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作品名:赤い空と夜 作者:前野 照明

第10回   10
ヘッドライトから放たれる、2条のハロゲンの光で夜のアスファルトを薙ぎながら、
シルバーグレイのBMW2002が疾走していた。
「……」
その燃料噴射式の1.9リッター4気筒エンジンが咆哮を上げ、スピードメーターの針は3ケタで貼り付いて止まっているBMWの後部座席で、
「……ねえ」
車内を満たしている沈黙に耐えかねた彼女――ニイナが、自分の隣、左側に顔を向けると、
「借り、って何があったの?」
「……」
それに、運転席の後ろでドアに左肘を着いて、暗い窓の外を見つめたままの喬一が返した。
「……気になるか?」
「少しね」
「そうか。だが――」
「――話してもいいんじゃないか」
申し訳ないが、という喬一の拒否の台詞は助手席からの男の声に遮られた。
「おい――」
「どういう経緯でお前と組んじまったのかは知らんがな」
聞けよという風に、喬一を手で制する仕草をした男――スチェッキンが、ニイナをちらりと見てから続けた。
「彼女はお前の相棒だろ。少しは情報を共有しとかないと後で困るかも知れんぜ」
「……やけにお節介だな、スチェッキン」
「この件の『真相』ってやつにたどり着けば、かなりいい目を見られそうなんでな」
「それは勘か?」
「ああ。勘だ」
「……」
前方に赤い光が見えた。
BMWとの速度差は倍以上あるので、すぐにそれは前を走っている車のテールランプに形を変えた。
運転席でハンドルを握っている男――ホルテンが軽くブレーキを踏んだ。
同時にエンジンの回転を合わせてシフトダウン。
殆ど変速時のショックを感じさせずに減速したBMWが、4輪独立懸架のサスペンションに支えられたシルバーグレイの車体を軽くロールさせ、左側の追い越し車線に移る。
ホルテンがアクセルを踏んだ。
インジェクターによって、燃料を噴射されたエンジンが回転数を上げ、加速を始めたBMWの中で、喬一が呟いた。
「奴とは――」
「……」
無言で、じっとこちらを見つめているニイナに、
「この仕事を始めた時からの知り合いだった」
それは、傭兵の仕事を辞した喬一がこの街に流れて来て間もない時だった。
ある日――それこそ偶然に、とあるトラブルに巻き込まれた喬一は、それをあっさりとあしらった手際を見込まれ、その場で駆けつけてきた男にスカウトされた。
それもライバル会社相手に、情報操作や撹乱・妨害などを行う工作員としてだ。
それからの喬一の毎日は、騙し・騙されの繰り返しだった。
そんなある日。
喬一は、利害が一致したあるライバル会社の工作員と「共同」で作業を行った。
「それで出くわしたのが――」
「――ハミルトン?」
じっと、その話を聞いていたニイナが口を開き、それに喬一がそうだと頷いて、
「何故か俺と奴はウマが合った。立場の違いから何度か敵対したりしたが、それは変わらなかった」
「トモダチだったっていうのね」
「そうだな」
「じゃあ、『借り』っていうのは?」
「……やっぱり、そうきたか」
喬一がそう呟いた時、BMWがブレーキを掛けた。
ゆっくりと、しかし確実にスピードが落ちて行く。
「着いたぞ、」
BMWが道路の右端に停まり、助手席のスチェッキンが告げた。
「終点だ」
「おい、ここは」
窓の外を確かめた喬一が声を上げた。
旧市街に建っている雑居ビル。
「ここの三階で、お前のスポンサーがお呼びだ」
「どういう事だ」
顔をしかめた喬一。
ここの三階には、喬一の表向きの雇い主『エウロパ商会』――のテナントが有った。
「いい目が見れそうだって云った筈だが」
悪びれずに応えるスチェッキン。
「……そういうことか」
スチェッキンが『一枚噛ませろ』と言っていた意味。
それに改めて納得した喬一は、ため息を吐いた。



逸る気持ちを抑え込みながら、エレベーターの無いビルの階段を上がった。
3階の廊下を歩き一つのドアの前に立つ。
社名のプレートも何も無いそのドアをノックして、返事を待たずに手を掛けていたノブを捻った。
調度品の類などは無い、狭く殺風景な部屋に置かれている、スチール・デスクから立ち上がった男が、
「来たか、喬一」
「――ビンセント」
唸り声を上げた喬一。続ける。
「どういう事だ、これは」
「聞きたいか?」
「当たり前だ」
「判った」
噛み付きそうな表情の喬一に、男――ビンセントが静かに答えた。



