朝食はいつもなら、コーヒーとトースト一枚で済ませるのだが、今日は目玉焼をつけた。一応、ユリを気遣ったつもりだが、彼女はトーストを半分食べただけだった。あとはちびちびとコーヒーをすすっていた。目玉焼きは悠治が食べた。二人が朝食をとっているテーブルの下では、レオシュがキャットフードをがっついていた。ドライタイプのキャットフードを噛み砕く音が、やけに大きく聞こえた。ユリは目元を真っ赤にしていた。もうしゃくりあげてはいなかったが、打ち沈んでいた。悠治は何も言わずにいた。自分のしたことが、何か間違っていたわけではない。確かにユリを泣かせた責任が無いわけではなさそうだが、追及されるような筋合いもない。悠治はピアノを弾いた、それだけだ。涙を流すのは、音楽を聴く者の自由である。それがどんな理由によってかは分からない。きっと、ユリ自身が、なぜ自分が涙を流したのか、良く分かっていないだろう。だから、彼女も黙っているのである。何を見ている目つきでもない、おそらく何かを考えている。あるいはさっきまでの感情を吟味している。それが曲りなりでも片付けば、ユリは何か話すだろう。 悠治は関係のない話題を口にした。 「今日も昼から仕事なんだ。あとで僕が出勤するとき君も一緒に出て、送れるとこまで送ってあげよう。ちゃんと家に帰るんだよ。いいね」 話をそらすだけのつもりが、いささかそっけない言い草になってしまった。もしや傷つけたかも知れないと思い、ユリの顔を見たが、彼女は素直に頷いただけだった。悠治はほっとした。もうあれこれ口うるさく食い下がられることもなさそうであった。しかし同時にほんの少しだけ、寂しさもおぼえた。悠治はその感情を胸のうちで軽く一蹴した。寂しいなどといっても、この家に引き止めておくわけにいきもすまい。引き止めた時点で、これはもうユリ個人の家出ではなくなる。ユリが自分の家に泊まったことが明るみに出れば、疚しい思いをすることになる。やはり、これっきりにしなければ、今後の自分の生活に差し障りがある。 朝食が済み、悠治は二人分の皿とカップを洗いはじめた。足元でレオシュが頭を擦り付けて鳴いた。また、足りないと言っているのだ。しかし、いちいち構う気持ちは起こらなかった。レオシュは何とか悠治の気持ちをこちらに向けようとして、いっそう鳴き声を高くし、体を摺り寄せるが、効果はない。 悠治は皿を洗う手を止めた。流し場に立っている悠治の背中に、ユリが何か言ったらしい。湯沸かし器を止め、後ろを向く。ユリが顔を上げてこちらを見ている。 「なんだ」 ユリは悠治の顔を睨むようにして言った。 「私、もうピアノやめます。どんなに頑張っても、きっと先生みたいにはなれないから。ご迷惑おかけしました」 ユリの言葉を聞いて思わず体が強ばった。また自分のピアノの演奏が人を遠ざけてしまったのだ、と悠治は思った。かつての父親のときと同じように。
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