窓ガラスを通して入ってきた夕日の光が、部屋を赤く染めていた。 その赤い色の中、男が仰向けになっている。 短く刈られた髪の頭が、普通では有り得ない様な不自然な方向に向いていた。 「……」 当然、生きてはいないその男の、地味なスーツをはぐって見た喬一の目に、この部屋と同じ色の液体で重く湿っているワイシャツとネクタイが写った。
○ 旧市街と新市街と呼ばれている2つの区画。 その丁度境目に、ホテル「フォボス」は建っていた。 「ここに居るの?」 無人のパワーショベルの陰から、周りの様子を窺いながらニイナ。 ホテル近くの拡張工事の現場。 建設中のビルが鉄筋コンクリートの林を作っているこの辺りは、日没近くになって工事が終わってしまうと、時々自動車が通り過ぎるだけで、それ以外動く物は見えなくなる。 「姿をくらまそうとしてる奴には丁度いい場所だな」 「罠じゃない?」 「そうかもな」 ニイナの反対側で、やはり辺りを見回していた喬一は、さり気ない動作で腰の後ろに右手を突っ込んだ。 「……あまり手荒なコトはやりたく無いんだが」 仕方がない。と呟いて抜かれた喬一の右手には一丁の拳銃が握られていた。 コルト1911М1。45口径のオートマチック。 通称コルト・ガバメントとか45オートなどと呼ばれている、無骨なデザインを持つ拳銃の銃口を地面に向けた喬一は、銃身に覆い被さっているスライドを左手で引いて放した。 重い金属音を発て、弾倉から薬室に弾丸が装填される。 「さて……」 撃発状態になった拳銃にセフティを掛け、再び背中のホルスターに戻した喬一は、所々石畳が剥がされている歩道をのんびりとした動作で歩き始めた。 「ちょ、ちょっと!?」 自分の目の前を通り過ぎて行く喬一を、慌てて止めに入るニイナ。 喬一の上着の裾を掴んで、 「何しようってのよ」 「あそこに行く」 ホテルに顎をしゃくってあっさりと応えた喬一に、一瞬口をぽかんと開いたニイナだったが、 「本気?待ち伏せされてるわよ」 「そうだな。だが――」 「だが何よ。こんな怪しい所にノコノコ入って行く奴は、頭に大が付く馬鹿だわ」 「ヤバくなったら逃げるさ」 「逃げれるのかしら?」 完全に疑いの表情を浮かべているニイナを、喬一はちらりと見てから、 「こういうのは女連れの方が、誤魔化しが利き易いと思うんだが」 「……」 タンクトップとGジャン、ミニスカートといった「レディ」の格好のニイナは少し黙ってから、 「……判ったわよ」 仕方がないわと呟いて、喬一の腕に自分のそれを絡ませた。 「ヤバイ目にあったら責任取ってよ」 「お、おい」 赤いタンクトップを盛大に押し上げているものが右腕に押し付けられ、声を上げた喬一に、 「見張りをごまかす為。あたしのこの格好じゃこうするのが一番自然だと思うけど?」 済まし顔でそう言った彼女が意味あり気な笑みを浮かべ、 「別に知らないって訳じゃないんでしょ?」 「……」 「えっ。違うの?」 「……あのな」 何故か妙に嬉しそうなニイナに憮然としながら喬一。 「それがいつで誰だったかは、訊かないでいてあげる」 「そりゃどうも」 この手の話は、女の方がどぎついな。とか声に出さずに呟いた喬一の顔をジッとみたニイナが、口調をガラリと変えた低い声で、 「……あんたが、銃(ガン)を持ってるのは知ってた」 「あの時のドンパチでか」 「そうよ」 あっさりとニイナ。 彼女は、喬一の運転するバイクの後ろに乗っていた。 その彼女には、喬一が銃を持っているかどうかは簡単に判断できた筈だ。 「それなのに、どうしてあの時抜かなかったの?」 「……あんたのウデが、信用できそうだったからな」 「あたしを信用?この商売で?」 意外そうな顔のニイナに、 「ああ。弾の無駄使いをしたくないってのもあったが」 「弾ね。で、どうして45口径なの?」 「さあな。