ほんの少しだけ目を閉じたつもりが、眠り込んでいたらしい。時計を見ると、もう真夜中だった。腹の上で丸くなっていたレオシュの姿がない。悠治は起き上がって、愛猫の名前を呼んだ。返事はない。部屋の扉を閉め忘れたかと思ったが、見るときちんと閉まっている。レオシュは、この扉を開け閉めすることは出来ないから、ここに居ないとすれば、誰かが連れ出したようだ。 悠治が音楽室を出て、冷え込んだ家の中を歩いていると、居間に続く扉を四角く縁取って光がもれているのが見えた。暖気もほのかに流れてくる。扉を開けると、ソファに座っていたユリがこちらを見た。レオシュはユリのひざの上で、背中の毛並みを撫でられながら、気持ちよさそうに目を閉じ、体を丸くしていた。 「先生」 力のこもらない声でユリが言った。悠治に呼びかけたようでもあり、ただ目の前に誰が居るのか確認するためだけにそう口にしたようでもあった。 「眠らなかったのか」 ユリは返事をせず、ただ悠治のほうを見ていた。悠治は近づいていって、ユリの座っている二人掛けのソファ近くに置いた、一人掛けのほうに座った。ユリは悠治の動作から目を離さなかったが、何の思惑もなくただ見ているようだった。眠たげな目つきだった。 部屋はずいぶん暖まっていた。部屋の隅の電気ヒーターが、暖気を吐いていた。そういえば、ユリを案内した部屋には暖房器具を置いていなかった。ひょっとすると、寒くて眠れなかったのかもしれない。 「レオちゃん、出たがってましたよ。扉を引っかいて、鳴いてました」 「そうか」 「トイレだったみたいです」 「うん」 二人は沈黙した。それ以上会話が続かないのだった。それで居心地が悪いわけでもなく、ただ悠治はひどく疲れていて、言葉をひとつ考え出すためにさえ頭を使うことが億劫だった。眠るために、立ち上がって、寝床に向かうのさえ億劫だった。こうして部屋が暖かければ、そのままソファにでも、カーペットの上にでも横になってもいいのだが、ユリの見ている前でそういうだらしない真似は出来ないという理性だけは働く。まだそれほど馴れ合ってはいないのである。しかし、それに比べて、どういうわけかユリのほうがリラックスしているようだ。ユリはいつの間にか二人掛けのソファの上で体を横たえ、今にも落ちそうなまぶたを何とか支えながら、薄目で悠治を見ている。心持ち唇が開いていて、間から白い前歯が覗いている。無防備な顔つきであった。どことなく艶っぽくさえあった。悠治はこのとき初めてユリが、気楽な生活を乱す厄介者としてでなく、単なるあどけない少女として目に映った気がした。そうするとユリは、美しい少女だった。滑らかな髪と、白い肌とに、吸い寄せられそうな気がした。ユリの黒い目の光が、自分に注がれていることが、なんだか意味ありげにさえ思われ始めた。 そうした変化が、かえって理性を強く呼び覚まさせた。 「部屋を暖めてあげるからもう寝なさい」 悠治が言うと、ユリはか細い声で答えた。 「もう少しここに居たいです」 「わかった」 悠治は短く返事をして、ソファから立った。音楽室に置いてあるヒーターを、ユリを泊める部屋に運ぼうと考えた。
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