均等に敷き詰められた石畳が美しい石造りの街。
そこかしこに張り巡らされた、何本もの水路。
人口のさほど多くない辺境の国。それでも賑わいを見せるこの街の小さな港に、周辺の風景にあまりにも不釣合いな黒く巨大な船が泊まっている。
その側で、2人の男は会話を交わしていた。
< 辺境:キュア 水の都・クェス >
「それにしても残念ですねぇ」
銀髪をたたえた初老の男性の前で、セッツはそう肩をすくめて言った。
「留置所の罪人を三日三晩寝ずに見張っている我らの兵たちが心配で……もっと見守ってやりたかったのですが」
「すみませんな。住民たちが不安がりますので」
むっとした顔でそう言う銀髪の男。
詭弁はいい。とっとと出て行け。その表情が、ありありと語っている。
彼に聞こえないように小さく舌を打ち、セッツは再び口を開いた。
「……、お優しいことですね。【青き知謀の泉】フォート・アイン・キュア領主殿」
「国の頂点に立つ者が、国に住まう民を想うのは当然の事です」
【領主】。
そう呼ばれたその男は、胸を張ってこう堂々と言い切って見せた。
歳を重ねていても、衰えることはない彼の思慮深さ。そして、その知識。
それが、この辺境の国を治める彼を、民が彼をその二つ名で呼ぶ理由だ。
泉のように絶える事無く沸き溢れるその知謀を、誰もが称えている。
彼こそ、この国を統治するに値する素晴らしい人物である、と。
「そちらもそうではないかな?」
じっと、刺青が掘り込まれたセッツの顔を見つめ、フォートは問うた。
「帝国を治める【黒き混沌たる軍略】ケイオス・イルデ・ダルグ皇帝殿も……また、民のためを想って貴方の国の頂点に君臨しているのではないですかな?」
「……」
ほんのわずかばかりの自然しか残さない、機械仕掛けの街。
自分を含めた何百人もの兵士たちを、容易く動かすその軍事力。
ふと、あの男の顔が頭をよぎった。いつも傍らで見ている、自信に満ち溢れたあの男の顔が。
自分の故郷の国を統治する、あの男の。
「やあやあ、お取り込み中失礼!」
突然、誰かが割り込んできた。
国章が刻まれた帽子をかぶった老人だ。国の中心を隔てる渓谷を超えてきたせいだろうか、服のあちこちが泥で汚れている。
(……なんと汚らしい。田舎者め)
嫌悪感は顔に出さずに、セッツはいつも通りの嘘の表情を……感情のない笑顔をへらりと浮かべ、言った。
「これはこれは。リヴェイル村の長、ベリル・ウォルト殿」
「領主様の前でいささか無礼だとは思いますが……国許へお帰りになる前に、約束のものを頂けますかな?」
「ああ。あれですか」
とぼけるようにそう言い、ローブの下をごそごそとまさぐる。輪になっている硬質な何かを掴み、取り出した。
「どうぞ。約束どおり、こちらに」
「おお、素晴らしい!」
「なっ!?」
セッツが差し出したものを見て、フォートは息を呑んだ。
それは、確かに見覚えのあるもの。運命と偶然とに選ばれた者しか装着を許されない、腕輪。
「それはアーツ・バングル! 何故それをベリル殿に? 貴方には必要の無いものでしょう!」
「……、これは良い機会ですな」
黒光りする腕輪を手の中でいじりながら、ベリルはセッツの方を振り返って、言った。
野心に満ちた、邪悪な笑みを浮かべて。
「セッツ殿。腕輪の力、この場で試してみても宜しいですかな?」
「ふう。やっと着いた」
土臭い地面から固い石畳に変わった地面を踏み、フラムは一息ついて言った。
ティアが、周辺をきょろきょろ見回しながら、言う。
「セッツはどこかしら」
「この国を出るつもりなら、多分港だろ。……それよりお前、本当に俺について来るつもりか?」
「ええ」
当然のように、ティアは頷いた。
「追放されてるもの。村になんか帰れないし……それに、あの樹海の暮らしにもそろそろうんざりしてた頃だから」
帰るべき場所の無い彼女にとって、それ以外に選択肢は無い。
それは、フラムも分かっている。
でも、つい先日見た限りでは、彼女は……
