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作品名:Tales of Moment 作者:美怜

第13回   旅立ち
 魔人との戦いが終わった後、ふたりはこれからの事をゆっくり話し合う為に、フォートの屋敷にたどり着いていた。……心身ともに疲れきったこの状態で、果たして話など出来るかどうか、そこは疑問だったが。

 屋敷の正面、キュアの国章が刻まれた大きな扉を押し開ける。そこは玄関を兼ねた広間で、フォートの導きで港から逃げてきた、沢山の水の民たちがごった返していた。

「あの化け物、どうなったのかしら」

「ベリルさん、前はあんな野心家じゃなかったよな?」

「孫娘がどうとか言ってたな。同情の余地はないこともないけど……やり過ぎだよ、あの爺さんは」

「ベリルさんもそうだけど、あのセッツとかいう男も酷かったわよ。あの人はベリルさんの弱みに付け込んだのよ!」

「ああ、やっぱり帝国は悪党の国さ。慈悲の心なんかありゃせんよ」

 人ごみを掻き分けて足を進めるたびに、そんなやりとりがそこかしこから聞こえてくる。

 ティアの表情がみるみる曇ってゆく。

 魔人を倒して屋敷に向かってから、彼女は一向に口を開くことが無かった。

 無理もない。

 ティア自身とベリルの証言から察するに……彼女は、恐らく前にも魔人と戦ったことがあるのだ。

 それが元は人間だったとは知らず、魔法を駆使して倒してしまった。

 その、帝国の手で魔人にされてしまった人物こそが……彼女が『親友』と言い、あの老人が『孫娘』と言った人物。 

 ベリルは孫娘を魔人化させた帝国ではなく、殺したティアを憎んでしまった。だからティアを追放し、孫娘を殺した魔法能力者を憎んだ。憎んだあまり……自分もその力を得て、同じ力で孫娘の敵を討つ為に、帝国の甘い言葉に乗ってしまった。

 そして……その悲劇が、再び起こった。

 彼女にとって良く知る人物が再び魔人にされ、そして再び彼女が“殺して”しまった。 

 落ち込まないほうがおかしいのだ。

(……参ったな)

 かける言葉も無く、フラムはただため息をつくばかりだった。

 その時。

「君たち」

 優しげな老人の声で呼び止められた。振り向くと、そこにはフォートが立っていた。彼の存在に気づいた他の水の民たちが、一斉に会釈をする。ざわめきが収まってゆく。

「……怪我は無いかい?」

「ああ。ティアが魔法で癒してくれた」

「……先ほどは、大変だったね」

「構わない。あそこであれに太刀打ち出来たのは、きっと俺たちだけだったから」

「……」

 言葉を濁しながらも取り繕うような声をかけるフォートに、フラムは淡々と返す。ティアは、やはり黙り込んだままだった。

 俯いているティアを見て、やれやれ、とフォートがため息をついた。

「……すっかり落ち込んでいるようだな」

「ああ。さっきの戦いからずっとあの調子さ。……ティア!」

「! え、ええ……」

 フラムに鋭く怒鳴るように呼ばれて、驚いたようにティアが顔を上げる。慌ててフォートに向き直って、深く頭を下げた。

「お気遣いありがとうございます、領主様」

「どう致しまして。……ところで、君はこれからどうするつもりかね?」

「これから……ですか?」

「少し酷い言い方だが……」

 そう前述して、険しい表情を浮かべながらフォートは言った。

「君は、ベリル殿を殺してしまったのだ。自衛のためとはいえ……これで追放処分はもう覆ることは無くなる。ベリル殿に後継者はいないのだからね」

「……ッ」

「君に、もう帰る場所は無い。しかし……国外に出るのが必ずしも良い事ではないのだよ」

 俯いて黙り込むティアの肩にそっと手を置いて、フォートは慰めるように優しく語りかけた。

「君が望むなら、私の屋敷に住みたまえ。少ないかも知れんが、従者として働いてくれるのならば給金も出そう」

「えっ?」

「いいな。そうして貰えよ、ティア」

 きょとんとするティアに、フラムはそう嬉しそうに声をかける。

 別に、ティアのことを厄介払いしている訳ではない。

 もし彼女がこのまま自分に着いて来るとしたら……これからも、ずっと酷い目に遭うかもしれないと思ったからだ。いや、「しれない」ではない。本当にそうなるだろう。何しろ、相手はあの巨大な帝国なのだから!

