「大手の幽霊会社だっていうから、もっと洒落てるものかと思ってた」 夜の空気の中、無機質のコンクリートの肌を晒して建っているビルを見上げて呟いた彼女に、 「……どんなのを想像していたのかは聞かないことにしとく」 同じくビルを見上げた喬一が無愛想に応えた。 新市街の一画。 20階建ての高層建築が立ち並んでいるこの辺りでは、手狭な印象を隠せない10階建てのビル。 その一室が「カリスト・オイル」の事務所だった。 「……で?」 と、明かりが漏れている窓から視線を外した彼女――ニイナが、不満が詰まった表情で続けた。 「どうしてこんなトコに居なきゃならないのかしら?」 「どうしてって?」 相変わらず無愛想で返した喬一に、 「あんたは、既に『アレ』を手に入れてる訳でしょ」 「ああ、そうだな」 「そうだなって――」 道路の端。 路上駐車の列の中で、ニイナが赤/銀に塗られたバイク――GSX−1100カタナに跨っている、喬一を睨みながら、 「――あたしを放ったらかしにして『依頼』をこなした吉村喬一さんが、何故この様な場所にいるのでしょうか?って訊いてるのよ」 ニイナのハリセンボンやウニ並みの棘だらけの台詞に、 「情報ソースは企業秘密だ。それに、あの店――『ネスト』に居たのなら退屈はしなかったと思うが」 「……そりゃそうだけど」 何処と無くバツが悪そうに応えたニイナだったが、大きく首を振って、 「あのね――」 「引っかかるんだ。何かがおかしいってな」 彼女の文句を遮った喬一が、ポツリと言った。 「……根拠は?」 「そんなモノなんか無いってのはダメか?」 「ダメね」 即答したニイナから目を逸らした喬一。 再び彼女に、 「『ネスト』で見た情報は覚えているか?」 「……資金ルートとか、関係してるお仲間とかのリスト?」 情報屋で見せられたものを思い出して答えたニイナに、そうだと頷いた喬一。 「あの中に俺のスポンサーがあった」 「……」 「引っかかるだろ」 「……動き出すまでここで待つのはいいけど……これからの時間は冷えてくるのよね」 一瞬だけ絶句したニイナが、そう呟いて自分の格好を見る。 港湾地区の「レディ」から手に入れたタンクトップとジーンズ地のジャンパーに、 ミニスカート。 周りを乾燥地帯に囲まれているこの都市は、夜が深まるにつれて気温も下がってくる。 「早く動いてくれないかしら」 「こればっかりは――」 どうしょうもない。と、言いかけた喬一の耳にエンジンの音が聴こえてきた。 1台ではない車の動く音。 2台の、ニッサン・フェアレディZ。 その、2台の2シータハッチバックが、「カリスト・オイル」の駐車場から、タイヤを鳴らして飛び出して来たのを見た喬一は、ヘルメットを被ると――これが無いと走行時の風圧で目が痛くなり速度が上げられない――すぐにバイクのキーを捻った。 エンジンをかける。 自分の後ろにニイナが跨ったのを感じながら、ギアを一速に踏んで、クラッチを繋ぐ。 トヨタ・スターレットとヤマハRD350LCの間から飛び出したバイクの後ろ――タンデム・シートから、ニイナが排気音に負けない大声で、 「動いたわね!」 「だが、タイミングが良すぎる」 2台の車の赤いテールランプを追いながら喬一。 「出来過ぎだ」 「どうする? やられちゃうかもよ」 「そんなものは噛み破るだけの話だ!」 一瞬だけ外灯に照らされた、ヘルメット越しの喬一の横顔。 そこに一瞬だけ、獰猛な表情が浮かんで消えた。
○