「でも、この間初めて会った時……村に帰りたがってるように、俺には見えたけどな」
「……ああ」
内心どきりとしながらも、平静を装いながらティアは言った。
「……友達に、会いたかったの」
「友達?」
「クリスっていうの。村長の孫娘」
「へえ、あの爺さんに孫娘がいたのか」
「そうよ。彼女のお父さんとお母さんは、魔物に襲われて死んでしまったの。だから、村長はクリスをとても大事にしてたわ」
「ふうん。……あれ?」
ふと、リヴェイルの風景を思い出して、フラムは首をひねった。
「ティアと同じぐらいの女の子って、あそこにいたっけな……?」
「……」
再び、ティアが不自然に口をつぐんだ時。
「……なの者! 聞くが良い!」
路地の向こうから、かすかに老人のしわがれた叫び声が聞こえた。
「今の声は……」
「村長だわ! どうしてクェスに……」
「港のほうだ。行ってみよう」
互いに頷きあい、ふたりは声のしたほうに駆け出した。
「ついに私は力を得るのだ。この国を統治するだけに値する力を、この場で!」
声が近づくにつれ、人が増えていく。
やがて、空を一望する高台へ出た。港だ。周りの風景に不釣合いな黒い巨大な船が停泊していて、その周辺には野次馬がごった返している。
そして、その人込みの中心に……
「見つけた、セッツ!」
「村長も! ……あ、領主様までいらっしゃるわ!」
「ん? ……ティア!? それに赤毛の坊主!」
野次馬を掻き分けて最前列に飛び出したふたりを見て、ベリルはぎょっとした。
ベリルの手に握られた黒い腕輪を見て、ふたりは目を見張る。
「手に持ってるの、アーツ・バングルか?」
「そうね……村長! こんなところで一体何を!」
「ふん。教えてやるのも悪くないか」
フン、と鼻を鳴らし、あざ笑うように言うベリル。
その表情に、もうふたりが知る愛想の良い笑顔は無い。
「こちらのセッツ殿が教えて下さったのだよ。これは装備者に未知なる力を無限に与える物。これさえあれば、そこの老いぼれ領主など敵ではない!」
「何ですって!」
ティアの声に反応して、野次馬たちが一斉に騒ぎ出した。
それは、全てが批判の声。
「ふざけるな!」
「領主様を老いぼれなんて言わないでよ!」
「フォートさんに謝れ!」
「ええい、黙れ、黙らんかぁ!!」
両手を大きく振り上げ、ベリルが怒鳴り散らす。
権力の犬と化した老人のわめき声は、とりあえず無視。セッツの顔をきっと睨み、フラムは静かに言った。
「セッツ。あんた、爺さんに何を入れ知恵した」
「入れ知恵とは人聞きの悪い。私は嘘はついていませんよ。それさえあれば、力は簡単に手に入る。あなた方は良くご存知でしょう」
そう言われ、手袋の下の硬質な感触を思い出す。
確かに、これは今まで、自分に魔法としての力を与え続けてきた。
自分にも、そしてティアにも。
「……っ」
悔しそうに歯噛みするフラムのほうは無視。ベリルのほうを振り返り、セッツは言った。
「さあ、やってごらんなさい。遠慮なく力を振るうといいでしょう、ベリル殿」
「……そうですな」
満足げに言うベリルの蒼い瞳が、不意にティアをじろりと睨みつけた。
「この場で孫娘の仇を討つというのも……のう、ティア……!」
「……!!」
「何だって!?」
ティアが、はっと息を呑む。
ぎょっとして、フラムがティアのほうを見る。
「お前、村長の孫娘は親友だって……一目会いたいって言ったじゃないか! 嘘だったのか!?」
「ち、違う! 違うわ! 私、嘘なんか……」
「黙らんか、この人殺しめが……」
ティアを責めるベリルの顔は、まさに鬼の形相だった。
自分も同じ境遇だからこそ、フラムには、分かる。
憎んでいるんだ。
心の底から、ティアだけを。 「息子夫婦がこの世を去ってから、私には孫娘しか……クリスしかいなかったのだ! 例え魔物になってしまっても、私にとってはただ一人の大切な孫娘だったのだ! ひょっとしたら元に戻せるかもしれなかった! その希望を、ティア! お前が絶ってしまったのだ!!」
(……魔物、だって?)