忘れちまった」 「ふうん、そう」 少しの間の沈黙。 それでも歩いている内に、ホテルに着いた。 自動では無いドアを開けてロビーに足を踏み入れる。 カウンターや、その反対側に置かれているテーブルとソファには人影が見えない。 「ハズレか」 「いや、当たりかもね」 「その根拠は?」 「深夜ならともかく、この時間にカウンターに受付がいないというのは、おかしいわよ」 「……なるほど」 無人のロビーを突っ切った喬一とニイナは、奥の階段を使って5階まで上がった。 薄暗い廊下の突き当たり。 510号室。酒場の故買屋――スチェッキンから、条件付きで聞き出した部屋。 そのドアの横、ノブが右手で掴める位置に立った喬一は、銃を抜いた。 安全装置――セフティを外すと、ドアの向こうの気配を探る。 人が居る感じはしない。 「……」 顔を顰めた。 何かの匂いが漏れている。 喬一の反対側で、ルガーを抜いていたニイナが眉を寄せた。 彼女も気が付いたらしい。 血の匂い。 それは、二人が数時間前に嗅いでいたものであり、 喬一が昔、毎日の様に嗅いでいたものだった。 ○
鍵がかかっていないドアを開けて、室内に入ると一段と血の匂いがきつくなった。 5メートル四方の部屋の中。 床の上には電話回線の中継機と、二人の男が居た。 冴えない、ビジネスマンの格好をしている二人の内、一人はドアのすぐ近くに仰向けに、 もう一人は浴室の陰にあるシングルベッドに背中をもたれかけていた。 「こっちは死んでるわ。そっちはどう?」 ルガーの引き金から指を外して、ベッドの男を調べていたニイナが、ドア近くの喬一に声をかけた。 「首の骨が折れてる。それにハラワタに大穴」 「反撃できなかったのかしら?銃を抜いてるわよ」 喬一の返答を聞きながら、ニイナが中肉中背の男の手元に転がっている、ベルギー製ブローニング・ハイパワーを手に取った。 その13連発のオートマチックの弾倉を抜いてから遊底を少し引くと、銃身後端の薬室に入っていた弾丸が見えた。 「撃ってないわ」 「こっちは抜く暇も無かったようだ」 喬一は、酒樽の様な男が左の脇に吊っているホルスターから、ベレッタМ92を引っ張り出した。こちらはイタリア製だ。 男の体重に苦労しながら更にスーツを探ると、左ポケットからベレッタの予備弾倉が2個出てきたが、男の身元が分かる様な物は見つからない。 「仲間割れ、じゃないわね」 ブローニングの薬室と弾倉から抜いた 14発の9ミリパラベラム弾をGジャンとミニスカートのポケットに入れながらニイナ。この弾丸は彼女のルガーと共用できる。 「何者かに襲われた?」 「そうだとしたら、そいつは銃を持ってる二人を相手にしたってことになる」 「分が悪すぎる、か」 ニイナは、何かを思い出す様に首を傾げてから、 「ねえ」 「何だ」 「……酒場のボスが言ってたこと覚えてる?」 「スチェッキンがか?」 「日が暮れたら吸血鬼が出るって」 「ああ、そんなこと言ってたな」 とても信じられる話ではないがな。と付け加えた喬一に、 「あたしもそう思うけど――いいえ、思ってたわ」 「?」 喬一は、言葉を濁したオレガリオに近づいた。 彼女の視線の先を追って息を止める。 ベッドにもたれて死んでいるもう一人の男。腹は血で真っ赤なのは向こうの男と同じだったが、 「傷があるでしょ」 その首筋には、力任せに噛み千切った様な傷口が、大きく開いていた。 「おい、こいつは――」 「どう思う?」 「まさか。そんなものが……」 吸血鬼なんてものがここに居るってのか。と呟いた喬一に応える様に部屋の外、ドアの向こうから金属音。 オートマチック――自動拳銃の遊底を動かす音。 「!」 それを聞いた喬一が、反射的に、床に身体を投げ出した直後。 部屋の外から、ドア越しに弾丸が撃ち込まれた。一丁のではなく複数の銃声。 