「噛み破れないじゃない」 冷たい満月の光が照らす中、GSXの後ろでニイナがぼそりと言った。 「ちょっと硬かった」 息を吐いて喬一。 狭い裏道。 その脇の水路では激しい音を立てた水が流れている。 水路といっても30メートルはあるので人工の川といっても良さそうなものだった。 「カリスト・オイル」のビルから出てきた2台のフェアレディZの内一台を尾行した結果、着いた場所がここだったという訳だ。 囮。 一台の車が喬一のバイクを引き付けている間に、他のもう一台が目的地に向かう。 今頃はハミルトンに接触しているのかも知れない。 といって、違う方を尾行たとしても、今度はその車が囮の役になるだけだ。 「そのまま動くなよ」 シルバー・グレイのフェアレディZから降りたラテン系の男が、そう言って運転席のドアを閉じた。 ブラウンの髪と目の色の男の右手には、ロシア製マカロフ自動拳銃が握られている。 「お前らには聞きたいことがある」 と、これもフェアレディの助手席から降りたゲルマン系の男。 くすんだ金髪と蒼い瞳の、ラテンの男より少し年嵩で、やはり拳銃――S&W社製357マグナムリボルバー片手に、 「バイクから降りろ」 横柄な口調で告げた。 「……」 「聞こえてないのか?」 人種も年恰好も違う2人だが、黒いスーツ姿に優越感を浮かべている表情、自分達以外の人間を小馬鹿にした様な態度は同じだった。 嫌な奴。 大手の企業お抱えの連中を相手にしていると、時々こういった手合いに出くわす事がある。 後ろだての力を自分の力だと思い込み、勘違いしている奴だ。 「……] 喬一の後ろで、ニイナがゆっくりとバイクのリヤシートから降りた。 彼女が地面に立った後、喬一はエンジンの左下に折り畳まれている、サイドスタンドを左足で引き出した。 バイクから降りる。 「ヘルメットを脱げ」 ゲルマン系の男の言う通りにヘルメットを取った喬一は、それをバックミラーに引っ掛けると、 「俺に何の用だ?」 「とぼけるのは止めた方が身の為だぜ。俺達を尾行てたのは分かっているんだ」 ラテン系の男が今にも噛み付いて来そうな顔付で、喬一に拳銃を向けた。 「偶然だ」 喬一は、白々しいのを承知で言った。 「俺はこの近くに住んでいるんだ」 「オンナと一緒にお帰りか」 男が「レディ」姿のニイナを銃口で指した。ゲルマン系の方だ。 「そうだ」 「ほう、よし分かった」 喬一が大人しくしているので、男の口調が余計に威張り腐ったものになった。 ステンレス製のリボルバーを、喬一とニイナに見せ付ける様に振りながら、 「一緒に来て貰おうか」 「……」 「先ず、何を持っているか調べさせてもらうとしよう――カルカノ」 ゲルマン系がラテンの男に声をかける。 「俺がこの女を調べるから、お前はその男だ」 2人の男が喬一とニイナの前に立った。 「そりゃあ無いぜ。リント」 ラテン系の男、カルカノが抗議の声を上げるが、 「いいからサッサとやれ」 「……分かったよ」 凄んだ男――リントに何かしらの弱味でも握られているのか、残念そうに応えたカルカノは 、 「無駄な抵抗はするなよ、ここにはお前らの他には誰もいないんだ」 と、喬一に脅しの台詞を吐いてから右手のマカロフを突きつけると、上着を左手で乱暴にたたき始めた。 すぐにコルト45オートと、その弾倉を見つける。 「やっぱり持ってやがった」 「まあ、仕事柄な」 「そんな口をいつまで叩けるかな」 「……」 喬一から拳銃と予備弾倉を取り上げて、得意そうなカルカノを横目で見たニイナは、 「あれをするのかしら?」 と、自分の前に立ったリントを見ながら言った。 「そうだ、おかしな真似はするなよ」 顔面に、嫌らしい薄笑いを浮かべながらニイナに左手を伸ばしたリントは、彼女の充分メリハリが効いた身体の線に沿ってゆっくりと手を動かして行く。 それを、無表情にそっぽを向いてされるがままにつっ立っていたニイナだったが、リントの左手がミニスカートの腰のあたりに降りてきた時、 「ここから先はダメよ」 黒い瞳を細くした彼女が、笑いを含んだ声と共に身体を小さくよじった。 右手でリントの左手を触って軽く押戻す。 「何でだ」 ニイナの身体を這わせていた左手を止められたままの格好で、リントが聞いた。 「タダじゃあ嫌だって言ってるのよ」 黒髪が揺らしながら、更に身体を動かす。 「幾らだ?」 