思わず首をひねった。
人間が、魔物に?
2年間旅をしていても、そんな話は聞いたことが無い。
「今なら分かりますぞ、セッツ殿」
セッツの方を振り返ったベリルの表情は、まるで何かにすがっているような目だった。
「2年前、帝国がクリスに成して下さったあれは、あの子を偉大にしようとしてくれていたのですな……失敗してしまったのは、私としましても非常に残念です。……だが!」
アーツ・バングルを大きく掲げ、高らかにベリルは叫んだ。
天井の楽園に生きる大切な孫娘に、届けとばかりに。
「私は違う! 成功してみせる! 力を得て、領主の座を奪ってみせる! そして、孫娘の仇を討ちましょうぞ!!」
「……何ということを」
高揚のあまり、ベリルは気づかない。
フォートの愕然とした呟きにも。
野次馬として一同を取り囲む民の……そしてセッツの、冷ややかな視線にも。
(あ……っ)
(……まさか!)
フラムにもティアにも、読めたような気がした。
全て、あり得ない。
彼の成功も、元に戻るかもしれないという希望も、帝国が孫娘に成したと言う行為も。
「村長! やめて下さいっ!!」
「取り返しがつかないぞ! やめるんだ!!」
ふたりの叫びは、高揚しきった彼の耳には届かない。
ぱちん。
その腕輪に秘められた、あまりにも重いもの。
それに見合わない軽い音が、確かに聞こえた。
「お、遅かった……そんな」
さあ、と、ふたりの血の気が引く。
「はははっ……さあ、早く! 力よ、私の元に……ぐぅっ!?」
どこか楽しげなベリルの叫びが途絶えた瞬間、何かにひびが入るような、鋭い音が響いた。
出所は、今さっきあの男の手首にはめ込まれた、アーツ・バングル。
がくりと膝を折って、ベリルは勢いよく石畳の上に倒れこんだ。手首を強く押さえ、ごろごろと地面をのた打ち回る。
「あ……な、何だ……この、奥底からこみ上げてくる、苦痛は……ッ!」
「力、ですよ。貴方がお望みのね」
そう言うセッツの声は、とてつもなく冷たかった。
「それは、本来魔法能力者のみが装着を許されるもの。その腕輪の中には凝縮された魔法属性の力が詰まっています。それが、腕輪を介して貴方の体内に入り込んで……【凡人】である貴方と、膨大な魔力との拒絶反応の為に暴走し、貴方の中で暴れまわっている。それだけの事です」
「お、おのれぇ……私を騙したのかぁ!!」
「騙したとは人聞きの悪い。そちらの勝手な勘違いでしょう?」
苦しむベリルを見下ろし、冷たくセッツは言い放つ。
その声にも、そして表情にも、つい先ほどまでの愛想のよさは、完全に無い。
「たかだか小村の長ごときが何をほざくか……貴方に、一国の主の座は似合いませんよ。貴方に相応しいのは……【魔物】の座。いや、【怪物】かな?」
「き、貴様ぁ……ぐ、がぁああああああ!!」
苦しげな叫びは、まるで街全体に……いや、国全体に響き渡るかのよう。
その瞬間、変化は起きた。
アーツ・バングルがはめ込まれた手首から。
みるみるうちに、変貌は進んで行く。
「な……っ!?」
「これは……」
「嫌ぁあああああああっ!!」
伸びていく背丈。
収縮してただ一つだけになっていく、血走った巨大な眼。
気味の悪い緑色へ変色していく肌。
仰け反ったときに頭から落ちた帽子が、丸太のように太い足で勢いよくぺしゃんこに踏み潰される。
こんな座は、いらない。
まるで、そう言っているようで。
『……グァアアアアアアアアア!!!』
雄叫びを上げる、その姿は。
もう既に、真っ当な【人間】ではなかった。
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