 セッツのことは、妹を殺されている自分だけの問題。

 会ったことはおろか、彼に何かを奪われたわけでもないティアは、何の関係も無い。

 それがフラムの考えだった。

「……」

 しかし、ティアは少し考えた後、黙って首を横に振った。

「ティア……」

「……、何故その答えを?」

「……私は、知りたいんです。私に宿った、この力の意味を」

 そう言って、ティアは静かに目を閉じた。

 その直後、いつかのように……彼女の背には羽が、額にはマークが、ふわりと浮かび上がってゆく。

 3人を遠巻きに見ていた水の民たちから、おお、と感嘆の声が上がる。

「!」

「驚いた? 何度か発動するたびに、どうすれば発動できるか分かっちゃった」

 目を見開くフラムにそう笑いかけてから、ティアは再びフォートに視線を合わせて、言った。

「追放されてから、私はずっと霧の樹海のあばら家に住んでいました。その間……ずっと、何かに呼ばれていたように感じていました。そして……つい先日、私を呼んでいたものの正体が分かったの。私にこの力をくれた……不思議な石。言葉を喋るほどの知性を持った、とても強い魔物に護られていた。つまり、それほど大事なものを私は手にした。大事な人を2人も殺してしまった、罪深いこの私なんかが……。そして、この力は……あの石は、帝国も狙っているそうです」

 一気にそう言って、ティアは、ふう、と息をつく。長い台詞を言い終えた役者のようだ、とフラムは思った。

「……つまり」

 黙ってティアの言葉に耳を傾けていたフォートが、顎に手を当てながら聞き返した。

「君に宿った力の正体を知る為に、帝国と戦う、と……そう言うのかね? 隣にいる、火の民の少年と共に……?」

「はい」

「ティア!」

 大きくティアは頷き、即答した。迷うことなく、きっぱりと。

 思わずフラムが声を荒げる。

「今からでも考え直せよ! これは俺だけの問題だぞ! “共鳴”のことはともかく、帝国のことはお前には関係無いだろう!」

「何を言っているのよ!」

 勢いよく振り返って、ティアは反論した。

「連中にあんなものを渡しちゃいけないことぐらい、フラムにだって分かるでしょう!」

「それは分かるが……それだけでお前が手を汚す必要は無い! 俺にはセッツっていう仇がいるけど、ティアにはいないだろ! 帝国を……いや、誰かを憎むなんてこと、お前に出来るはずが……」

「そんな事無いわ!」

 フラムの声を遮り、ティアは叫ぶ。

 必死に、そして悲痛に。

 同じ痛みを、分け合おうとして。 

「私だって……クリスや村長を魔人にされたのよ! 殺してしまったのは確かに私だけれど……私がふたりと戦わなきゃいけない状況を作ったのは、帝国なのよ!」

「……!」

 はっと息を呑んだ。

 そう言えば、忘れていた。

 先ほどのベリルだってセッツの手で魔人となったのだし、2年前だって……彼女の親友にしてベリルの孫娘・クリスを魔人化した誰かがいるのだ!