「――」 喬一は、浴室の壁を盾にドアに向けて45オートを撃ち返した。丁度廊下の方からはこちら側は死角になっているので、喬一には弾が飛んで来なかった。 廊下と部屋の中の両方からの着弾で、細かい木の破片をまき散らしていたドアの向こう側から悲鳴が上がり、廊下を走る足音が聞こえた。 銃撃が止んだ。 「…… 」 「いきなり撃って来たわね」 やはり床に腹ばいになって、ルガーを構えていたニイナ。 ドアに銃口を向けたまま、喬一に視線を移し、 「手荒なコトは嫌いだと聞いてたけど間違いみたい」 「なにもされなきゃ大人しいさ」 無表情で答えた喬一は、45口径のでかい空薬莢が散らばっている床から身体を起こした。 銃声による耳鳴りと、銃身からの焔で耳と眼がバカになりそうだ。 残弾が少なくなった弾倉を、ブルゾンのポケットから出した予備弾倉と交換する。 穴だらけになったドアの横に身体を付けて、部屋の外を探った。 誰も居ないのを確かめてから、ドアを開く。 一人の男が倒れていた。部屋の中の男と同じ地味なスーツ姿だ。喬一の撃った弾が当たったらしく、ズボンの左の臑が血で濡れていた。 仲間から見捨てられた男の首筋に左手を当てる。 「どう?」 「生きてる」 ニイナに短く答えた喬一は、男のスーツからネクタイを抜くと、それを銃創が有る左脚に巻き付けた。きつく縛って止血処理をする。 「お優しいのね」 「喋ってる間に死なれたら困るからな」 気絶している男の右手の近くに転がっている拳銃を拾った喬一は、プラスチックを多用しているそれをズボンに差してから、手早くスーツを調べる。 内側のポケットから、運転免許証と数枚の写真が出てきた。 それを一枚づつめくった喬一が目を細める。 「こいつは――」 「どうしたの?」 「俺かあんたに用があるみたいだな」 「ヤバいわよ。これ」 喬一から渡された写真を見たニイナが呻き声を漏らした。 望遠レンズ付きのカメラで撮ったらしいそのカラー写真には、ハミルトンのアパートを出た時の喬一とニイナがはっきりと写っていた。 「どういう事なのか、訊いてみるか」 喬一は、動かない男の肩を乱暴に数回揺さぶった。 「……」 免許証から国友という名だと分かったその男は、呻き声を口から漏らしながら目を開いた。 「目が覚めたのなら、こっちの質問に答えてもらおうか」 「……!?」 その言葉で、意識がはっきりしたらしい国友の目が大きく開かれ、喬一が右手で構えている コルト45オートに黒い瞳が向けられた。 「あんたは何処の者なんだ?所属は?」 「……」 喚き散らすわけでもなく、息を詰めてただ黙っているだけの国友。 「黙秘って訳ね」 その様子を、喬一の後ろから見ていたニイナが、身体を前に出して、 「あたしがやるわ」 ルガーを左手に持ち換えた彼女が右手をスカートのポケットに突っ込んだ。 その手がポケットからナイフを抜いた。 小型のフォールディングナイフ。 片手で折り畳まれていた刃を起こす。 「時間が惜しいでしょ」 細い釘だったら簡単に切断出来る程の強度と粘りを持っているそれを持ったニイナは、国友の横に膝を付くと、銃弾の傷がある足とは反対側の右の太腿に軽く銀色の刃を突き立てた。 「何をする!?」 鋭い痛みと、何をされているかを見て身体を痙攣させた国友が初めて声を上げた。 「喋りたくないならそれでもいいわよ」 ナイフを太ももから股間へ持って行ったニイナ。 「ただし、大事な所がどうなってもいいのならね」 冷酷に告げてから、手を止めた。 「やめてくれ! しゃべる! 俺達は、カリスト・オイルの人間だ!」 彼女の、冗談ではなく本当にやりかねない声に虚勢が剥がれ落ちた国友は、悲鳴と共に喚いた。 「カリスト?そこが俺に何の用だ?」 少し引きながら口を開いた喬一。 「うちの工作員が殺された」 「工作員? あのアパートのことをいってるのか?」 