した。 「ヘブンズ・アースってのは、水の島キュア・風の島フェルザ・地の島グラム・火の島マグナ・闇の島ダルグ、の5大陸だけだろ。他にどんな世界があるって言うんだ」
「あら」
むっとしたように、ティアが顔をしかめる。
「ロマンがないのね、フラムって」
「俺の目的は仇討ちだぞ。ロマンもへったくれもないだろ」
「……もう。夕べは話してて楽しかったのに。今はすっごくつまらないわ」
不満そうに頬を膨らませて、ぷいっとそっぽを向くティア。
フラムは何も言わない。
分かっている。
彼女は寂しいのだ、と。
追放されたティアにとって、故郷はもうあの大陸には無い。
それでも、あの大陸は彼女の生まれた場所。
生まれ故郷を離れるのは、誰だって寂しいに決まっている。
(……俺だって……2年前は)
そこまで心の中で呟いて、やめた。
旅立ちのことなど、考えたくも無い。
(……俺たちはどこまでも同じだな。帰る場所さえ、ふたりとも無いんだから)
風に揺られて、胸のペンダントがしゃらしゃらと音を立てる。
「……さよなら、クリス」
側で、小さく呟く声が聞こえた気がした。
|
|