「私だって、憎いのよ! 帝国が! 立ち向かいたいほどに……!」

「ティア……」

「……やれやれ。これは言っても聞かんな」

 ため息交じりに、フォートが苦笑いした。

 不意に、真剣な顔つきでフラムのほうを見つめる。

「赤毛の青年。確か……そう、フラムといったね」

「あ。フォートさ……いや、領主、様」

「いやいや、こんな老いぼれはフォートと呼んでも構わんよ」

 ふるふると首を振りながら、優しげな笑みを浮かべるフォート。

 しかし、その表情は一瞬で彼の顔から消え失せた。

「どうか、ティアを側で見守ってやって欲しい」

「え?」

「私はこの国の領主だ。例え罪人だろうと、彼女は大切な我が国の生んだ水の民」

 そう言って、フォートはティアのほうへ視線を移す。

 それは、慈愛に満ちた穏やかな目だった。

 心から、自分の国民全てを、分け隔てなく愛している。

 そう言いきれる優しい色を、その蒼い瞳いっぱいにたたえた、とても美しいもの……。

「魔法能力者だとか追放者だとか、そういう事ではないよ。我が国に住まうひとりひとりの人物として、私は君を送り出すんだ」

「領主様……」

 ティアが思わず涙ぐむ。

 フラムには、彼女の気持ちが分かるような気がした。

 今までずっと異端視される辛さも、誤解されていた力を誰かに理解して貰える嬉しさも。

 フラムにも、覚えがあったから。

 そんなフラムの考えを察したのか、フォートはフラムのほうに視線を戻して、再び口を開いた。

「……、フラム君、といったね。私はね、君が彼女と出会った事は偶然ではない筈だと思うんだよ」

「必然的な出会いだった、って言うのか?」

「少なくとも私はそう思っているよ。君たちは同じ力を持ち、同じ目的を持ち、同じ過去を背負っている。それに……彼女と共に戦い、彼女を幾度となく守ってくれただろう?」

「ま、守ってくれたなんて……そんな!」

 思わず、柄にもなくうろたえるフラム。

 何だか、物凄く照れくさかった。

 自分は別にこの力を特に特別だとは思っていないし、ティアを守ったのだって、ほとんど本能や勘に近い行動だったのだから。

「俺は別に、そんな大層なことは……」

「はは、照れなくても良いさ」

 返答に困るフラムの苦し紛れな言葉を遮り、笑って言うフォート。

 やがて、その表情が真剣なものに戻った。

「帝国を相手にすると言うのならば、並大抵のことではない。君たちはそれに立ち向かおうとしている。君が望むなら、私の大事な国民をどうか守ってはくれないか? ……出来る限りで構わない。これから先お互いの目的が果たされるまで、ずっと……ね」

 それは『領主』としてではなく、ひとりの『水の民』としての、尊い願い。

 そんなにも重いものを、彼は外国・小都市マグナの『火の民』……外国から流れ着いてきた『余所者』である自分に託している。

 彼女と同じものを、複数抱えている。たったそれだけの理由で。

 信頼、されているんだ。

 あくまでも偶然に彼女と出会い、偶然に彼女の側にいた、自分だけが。

 ……面白い。

「……仕方ないな。そこまで言われちゃ、やらないわけにはいかないか」

「フラム!」

「そうかね、やってくれるか!」

 ティアとフォートの顔が、ぱっと輝いた。

 心から、嬉しそうに。

「どうか、私の国民をよろしく頼むよ」

 そう言い、フォートが握手を求める。

「……ああ」

 少し戸惑いながらも、彼のしわの入った手を握り返した。

「任せろ。指一本触れさせないさ」

 口ではそう言いつつも、彼の心の中では別の思いが渦巻いていた。

(“共鳴”……か)

 どちらにしても、帝国を相手にするのだ。

 樹海や留置所で、倒すどころか傷ひとつ負わせることすらも出来ず、あっさり返り討ちにされた悔しさは、彼の心の奥にしっかりと染み付いていた。

 セッツが言った“共鳴”の条件が、魔法能力者と関係があるのなら……

(もしかしたら……俺にも!)

 妹の仇を討つのは、力をつけてからでも遅くない。

 その為の近道が、今目の前にあるのだ。

 見て見ぬふりなど、出来るわけがない。

 ふと、何故か一瞬だけ……今は亡きベリルの、野心に満ちた顔が脳裏をよぎった。

(……俺も、あの爺さんと変わりないかもな)

「?」

 皮肉っぽく、苦笑する。

 ティアが不思議そうにこちらを見たが、気づかないふりをした。

「……さて、これからだが」

 フォートの声で我に返った。

 急いで彼の話に耳を傾ける。 

「ふたりは帝国へ……闇の島・ダルグへ行きたいのかな?」

「……ああ、俺はね。ティアは?」

「私はあの光る石を調べたいわ。帝国だけじゃなく、ほぼ全部の国を回る必要があると思うの」

 想定内の答えが返ってきた。

 当然だ。

 自分が見る限り、樹海の奥で見たのは水属性の石だった。だとすれば、他の4属性、風・地・火・闇の属性を秘めた石も、きっとどこかにあるのだ。

 あの時は、ティアと石との属性が同じだったからこそ“共鳴”が起こった。自分が彼女と同じ現象を起こすのならば、石と自分との属性が一致しなければ意味がない。

 それに、例え“共鳴”を果たせなかったとしても、今覚えているだけの魔法では心許ない。より多くの戦闘を積み、剣術も魔法も習得しなければ。

 さも忘れていたかのように、とぼけて見せる。

「ああ、そうか。お前と“共鳴”したひとつだけじゃないもんな」

「ええ。連中の話だと、あと4つ残ってる筈だから」

「……成る程。ならば、とりあえずこの国を出なければならないね」

 ふたりの会話の内容を知ってか知らずか、顎に手を当ててうんうんと頷くフォート。

 やがて、彼は顔を上げた。

「何しろここは小さい国でね。港から出る定期便は、隣国の風の島・王国フェルザまでしか出ていないんだ。そこの首都まで行けば、帝国行きの船はあると思うよ」

「分かりました。少なくとも、そこまでは一緒に行動するのね」

 大きく頷き、ティアが答える。

 うむ、と頷き、フォートは丁度彼の真後ろにある、屋敷の奥に続く階段を示して言った。

「申し訳ないが、あんな事があった後だ。流石に今日は船は出せない。ゆっくり休んで、明日出発すると良いよ。好きな部屋を貸そう」

「ああ」

「ありがとうございます。領主様」

 ぺこりと頭を下げ、ふたりは足早に階段に足をかけた。 



 嫌だ。

 やめろ。

 ……やめてくれ!