ハミルトンのアパート。 「そうだ」 「それで、あんたがここに来たのは?」 「あそこでの殺しに関係ある者が、ここに居るという情報が入った」 「あんた達の仲間を殺したことの報復っていうのね」 ニイナが口を挟んだ。 「……」 沈黙したクニトモ。 「そう?」 首を傾げて見せたニイナが、「オカマになりたいのね」 ナイフを持った右手を再び動かした。 「ほ、本当は撃つつもりじゃあ無かった。あんた達がここにいれば拘束して連れて来いと言われていた。だが、この部屋に居るのがあいつだったらと思うと――」 「あいつ? 誰だ?」 「ば、化け物がいるんだ」 「……本気で言ってるの? それともからかってるのかしら」 「そんなんじゃない。 今までに、奴を追っていた10人以上の人間が死ぬか重傷を負った」 やんわりと言ったニイナに、顔中から冷や汗を出しながら国友。弾が身体に当ったシヨックだけではない。恐怖の表情が浮かんでいた。 「……それで、ここで死んでいる2人は?」 「他の会社の奴だとしか言えない.」 「ここは、そいつの隠れ家なんだな?」 「そうだ」 「この場所以外でそいつが隠れていそうな場所は?」 「聞いていない」 それからしばらくの間、喬一とニイナは国友の尋問を続けたが、このホテルに喬一とニイナを追ってきたという事以外は聞き出せなかった。 「……これ以上は無駄の様だ」 「そうね」 これは「敵」に捕まった時、情報が漏れるのを防ぐ為に必要以外のことは聞かされていないという事であり、至極当り前の話だった。 「ご協力に感謝する」 立ち上がった喬一に、どうやら死なずに済んだらしいと、幾らか余裕を取り戻した国友が、 「この話は、あんた達に手に負えるものじゃないぜ」 「そうか」 「これは冗談でいってんじゃない」 「ありがと」 同じく立ち上がったニイナは、忠告めいた事を喋り始めた国友の頭を蹴り飛ばして再び気絶させると、階段に向かって歩き始めた喬一に、 「手詰まりね」 「そうでもない」 「そうでもない? どういうこと?」 「あの写真だ」 ニイナにそう応えた喬一は、階段から下の様子をうかがった。 誰かが階段を上ってくる様子は無い。 「俺は追われているからな。手がかりは向こうから来てくれるだろう」 「自分を標的にするつもりなの?」 「あまりやりたくはないがな」 ニイナの呆れたって口調の声を背にして、ロビーに降りた。 国友の仲間、工作員が待ち伏せしているかと思われたが、そこには誰もいなかった。 ここに来た時と同じ、無人のロビーを横切ってホテルを出る。 銃声は外にも聞こえた筈だが、ホテルの外には何も変化を感じさせなかった。 血のように赤い夕日。 その中を、パワーショベルの陰に停めているGSX−1100カタナまで走る。 テンポの速い二人分の足音が石畳の歩道に響き渡った。 ここに来た時と同じ位置に停まっている、バイクのエンジンかけた。 赤い車体を震わせて、アイドリングを始めたバイクに跨がった喬一は、ヘルメットを被ると、 「で、どうする?」 「なにが?」 「後は好きにしろ――って言ってるんだが」 「こんな所で、どう好きにしろっていうのよ」 バイクの後ろに跨がりながらニイナ。 それには答えずに喬一は、GSXカタナを発進させた。 日が暮れて、夜の冷えてきた空気を全身で感じながら、国友から聞き出した話を思い出す。 「化け物――か」 10人の工作員を倒した者。 噂話だとしても、この業界でされるような話ではなかった。 しかし、それは…… 「――ハミルトンか」 喬一は、間違いなくこの話に絡んでいる男の名を呟いた。 その声はすぐにバイクの排気音にかき消され、後ろのニイナに聴かれる事も無かった。
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