嫌らしい薄笑いを更に増幅させたリントに、 「そうね、あんたなら――」 そう言いながら、ニイナは右肩をリントにもたれ掛けさせる。 「おい、止さないか」 セリフの内容とは裏腹に、満更でも無さそうな口調のリント。 彼女に向けられていた拳銃の狙いが逸れた。 その次の瞬間。 ニイナの左手が素早く動いた。 同時に、鞭の様にしなった彼女の右手が、腰の後ろに廻る。 「!?」 はっとしたリントが、慌てて右手の拳銃の引き金に力を込めた。 が、弾丸が出ない。 ニイナの左手が、S&W・リボルバーのシリンダー弾倉をしっかりと掴んでいた。 撃鉄の起きていないリボルバー、回転弾倉式の拳銃はレンコン状の弾倉が動かなくなると、その構造上引き金を引けなくなってしまう。 「なっ――」 「これでも安いわね」 リントの目が驚きと狼狽で大きく開かれた次の瞬間、腰のホルスターから抜かれたルガーP08が、その後頭部に横殴りに叩き込まれた。 特殊処理された鋼鉄の発てる鈍い打撃音と共に、リントが地面にうつ伏せに叩き付けられる。 「――おまえっっ!」 我に返ったカルカノが、自分の隣で起こったことに対応しようとした。 だが、それは叶わなかった。 獰猛な笑みを浮かべた喬一は、自分の前に立っているカルカノの拳銃を、左の手の平で思いっきりひっぱたいた。 バックハンドの打撃と、からめ取るような手の動きによってカルカノの右手からマカロフが宙を飛んだ。 「……!」 呻き声を漏らし、バランスを崩してよろめいたカルカノの腹に、ストロークの短い拳を打ち込む。 強烈な痛みに肺の息を吐き出し、身体を折り曲げたカルカノ。 その首筋に、更に肘を打ち込む。 踏みつけられた猫の様な声を発てて、カルカノが地面に倒れた。 「――」 「あーもう、気持ち悪いったら無かったわ」 軽く息を吐いて、呼吸を整えた喬一の横で、嫌悪の表情を浮かべたニイナが声を上げた。 「頭の骨叩き割ってやればよかった」 ぶつぶつ文句を言いながら、目の前に倒れている男のポケットを探りはじめる。 「喋ることはできそうか?」 「でかいコブが一つ、当分目を醒まさないわね」 「じゃあ、こいつか」 喬一は、気絶しているリントの側に落ちている357マグナムリボルバーを拾った。 ラッチを押して、シリンダー弾倉を開き6発の実包を地面に捨ててから、もう一人の男――カルカノの身体をフェアレディZの車体に凭れ掛けさせた。 ブランド物らしいスーツを探って、先程取り上げられたコルト45オートと、予備弾倉を取り戻してから、ピクリともしないカルカノの頬を軽く張った。 「……」 呻き声を上げたカルカノが目を開いた。 「動くなよ。銃(ガン)が狙ってるぜ」 そう警告した喬一。 右手にある、45オートが月の光を跳ね返した。 「!!」 45口径――つまり直径が1センチ以上ある――の銃口が自分に向けられているのを見たカルカノは、先程と立場が逆転した事を知って息を詰めた。 「さて、俺もあんたに聞きたいコトがあるんだが」 「お前に喋る話なんてない」 それでも吐きすてる様にカルカノ。 「じゃあ、あたしにはどうかしら?」 喬一の横からニイナが顔を出した。 「だれでも同じだ」 「そうなの」 小馬鹿にした様な口調で応えたカルカノに、ルガーを左手に持ち替えたニイナがナイフを抜いた。 片手で器用に刃を起こす。 「何をするかは知らんが――」 カルカノは、柄の部分に岩に刺さった剣があしらわれている、ナイフのブレードを目で追いながら、 「ハッタリは止せ」 「ハッタリ? そんな面倒くさい手は使わないわ」 ニイナが呟くように言った。 「本気よ」 その通りだった。 虚勢が剥がれ落ちたカルカノが悲鳴を上げ始めるまでに、30秒とかからなかった。 「分かった!喋るから止めてくれ!」 ナイフの刃にズボンと下着を切り裂かれ、その下の器官まで傷を付けられた男が苦痛に顔を歪ませながら喚いた。 「まず、あんたの名前を聞こうかしら」 「分かってるんじゃないのか?」 