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作品名:小さな恋のうた 作者:pinkking

最終回   僕に許されているものは、とてもとても少ない
=========部屋を出られなくなって、どれくらいの年月が経っただろう=========

近頃は、体が縮む速度が、どんどん早くなっている気がする。

「どこ?」
彼女が僕を呼ぶ声が、僕の耳いっぱいにこだまする。
「ここだよ」
僕は精一杯大きな声と身振りでもって、どすんどすんと動く巨体に向かってアピールするのだけれど。
「どこ?どこにいるの?」
彼女が僕を探して、歩き回り色々なものを動かすたびに、僕は大地震に揉まれる、身動きができなくなる。

やっとのことで、DVDのリモコンの音量のスイッチあたりでぴょんぴょん跳ねている僕を見つけてくれた。

「また小さくなっている気がする」
彼女は僕を、人差し指の上に注意深く乗せると、色々な角度から観察しながら呟くように言った。
僕は振り落とされないように、やっとの事でしがみつく。

「僕もそう思う」
「え?なんて言ったの?」
大きな声を出したのだけれど、彼女の耳にも届かないくらいに、僕の声は、もはや虫の羽音よりも空気を震わす力がないのだろう。
参ったな、というように首をすくめるジェスチャーをして、彼女もなんとなく僕の言わんとすることを理解したようだ。

きっと、あまり遠くない未来に、僕は消滅するのだろう。
そう確信してからは、死ぬ、というのは”しぬ”という単純な単語の成り下がり、興味がなくなった。
それよりも、消滅す時、一体どんな風に消滅するのか、そのことを危惧する方が心が波立つ。
今の状態を保ってある段階ではじけるように消えるのか、それとも霞が晴れるように体がフェードアウトしていくのか、細胞ごとに消滅していって、最後は接合部がなくなって溶けるよう消えるのか…
もっとも、一番気がかりなのは、どのような方法で消滅したとして、どれくらいの段階まで意識があるのか、ということだ。
どの時点で、僕は、彼女にお別れの挨拶ができるのだろう。
つまり、あとどれくらい、彼女の大きな黒目に僕が映っている事を確かめられるのだろう。
あと、どれくらい、僕は彼女と一緒にいられるのだろう。

少し前から、すでに、僕は彼女の体全体を視界に入れることが難しくなっていた。
僕の目の前にいる彼女は、とても黄色い柔らかな壁で、巨大であることを思わせるだけの、多分この辺という”体の一部”、もしくは、僕に語りかけるときに、襲い掛かる、暴風や大地の震動、とかく、存在しているという発信源だけだった。

最近は起きていても、妙な夢ばかりを見る。
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自分が宙に浮いていて、見渡す一面は、うごめく肉の塊だった。
その全ては、僕の記憶に残っている、彼女の裸体で、全てに頭が無いようだ。
それでも、必死に、一体くらいは、全てを備えた、完璧な彼女がいるはずだ、と、僕は目を凝らす。
そうすると、どこともなく、強い風が吹いてきて、その風によって、肉の塊が、大きな傷を負ってしまうのだ!
なんで、そんなに脆いの?
僕の髪の毛が、ぶんぶんと、視界をさえぎるように暴れる、その、隙間から、黄色い大地が、みるみる、真っ赤に染まっていくのを、ただ、ただ、はるか高いところから見下ろす。
やがて、ぐちゃぐちゃに、まるでミンチ肉のようになった、大地に穴が開いて、そこにどろどろと、彼女の肉片が、血が、全てが、とぐろを巻いて落ちていく。
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ふと気づくと、彼女の部屋着の、模様が遠くに見えた。
その大きく上下する動きから、おそらく彼女は寝てしまったのだろう。
僕は、小さくなればなるほど、ますます睡眠時間が短くなってきているようなので、今夜もまた、眠れない。
彼女の寝顔でも拝顔してみようかしらんと、のそのそと、動き始めた。

僕が、まともな大きさでこの部屋に住んでいた頃は、いつも掃除が行き届いていて清潔な部屋だった。
僕も彼女もとても神経質で、交互にこまめに掃除をしていたからだった。
でも、今は、そこここがホコリだらけで、下手に歩くと、その大きくもあもあとしたものにからめとられそうになる。
それは、彼女が、うっかり僕を吸い込んでしまったりしたら多分死にたくなるから、という理由で掃除機をかけなくなったからだ。
僕としては、ちゃんと高いところに避難させてくれたら大丈夫だから、すぐにでも掃除機をかけてくれ、この状態のほうが、よっぽど僕の命に関わる、と思うのだけれど、声が届かない今となっては、その願いも叶わない。

えっこらえっこら、いろんな障害物を乗り越えながら、彼女に近づくが、いまだ道のりは遠い。
しかも、うっかりは近づけないのだ。寝返りを打った彼女に潰される危険性もあるので、結構考えながら、タイミングを狙って近づかなくてはならない。

目標を定めて歩きながら、ふと、考える。
まだ、僕の方が大きいから助かっているが、今の10分の1にでもなってしまったら、蚤より小さくなるのではないか。
…そうなったら、蚤どもは、僕を喰うだろうか。
喰われる時、僕の骨は、パキパキと、軽い音を立ててくれるだろうか。
目玉もプチっとした感触を持つのだろうか。
赤い血はどくどくと流れるのだろうか。
…僕は、まだ、人間なのだろうか。

なんだか、僕は、自分の、細胞や、組織が、砂粒のような無機質なものの集合体に思えてきて、それだけが、とても、悲しく、怖いのだよ。
君の事を、もう、抱けないのだけれど、どんなに小さくなっても、せめて、最後まで、ただの彼氏でいたいのだよ。
体が小さくなるなんて奇病を患った、不治の病でも、悲劇でも喜劇でも、こんなにも君を想っているのだよ。
毎日毎日、悲しい夢を、見るんだもの、悲しいんだもの、君と一緒にいたいんだもの。
僕は、まだ、有機質だと、ねえ、君、そうだよね?

…あ、消えるわ、僕…
まだ、たどり着いていないのに…寝顔を、せめて最後に見ることも叶わないの…?…?
あ…あ…見えなくなる…君の…どこへ…いっちゃったの…

====足元、とても、とても、深いところで、ぷちん、と何かが弾けるような音を聞いたような気がした。


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