「……っ!!」

 恐怖感が限界まで達した途端、強烈な浮遊感……そう、まるで深い水の底から一気に浮かび上がるような……で、意識が一気に覚醒する。

 夢、だった。

 ここ最近毎晩のように見る、2年前の……あの時の、悪夢。

「……」

 全身が汗でぐっしょりと濡れ、気分が悪い。

「フラム?」

「っ!」

 いきなり名前を呼ばれ、肩がびくりと跳ねた。

 勢いよく声のしたほうを振り返る。

「きゃっ!」

「あ……」

 自分が寝ていたベッドの側で、ティアが蒼い目を見開いていた。

 驚いたのはこっちだ、と心の中で呟きながら、フラムはひとつ安堵のため息をつく。

「はあ……なんだ、ティアか」

「お、驚かせちゃってごめんなさい。……うなされていたわ、すごく」

「起こしたか? 悪いな。明日早いのに」

「ううん」

 ふるふると首を横に振ってから、不意にティアは近くのバルコニーに足を向け、にこりと笑って言った。

「ね、外に出ましょう。月が綺麗よ」

「……ああ。丁度、夜風に当たりたいと思ってた」

 素直に、ベッドから身を起こして立ち上がる。

 夢というものは、悪い内容に限ってよく覚えているものだ。

 今再び目を閉じたら、またしてもあの光景が襲ってきそうで……こんなこと彼女の前ではとても言えないが、怖かった。

 それに、あんなものを見せられた今のフラムには、睡魔など全く襲ってはいない。

 今夜は当分眠れそうにはなかった。

 徹夜は慣れたものだ。悪夢を見始めてから、ほぼずっとこの調子なのだから。

 先にバルコニーに出たティアに続いて、フラムは大きなガラス戸を押し開けた。

 冷たい夜風が頬を撫で、いくらか気分が良くなったような気がする。

 ティアの隣に立ち、夜空を見上げる。

 今夜は一片の欠けもない満月。

 丸い月の傍らで、星はまるでビー玉をばら撒いた様に、暗い空でいくつも輝いていた。

「キュアは空が澄んでいるでしょう? 月も星も良く見えるわ」

「ああ、星明りをぼかしちまう街の明かりも少ないしな」

「遠まわしに田舎だって言ってる?」

「……想像に任せる」

 くすくすと笑いあう。

 ふと、ティアの視線が、フラムの首に下がったペンダントにとまった。

「……寝てるときでも外さないのね。それ」

「ああ。これか?」

 細い銀色のチェーンをそっと掴み、フラムはそれを自分の目の前ぐらいまで持ち上げる。

 ガラス製のペンダントは、月明かりを透かしてきらりと光った。

「留置所で聞いただろ、俺の妹のこと。……最後にあいつに貰ったものさ。俺の16の誕生日の時に」

「そう……形見、なのね。そんな大事なもの、私なんかに見せてよかったの?」

「別に。壊されたり捨てられたりしないならいいさ。……それより」

 チェーンを掴んでいた手を離すと、それはしゃらりと軽い音を立ててフラムの胸元へ戻ってくる。

 ティアと向かい合って、フラムは真剣な声量で尋ねた。

「俺より、ティア。お前の過去については……ホントのところはどうなんだ?」

「……そう、ね。まだ全部言ってなかったわね」

 話しておくべきなのかもしれない。

 フォートも言っていたけれど……彼が魔法能力者なのも、自分と出会ったのも、過去にあった出来事が似ているのも、自分の過去を断片的に知ってしまったのも……偶然ではなく、必然なのかもしれない。

 薄々、感じ始めているから。

「……時期的には、貴方と同じ2年前の話よ。村長はクリスの為、とか言ってたけど……本当は、きっと見せしめだったのね。帝国兵の誰かに、クリスは魔人にされて……そしてその瞬間、私はそこにいなかったの。外に薪を拾いに行ってて……」