「あんたの口から聞きたいのよ」 「……カルカノ」 「そう。じゃあ、もう一台のZは何処に行ったの?」 ナイフを男、カルカノのその場所から動かさずにニイナ。 「見張りの交代だ」 「それだけじゃないでしょ?」 「……奴の新しい情報が入った」 「奴ってのはハミルトンのことだな?」 黙ってニイナとカルカノのやり取りを聞いていた喬一が、口を挟んだ。 「そうだ」 「情報というのは?奴の居場所が分かったのか?」 「そうだ。それと奴が盗んだ物を売り付けようとした相手が分かった」 「誰なの、そいつは?」 「港の『青蟹』という酒場のオーナーだ」 「『青蟹』?」 「――スチェッキンか」 顔をしかめる喬一。 酒場のオーナーであり、故買屋でもあるその男とは数時間前に顔を合わせていた。 あの時スチェッキンは「俺にも一枚噛ませろ」とか言っていたが―― 「こういう事だったか」 「どういうコトよ」 怪訝そうなニイナに、喬一は軽く手を上げて見せてから、 「ハミルトンがあんた達を裏切って、そいつを売り捌く話を自分で持って行ったっていうんだな?」 「そうだ」 「だが、何故ハミルトンはそんなことを? いくら欲に眼の眩んだからといっても大手を裏切るんだ。かなり危ない賭けになるぜ」 「あれは、買い叩かれたとしても一生遊んで暮らせるだけの金になる。それだけで十分だろう」 カルカノは唇を歪めて答えた。 「俺が替わってやりたかったって顔をしてるぜ。あんた」 「冗談じゃない。俺は今のこの仕事を気に入っているんだ。それを自分からぶち壊したくは無いし、あんな目に遭うなんてのも御免だ」 首を振るカルカノ。 「あんな目?奴が、ハミルトンがどうかしたのか?」 月明かりの中で、喬一の声が鋭さを増し、それを聞いたカルカノが、しまったという表情を浮かべた。 「何を知ってるの?」 ニイナがナイフを持った腕を動かす。 「や、奴は人間じゃ無くなっている」 カルカノが早口で答えた。 「どういう意味よ」 「奴は人の血を吸っている。あいつは吸血鬼だ」 「……あたしはホントのことを知りたいのよ」 低い声でニイナ。 「嘘じゃない。本当だ」 「それで? あんたのとこに入った情報だとハミルトンはどこにいるんだ?」 喬一が、質問を再開する。 「倉庫街だ。今夜12時にそこで取り引きがある」 「……その話は信用できるって踏んだのか?」 「そうだ」 「それに大人しく乗るつもりなのか?」 「まさか、力ずくで取りかえすことにした。これは奴を押さえるチャンスだ」 当然だとカルカノが答えた。 それから、2・3の質問をしたカルカノを拳銃で殴り付けて、再び気絶させた喬一は立ち上がった。 左手のクロノグラフ――腕時計で、今の時刻を確認する。 日付けが変わるまで、あと数十分あった。 「倉庫街か――」 先程の質問で聞きだした取引場所と、そこに行くまでの移動時間を頭の中で素速く計算した喬一が、一歩踏み出した時、 「喬一」 ニイナに、名前を呼ばれた。 「?」 「ちょっと」 喬一の上着の袖をつまむようにした彼女が、 「ちょっと待って」 「おい」 「……あいつが、あの男の指の形が、まだあたしの身体に残ってる」 「……」 口を噤んだ喬一に、 「好きでやらせたんじゃ無い。だから……もう少し待って」 「ああ」 あの状況で有効に使える手段だったといっても、彼女が好きで選択した訳では無かったという事だった。 「ありがと」 「しかし……参ったな」 45オートを握っている右手を、意味も無く振ってみた喬一が、 「この辺には、スイートもハンバーガーも売ってやしない」 「なによ、それ」 「泣いてる女のコを慰める手が、ここには無いって事」 「……泣いてないわよ」 「そうか」 蒼い月の光の中。 喬一に出来る事は、限られていた。
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