耕治も母親と二人だけでは何かと照れ臭かったのだけれど、弟の同行もあって親孝行の積りで三人揃っての上京に同意しない訳にはいかなかった。 此の頃の秋田からの一般的な上京手段と云えば、8時間程度かかる朝出発の奥羽本線、山形経由の「特急つばさ1号、2号」、早朝と昼出発の「特急いなほ1号、2号」、それに青森始発の10時間程の寝台特急「あけぼの1号」、秋田始発の「あけぼの2号」が一般的であった。その夜も転勤や進学で旅立つ人達や見送りの人々で、駅のホームだけは早春の夜の帳が降りた街の中にあっては、一種のお祭り騒ぎの感すらあった。夜の早い秋田の街の真ん中で、駅の上りホームだけは人が溢れ、そこかしこで暫しの別れを惜しむ家族や仲間の輪があったり、転勤を見送る職場のグループがそれぞれの残された短い時間を惜しんで大騒ぎしたりしていた。そこにいる人の数だけ別れの光景が繰り広げられていた。が、どの光景にも翳り等はなく、皆希望にきらきら輝いている様だった。耕治はその喧噪の中から衿子がひとり白の春コートに身を包んで佇んでいる姿を見つけた。 ふたりは高校は違ったが、共にそれぞれのフォークダンス同好会の副部長、会長として交流があったので、お互いの行動範囲は異なったはいたものの、親しく話が出来る程度の間柄であった。
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