目に見える街並が白一色に思える程の強烈な日差し。 「……」 その中で、所々に青銅の鋲が打たれた扉の前に立ち止まった吉村喬一(よしむら きょういち)は、ほんの数秒だけ躊躇ってから『ネスト(巣)』という真鍮のプレートが掛けられているそれを開けた。 店の中に入る。 微かな埃とアルコールの匂い。 外とは対象的な薄暗い店内を何度か瞬きをしながら、板貼りの床をゆっくりと奥に進む喬一。 ブルーのブルゾンと、ライト・ブラウンのズボンに包まれた猫科の動物を連想させる身体は、足音を殆ど発てない。 「あら」 カウンターヘと近付いた喬一に、この店のオーナーであるヒルダ・リックマンがその奥から顔を出した。 朱い綿のシャツにブルーのジーンズ姿。喬一と同じ東洋系の黒い瞳と、肩まである赤い髪を頭の後ろで束ねている年齢不明の彼女が、 「追っかけごっこは終わったみたいね。喬一」 「まあな」 カウンターのスツールに降ろしながら喬一。 「大手が相手だったそうじゃない」 「――知っていたのか」 短くカットされている髪を振って、 「俺みたいなフリーランス追い回して何が楽しいんだか」 「でも、仕事自体はうまくいったんでしょ?」 年代物のティーポットから紅茶をカップに注いだヒルダは、湯気を発てているそれを喬一の前に置くと、 「連中が掴んだのは、『中身がデタラメのシロモノだった』って私は聞いてるけど」 「耳が早いな――本物は、別のルート使ったんで邪魔も入らず取引は成功だとさ」 この事を、既にスポンサーの口から聞いていた喬一が自嘲を込めて笑った。 何かの重大な情報を呑んだディスク。 それを指定された場所まで運んでいた喬一は、企業お抱えの組織の追跡を受けたのだ。 こちらは一人、相手は十人以上の人数で連携して動いていた。 そして、当然の結果として追い詰められた。 「つまり、囮だったのね」 「そういうこと」 紅茶を飲みながら喬一。ストレート・ティだ。コーヒーは好きではない。 「そんなんで、あの白いのを――」 「セブン。RXー7」 「そう、そのセブンをパーしたんじゃ大損もいいトコね」 「もう、しんどいのは勘弁して欲しいぜ」 「それは、精神的?それとも金銭的に?」 「両方だ」 と、うんざりとした口調で応えた喬一に、 「しんどいのが嫌なら、その手にもツテがあるわよ」 「いや、でかい所は苦手なんだ」 喬一は首を振った。組織で動くのは好きでは無い。 「相変わらずね」 「まあな」 こういうのが今時流行らないというのは、自分でも十分承知していた。 「その苦手な所から話が来てるわ。『至急連絡されたし』だって」 ヒルダは、パンツのポケットからプリント用紙を取り出した。 「ローン・ウルフがご希望みたいよ」 「大手か」 棒読み口調で呟く喬一。情報屋の顔も持っている彼女が言う「その手」からの依頼。 組織に属さない一匹狼といってみても、そこからの依頼が無いと食うに困る事になる。 それが現実だった。 「連絡先は、『エウロパ商会』」 プリントアウトされた文章を読み上げたヒルダが、喬一をちらりと見た。 「知ってるわよね?」 「ああ」 と、唇を歪めながら喬一。 知ってるも何も、前の職場で使っていた「場所」の一つだった。 ○
「エウロパ商会」は、この街のオールドとか、旧市街と呼ばれている昔の街並が残されている区画にあった。 これも同じく旧市街に有る「ネスト」を出て、石畳の狭い道を歩いている喬一と擦れ違う者は、髪や肌の色がそれぞれ違っているし、その服装もスーツ姿から腰にナイフや銃を下げている山賊・海賊風まで様々だ。 何世紀も前から、この地域を通る商隊の補給地として発展したこの街は、現在、タダ同然の様な法人税の設定によって、個人営業から巨大資本の複合企業までがひしめき合う辺境最大の自由貿易都市となっている。 毎日、陸と海の路を通って膨大な数と量の物資が入ってくるこの街では、それを扱う人々――堅気の商社員からブラック・マーケット専門の商人まで――も幅広く、当然そこには主に経済的な、つまり金銭絡みの問題から端を発した色々な揉めごとが数多く発生する。 これを解決するのがトラブル・シューターと呼ばれる、喬一の様な人間達だった。 「……」 たいした時間も掛からずに「エウロパ商会」がテナントとして入っている五階建ての 雑居ビルに着いた喬一は、昼間でも薄暗い階段を上り始めた。 エレベーターなどは付いていない、そのビルの三階まで上がる。 所々ヒビが入った廊下を進んで、社名もなにも書かれていないドアの一つをノックする。 すぐに、どうぞと返事が返ってきた。 旧いデザインのノブを回してドアを開けた。 室内に入る。 スチール・デスクと、ロッカーが置かれているだけの狭い殺風景な部屋だった。 ダミー会社。 架空取引やマネーロンダリングなどに使われる、この場所で依頼人が喬一を待っていた。 金髪と青い瞳に、スーツという、いかにもビジネスマンといった格好の男。 「あんたか、ビンセント」 喬一はのんびりと言った。 「課長になったって聞いたが違った様だな、ボスは埃の発つ所にはいないもんだ」 「止せよ」 依頼人の男――ビンセントは小さく笑ったが、青い瞳は鋭いままだった。 ジャック・ビンセント。 ライバル会社相手の産業スパイや、カタに取られた手形のサルベージをこなす大手企業所属の工作員。 その、どこか崩れたものを感じさせる雰囲気も喬一には馴染みがあるものだった。 