悠治は玄関に向かいながら、廊下の途中にある壁掛け時計を見た。午後八時半である。宅配便や集金はとっくに来ない時間だ。とすると来客だろうか? しかし、この時間にたずねてくる客など、心当たりが無いのだった。何しろ悠治には友人が無い。猫以外でこのごろ口を利くのは、喫茶店の店主だけである。いや、店員や客と二、三言葉を交わすことはある、が、前触れなく訪問されるほどの友人はない。それは店主も同じである。 怪訝に思いながら、玄関の外に警戒した調子で返事をする。門構えに備えてある電灯を点けると、扉の曇りガラスに人影が映っている。小柄である。そして髪が長い。 「夜分にすみません」 という声がする。若い女の声である。悠治の耳はおそらく十代後半から二十歳ぐらいだろうと聞き分けた。しかし、そういう年代の女性に知り合いはいない。 「どちらさんですか」 悠治はドア越しに尋ねる。女はなかなか答えないようである。代わりに少し上がり気味の息遣いが聴こえてくる。激しい運動をして息切れしているのではなく、焦りや緊張があるときの浅い呼吸である。悠治の耳はそういうことも聞き分けるのだった。 もしや病人だろうかと思い、悠治は玄関の鍵を開けた。ドアを押し開くと、そのドアから身をかわした姿勢で、白いロングコートを着た若い女性が立っていた。服の上からでも、華奢な体つきであることが分かるが、顔色は悪くない。寒さのせいか頬が紅潮していて、健康そうである。 「あの、夜分にすみません」 女は、否、少女はさっきと同じことを言った。動転しているようだった。悠治は語勢を和らげて返事をした。 「何か御用ですか」 「そのう」 少女は立ち尽くしたまま口ごもっている。肩が震えている。悠治は、彼女が寒いのだろうと思った。ドアを開けたままだと自分も寒い。 「話があるなら、ひとまずドアの中に入ってください。寒いですから」 少女は一瞬戸惑うような視線を悠治に向けたが、それから何も言わずに玄関に入った。悠治はドアを閉めた。
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