「逃げなさい! 私の屋敷へ、早く!!」
フォートの声に従い、野次馬たちが蜘蛛の子を散らすように、我先にと逃げ出してゆく。
だが、フラムとティアだけは、どうしてもこの場から動けなかった。
その原因は、無論今この目の前にいる、ついさっきまでベリルだったはずのモノ。
「こっ……これは、一体……」
「ああ。魔人(まびと)を見るのは初めてですか?」
魔人。
そういう名らしいそれを見上げ、セッツは可笑しそうに言った。
「先程言ったでしょう。アーツ・バングルは【凡人】が装着するべきものでは無いと。魔力とは、荒々しい自然元素の力。素養の無い人間には、扱う事すらままならない……これが、無謀なる愚か者の辿るべき末路」
セッツがベリルに施したのは、闇属性のアーツ・バングル。5大属性のうち最強と呼ばれる魔力を込めたその腕輪は、本来ならば澄んだ紫色の筈なのだが、今は濁りきった気味の悪い色を放っていた。
「暴走して行き場を失った魔力がアーツ・バングルを介して装備者の体内に逆流し、体組織に異常発達を及ぼす。それが魔人です。力も十分。魔法も、アーツ・バングルの属性に対応したものをそれなりに扱える……」
セッツの声に応えるように、魔人が吼えた。
この力が。
そう、この力こそが。
「そう。姿かたちや理性の有無など、別に大した問題ではない。これこそまさに、あの男が欲したものなのです。彼も本望でしょう!」
「なんですって!」
ティアが声を荒げた。
納得出来ない。そう言いたげに、憤慨の声色で。
「そんなの酷いわ! 元に戻して!!」
「不可能ですよ。魔力の暴走を抑えられたとしても、体組織や理性はもう元には戻らない」
魔人の血走る一つ目を見つめるセッツの目は、まるでゴミでも見るかのような目だった。
弱者を見下す、強者の。
「そもそも、こんな辺境の田舎者如きが、国の上に立とうとする事自体が愚かだったのです。偉大なる帝国・ダルグの礎となるべくして生まれた、我等闇の民とはまるで違う。所詮あなた方底辺の人間など、我等の手の平の上で、我等の為に踊り狂っていれば良いのですよ!」
「……そんな……」
「貴様ッ!」
愕然とし、力なく地面にへたり込んだティアを尻目に、素早くフラムが抜刀して、前に飛び出した。
「妹も……フィラのことも、そう思って殺したんだろう! お前にとってはその程度の認識でも、俺にとっては大切な妹だったんだ!」
剣を握る手が、怒りのあまりにぶるぶると震えた。
このままでは、留置所の二の舞になることはよく分かっていた。
でも、止められない。
再びめぐってきたチャンスだから。
そして、あのような許されるべきではない暴言を、確かにこの耳で聞いてしまったから。
「絶対に許さない……、俺から何もかも奪って行った帝国を……! せめて、貴様だけは!!」
「……申し訳ありませんが」
フラムの言葉などまるで聞いていないかのように、突然セッツがくるりと2人のほうに背を向けて歩き出した。
港に泊まっている、黒い艦のほうへ。
「あんなもので私の剣を汚したくは無い。後始末は任せましょう」
「何だと! 待て!」
追いかけようと駆け出したフラムの前に、魔人が立ち塞がった。
セッツを、庇うように。
「また会えますよ。あなた方が、“共鳴”のことを調べようというのならば……いずれ、また」
魔人の巨体の向こうから、セッツの声が静かに響く。
その直後、轟音と共に、船がふわりと宙へ浮かび上がった。
セッツはもう乗り込んだ後だろう。空を飛ぶ術など当然無いし、もう追いかけるのは無理に決まっている。
どちらにしても、魔人との戦いは避けられない。
「くそっ……ティア、やるぞ!」
「えっ……そ、そんな……!」
フラムの呼びかけを聞いても、ティアは地面にへたり込んだままだった。
首をぶんぶんと大きく横に振って、蒼い瞳には涙をいっぱいに浮かべて……戦うことを、全身で拒絶している。
「私、魔人とは戦えない……もとは人間だったのよ! あれは村長なのよ! 私には戦えない!」
「そんな事言ってる場合か!」
言い争っている間に、魔人はじりじりとふたりとの間を詰めてきている。
やがて、魔人が長い腕を大きく振りかぶった。腕の先には3本の鋭く長い爪。
切り裂かれる!