「そして、お前が魔人の暴れてるとこに出くわした……ってわけか」

 その先は言わない。言うほうが、きっと酷だから。

 ……ティアが、殺してしまった。

 魔人と化した親友を。

 元に戻る術はもう無く、親友が『殺してほしい』と懇願したとか、そういう美談ではない。

 それが、元は親友だとは……いや、そもそも人間だとは知らずに、ただ魔物だと思って『退治』してしまった……。

「……助けなきゃ、って思った」

 だんだん声が震えてくる。

 夜空が、ぼやけていく。

 あの時のことが、どんどん鮮明に思い出される。

 こみ上げてくるものは、悲しみと後悔。

「クリスの両親を……村長の息子さんたちを殺したのは魔法を使う魔物だった。それ以来、村長は息子さんたちを殺した魔法が大嫌いになって、能力者の私に冷たく当たっていた……だけど!」

「ティア……」

「それでも、助けたかったの! 魔法は人殺しの力なんかじゃない、誰かを助ける力にだってなれる、って……そう思ってたのに、私……っ!」

「ティア!」

 あふれ出す激情を、フラムがどうにか押しとどめた。

 震える背中を、ぽんぽんと撫でるように優しく叩く。

 それは、まるで小さい子供をあやす父親のようだった。

「もういい。よく分かった。分かったから」

「うっ……うぅっ」

「お前も、親友を奪った帝国が憎いんだな。俺と同じだ」

「……」

 幾分、気持ちも落ち着いたらしい。

 指で涙をぬぐいながら、静かにティアは答えた。

「ひとつだけ、違うわ」

「え?」

「もうひとつ、別のことを思ってる。フラムはただ憎いってだけでしょう? でも私は……可哀想、とも思ってる」

「可哀想?」

「ええ」

 小さく頷き、不意に視線をフラムの顔から外し……ティアの瞳は、空の向こうをとらえていた。

 位置的に、そちらは帝国が……闇の島・ダルグがあるほう。

「そんな風に……民族が違うとか地位が違うとかってだけで、誰かを見下したり、蔑んだり、見せしめなんかで殺したり……そんな生き方しか出来ない……ううん、知らないのかな、って」

「……」

 やがて、再びフラムのほうを振り向いたその顔は、とても優しい微笑を浮かべていた。

「私たちで教えてあげましょう。もっと別の生き方があるんだ、って。あの分からず屋さんたちに。ね?」

 不思議な少女だ、とフラムは思った。

 魔法能力者というだけではない。

 何故彼女の言葉には、こんなにも力があるのだろう。

 彼女が悲しめばこちらも悲しい気持ちになり、そして彼女にこんな風に励まされれば、何故か頑張れる気持ちになってしまう。

「ああ。そうだな」

 悪くない、と思った。

 彼女の純粋さに、賭けてみようと思った。



 朝一番の便でキュアを離れた。

 フォートなら、きっと見送りに来ると思ったからだ。そんな堅苦しいものは、自分たちには似合わない。帝国打倒というのはあくまでも裏の姿。表向きは、国籍は違うものの、ごく普通の2人組みの旅行者なのだから。

 空を飛ぶ大きな獣(魔物ではない)を動力にした船が動き出し、今まで自分たちが立っていた地面が、どんどん遠ざかってゆく。

 眼下には、大陸より下をすっぽりと覆う雲。

 それより下は、誰も知らない未開の地。

 人はそこを【奈落の雲】と呼ぶ。落ちてしまえば生還は叶わないと言われ、恐れられている場所。

 白く分厚い雲を見下ろして、ぽつりとティアが言った。

「……いつか、あのずっと下まで行ったりしてね」

「まさか」

 フラムがばっさりと、彼女の期待に満ちた言葉を一蹴した。
 
「ヘブンズ・アースってのは、水の島キュア・風の島フェルザ・地の島グラム・火の島マグナ・闇の島ダルグ、の5大陸だけだろ。他にどんな世界があるって言うんだ」

「あら」

 むっとしたように、ティアが顔をしかめる。

「ロマンがないのね、フラムって」

「俺の目的は仇討ちだぞ。ロマンもへったくれもないだろ」

「……もう。夕べは話してて楽しかったのに。今はすっごくつまらないわ」

 不満そうに頬を膨らませて、ぷいっとそっぽを向くティア。

 フラムは何も言わない。

 分かっている。

 彼女は寂しいのだ、と。

 追放されたティアにとって、故郷はもうあの大陸には無い。

 それでも、あの大陸は彼女の生まれた場所。

 生まれ故郷を離れるのは、誰だって寂しいに決まっている。

(……俺だって……2年前は)

 そこまで心の中で呟いて、やめた。

 旅立ちのことなど、考えたくも無い。

(……俺たちはどこまでも同じだな。帰る場所さえ、ふたりとも無いんだから)

 風に揺られて、胸のペンダントがしゃらしゃらと音を立てる。

「……さよなら、クリス」

 側で、小さく呟く声が聞こえた気がした。


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