「こいつだ」
 慣れた手つきでキーを叩いていた手を止めて、ノートパソコンの液晶画面を喬一に向けるビンセント。
 ビルの三階にある『エウロパ商会』の室内。
 スチール・デスクと、ロッカーが置だけの狭く殺風景な部屋。
 天井の蛍光灯が、そこに居る3人を照らしている。
「試作品のマイクロマシンだ。大きさはウイルス並みで人間の血管の中なら自由に移動できる」
「……この映像が奴と、どんな関係があるんだ?」
 机の上のカラー画面から目をそらさずに、3人のうちの一人、喬一が目の前に居るもう一人に聞いた。
「今、奴の――ハミルトンの身体の中ではこいつが動き廻っている」
 パソコンを挟んだ向こうから、ビンセント。
 青い瞳を細めて、
「しかも最悪のケースでだ」
「こいつは、試作品って話じゃ無かったのか?」
 それがどうして、と言いかけた喬一は、その言葉を飲み込んだ。
「……人体実験か」
「そうだ」
「表に出したくない実験に、表沙汰にしたくは無い人間か――お誂え向きだな」
 完成した試作品の性能をテストする段階。
 その時期に、丁度いいタイミングで病院に担ぎ込まれて来たのがハミルトンだったのだろう。
「当の本人には知らせずにか。悪趣味なことをやるもんだ」
 新製品のテストだと説明したりすれば余計なトラブルを呼び寄せる元になる。どんなに厳しい箝口令を敷いたとしてもだ。
「それで、最悪ってのはどういう意味なんだ?」
「この試作品は今までのマイクロマシンと違い、自己増殖の機能を持っている。つまり、最初に患者の体内に注入される量が少なくても 血液中の成分を使って治療に必要な数まで増殖していくということだ」
「凄いことなんだろうが、あまり気持ちのいいものじゃないな」
 自分の身体のなかにある物質を使い次々と分裂していく機械じかけのウイルス。
「だが、奴の身体、体質はマイクロマシンを暴走させてしまった」
「暴走?」
「増殖する数を抑えられない」
「……勝手に血液の成分を使って増え続けていると?」
「そうだ。そしてマイクロマシンが脳に達した時点で身体のコントロールと精神を乗っ取られてしまう」
「冗談だろ?」
 信じられないと喬一。
 話がいくら何でも荒唐無稽すぎる。
 だが、
「こうなっては、助ける方法は無い。しかし止める手はある」
「……それを俺にやれと?」
「察してくれて嬉しい」
 少しも嬉しく見えない顔のビンセントが、机の上にプラスチックの箱を置いた。
 蓋を開く。
 細かく仕切リが入れられたその中には、真鍮の薬莢が雷管を上にして並んでいた。
「口径は、お前の銃と同じ45ACP。弾頭は特別製で詳しくは言えんが、マイクロマシンを破壊する成分を固めたものだ」
 箱から、その45口径弾を抜きながらビンセント。
「弾数は10発。これでハミルトンを――」
「断わる」
 喬一は即答した。
「そんな事は、その手の専門のとこに頼むんだな。あんたの所に丁度おあつらえ向きの部署がある筈だ」
「組織の人間を使う訳にはいかない。それに状況が変わった場合は、マイクロマシンの処分をお前に依頼できる筈だ」
「状況が変わった、か」
 確かにそういう時にはマイクロマシンの処分を行うという契約の内容はあった。
「また奴を撃てっていうのか。あいつを」
「えっ」
「そうだ」
 今まで、一言も発せずに喬一の隣に立っていたニイナが目を見開き、その彼女をちらりと見たビンセントが短く答えた。
「……くそったれ」
 罵声。だが、どうしょうも無かった。
 契約を放り出してしまうというのもあるが、それが出来れば苦労はしない。
 それに――
 ハミルトンを病院送りにしたのは喬一だった。
 この事態を招いた原因の一端は自分にも有るのだ。
 あの日。
 紅い光で満ちていた、あの日。
 もう、過ぎ去った日の事だと思っていた。
 だが、過去は追いかけて来た。
「……」
 喬一は、口の中でもう一度罵声を上げた。


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