咄嗟にフラムはティアを抱きかかえて後方へ飛んだ。直後に、背後を魔人の爪が掠める。今まで自分たちがいた場所に、鋭い爪あとがくっきりと残っていた。
「ひ……ッ」
「ぼやぼやしてると俺たちもああなるんだぞ! 死にたいのか!」
「で……でも!」
「もう元には戻らない! 俺たちがやらなきゃいけないんだ!」
ティアを押しやり、フラムは立ち上がった。剣に火が灯り、赤々と燃え上がる。
「あの男のことは気に食わない……でも、何となく分かる気がする」
不気味な濁った光を放つアーツ・バングル。 人間離れした姿と力。
今も尚あの男の体内で暴れ狂い、身体を蝕み続けている膨大な魔力。
自分たちが生まれ持った「魔法能力」というものは、とてつもなく危険なものなのだ。
幼い頃、ふざけて妹にアーツ・バングルをつけようとした時、祖父は柄にも無く激怒し、自分からアーツ・バングルを無理やり取り上げようとした。
普段と違う祖父の様子に恐怖し、思わず泣いてしまったのを良く覚えている。
血の繋がりは無いとはいえ、祖父もまた故郷・マグナの人間。当然魔法能力者ではない。そんな彼が何故アーツ・バングルの副作用を知っていたかは謎だったが……今になって、彼が怒った理由がようやく分かった。
もし止めていなかったらと思うと、ぞっとする。自分が妹を怪物化させるなんて、考えたくなかった。
……そして。
「ベリルは魔法能力者じゃない。魔法に選ばれなかったんだ。……でも、俺たちは違う」
剣を握る手に力がこもる。
そうだ。
自分たちは、あの男とは違う。
魔法を、使えるんだ。
この手で。
自分自身の、力で。
「俺たちは魔法に選ばれた。だから、俺たちでけりをつけなきゃいけないんだ!」
「……!」
ティアがはっと息を呑んだ。
それを尻目に、フラムは地面を蹴って駆け出した。
同時に、再び魔人の爪の斬撃が振るわれる!
大丈夫、動きは大振りだ。避けられる!
「っと……はっ! ……!?」
2回ほど攻撃を回避し、気がついた。
魔人の足元に、輝く紫色の陣が浮かび上がっているのを。
(魔法!?)
そうだ、セッツも言っていたじゃないか。
暴走しているとはいえ、今の彼は、魔法を操るだけの力を得た立派な魔物なのだから!
セッツが彼に与えた魔法の属性は……、……闇!
『 暗 黒 ( ダ ー ク フ ォ ー ス ) 』
くぐもった声で、魔法を唱える声が聞こえた。
それと同時に、フラムの側で闇の波動が生まれ、炸裂する!
肌の表面が少し抉れたようだが、問題ない。回避が後一歩遅れたなら、身体が粉々に吹き飛んでいたところだ。
「……っ!」
「フラム!」
ようやくティアが立ち上がった。片手に弓を持って。
皮肉るように、フラムは笑った。
「へっ。心は決まったらしいな」
「……、まだ少し怖いわ。でも、さっきのフラムの言葉でようやく決心がついた」
蒼い目を伏せて、静かにティアは言った。
「仕方ないのね。私たちがやるしかないのよね。……私も戦うわ!」
足元に青い陣が浮かび上がり、姿があの時の羽を生やした姿へと、徐々に変わってゆく。
「フラム、村長を引き付けてくれる?」
「ああ」
頷き、再びフラムは駆け出した。
爪の一撃をひらりひらりと避け続ける。
ティアに攻撃が当たらないように。彼女の魔法が確実に決まるように。
「……涼やかなる水音の調べよ……」
来る!
今の彼女が持つ、最大の攻撃が!
爪の一撃を剣で跳ね返して、フラムは後ろへ飛んだ。
次いで、背後で蒼い光の粒子が、はじける。
「……奔流(スプラッシュ)!」
放たれたのは、あの時樹海の奥、主が放った魔法だ。
どこからか現れた水流が、魔人の巨体をいとも簡単に押し倒し、地面に貼り付ける。
「俺たちもかなり喰らった魔法だ。効くだろ、爺さん」
『ガ……ァガア……』
「俺からも行くぜ!」
一気に跳躍し、剣の切っ先を下に向けた。
行き先は、魔人の身体のパーツで1番目立つ場所……顔の、巨大な目玉!
「だああああっ!!」
落下のスピードに乗せて、思い切り……突き刺す!
確かに、何かを貫いた手ごたえを感じる。
しかし、まだとどめではない。
『ギィァアアアアアアアア!!!!!』
凄まじい悲鳴が響いた。
すぐに体勢を立て直す。剣を持ち直して……
「炎刀(フレイム・ブレイド)!!」
身体から胴体へ、火をともした剣を思い切り、切り裂くように振る!
再び悲鳴が轟いた。
深い切り傷の中から、何かがざらざらと風に乗ってこぼれ落ちていく。
身体が朽ちてきているのだ。
今の一撃で、終わったのだ。
「そんちょ……」
ぎょろりと動いた目が、最期の力を振り絞って、しっかりとティアを捉える。
それは、憎悪の目だった。
「……ぁ……」
『 …… コ ノ 殺 人 者 ガ ァ …… ! 』
もしかすると、彼はとてつもなく哀れなのかもしれない。
孫の姿を変えた帝国ではなく、孫の命を奪ったティアを……魔法を憎むしか、彼には出来なかった。
そして今、孫と同じ最期を迎えようとしている。
……でも、彼がやろうとした事は、決して報われないし、許されるべき事でもないのだ。
魔法が、彼を狂わせた。
やがて、魔人の……ベリルの身体は、風に乗って跡形も無く消えてしまった。
ティアが、再び力なく地面にくず折れる。
「……なさい」
ぽたり、ぽたり。
地に付いた手の甲に、いくつもの雫がこぼれた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
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