「ボスだっていっても所詮はこんなもんさ」 と、自嘲気味に呟いたビンセントに、 「何があったんだ? あんたのトコでも手に負えない様なことなのか?」 「盗難事件だ」 「盗難?」 ビンセントの答えを聞いて、以外そうな表情で喬一。 それに構わず、ビンセントが続けた。 「昨日の明け方、ウチの会社がスポンサーとなっている研究所から新製品の試作品と設計図、それに実験データが盗まれた。これを取り戻して欲しいんだ」 「盗まれた新製品だと?」 「ああ、そうだ」 「それは何だ? 当り前だが秘密は守るぞ」 淡々と告げた喬一。 「……マイクロ・マシンという物を知っているか?」 「マイクロ・マシン? 人間の体で手術が出来ない様な場所に使う機械というか、電子部品のことか?」 「そうだ、顕微鏡でしか見ることが出来ない程の小さなマシンだ」 これを血管に注入して、血液の流れを利用して患部に取り付かせ、体を切る事無く治療する。 「盗まれたのはまだ市場に出す前の新型の医療用マイクロ・マシンで、今までのタイプより治療時間が短くなるという性能を持っている。これ以上の詳しいスペックは企業秘密だ」 「ごもっとも」 頷いた喬一。新型の開発に成功したという事だけでもライバルには充分な情報になる。 「この、盗まれたプロトタイプをどこかの会社が手に入れて、先に量産品を販売されたら、 市場――シェアを奪われてしまうだけではなく、今までつぎ込んできた資金の回収が不可能になってしまう」 膨大な開発資金と時間が全部無駄になる、その損失は計算できる物ばかりかどうか分からない。 「成程。で、そのマイクロ・マシンを盗んだ犯人、人間に心当たりは?」 「研究所のセキュリティシステムに写っていた」 苦いものを無理に噛み砕いた時の顔になったビンセントは、スーツのポケットから一枚のカラープリントを取り出した。 「これがそうだ」 ビデオ・カメラの映像を、コンピューター処理したプリントに写っている人物。 それを見た喬一の目がすっと鋭くなった。 「おい、この男は……」 「お前の言いたい事は分かる。奴だ」 「……ハミルトン」 「そうだ」 「……」 写真から目を上げた喬一は、唸る様な声で、 「……この男を雇うときに身元調査はやってないのか?」 「俺の所とは部署が違っててな。そこじゃあ分からなかったそうだ」 「それでこの有り様か」 「下らん話だ」 「……」 忌々しそうに応えたビンセントに、また何か云いそうになったのを押さえ込んだ喬一が、 「上っ面だけとはいえ、怪しい所が出なかったか。後ろにはでかいのが付いてるな」 「ああ、それもかなり専門的な連中だ」 偽の身分や経歴をでっち上げる。 これは、以前の喬一も当り前のように使ってきた手の中の一つだったが、この手の偽装工作がバレない様にするのは簡単な事ではなかった。 個人ではまずボロが出る。 「それは何処か分かるか?」 「簡単にはいかんよ。残念ながら」 「希望を言わせてもらうとだな、あまりヤブを突つきたくはないんだが」 「どうした?やけに弱気じゃないか」 「普通はそうなるだろ」 豊富な資金をバックに荒っぽい仕事ぶりで有名なセクション。そこがフリーランスの喬一に話をもってきた。裏に何か有ると考えられるのは当り前だった。 「……ひとついいか?」 「言ってみろ」 「盗まれたマイクロ・マシンを取り戻せっていうのは分かったが、どうして自前の組織を使わないんだ? その方が安全にコトを運べるだろう」 「確かにそのほうが危険も少なくて済むが、身内を使うとこの件が上層部の知る所となってしまう。そうなると色々と面倒でな」 「それで俺におハチが廻って来たのか」 「そうだ。まだこっち側だけの問題となっている今の内にカタを着けたいんだ」 「……」 人間、どんな奴でも一番可愛いのは自分だ。自らの保身の為にはどんな手でも使うものだ。たとえそれが非合法でもだ。 「分かった、他には何か有るか?」 「状況によっては依頼内容の変更があるかもしれないという事を承知していてくれ」 「変更?」 「マイクロ.マシンの回収が困難な時は、別の手を使う――今はこう言うしか無いな」 もう一度スーツのポケットに手を入れながらビンセント。 「報酬は三分の一を今払って、残りは成功した時という条件でどうだ?」 「分かった。それでいい」 頷いた喬一。代理で尻拭はあまり気が進まないが、生きていくに為だと自分に言い聞かせる。 「契約書にサインをしたいんだが、ボールペンはあるか?」 喬一の皮肉に答えず、小切手と折り畳んだプリント用紙を取り出したビンセントは、 「奴に関する資料だ。それと、一日に一回は俺の所に連絡を入れてくれ。番号は――」 と、何桁かの数字を言ったが、その電話番号は喬一の記憶には無いものだった。 「盗聴されたくない。携帯は使うな。」 どんな種類の電波でも傍受出来れば中身は聞き放題になる。 「オーケイだ、ビンセント・ブラックシャドウ」 そう言いながら、受け取った二種類の紙を、ジヤケットのポケットに入れる喬一。 「止せよ」 以前使っていた通り名を呼ばれたビンセントは、話は終わりだという風に、喬一に軽く手を振った。 こちらも小さく手を上げてから、ドアのノブに手を掛けた喬一の背中に、 「ヤバイ目に遭っても個人で通せ。こっちの事は知られるな」 「優しいお言葉に感謝する」 軽く首を振って応えた喬一は、ドアを開けた。
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