「ね」 目の前の少女は、ひとしきり笑って満足した様子で、俺に微笑みかける。 「みのるくん、行こ」
俺の右の手をそっと掴み、沼から離れて行こうとする。
「え、いや、だって、千春さん、あのままじゃ…」
まりえは沼を指差す。 「千春なら大丈夫よ。ほら、見て?」
千春さんは、数メートル先の汚水の中で、 ハイテンションでバシャバシャ泳ぎ回っているようだ。 暗闇の中、その動きの全ては捉えられないが、 千春さんが水を叩くたびに、汚水の匂いがぷん、とする。 時折、「ひゃあ」「きぇえ」「ほ ほ ほ」と、嬌声を発しながら、 嬉しそうな様子をしている。
「もうほとんど人魚だから。溺れること無いから、放っておいて、いいのよ」 「そんな」
振り返り、泡だつ波間に向かって大声を上げるまりえ。 「ねー ちはるーっ!」
数秒、間を置いて、千春の返事、 というか、鳴き声とか絶叫に近いものが返ってきた。
「ちはるー、帰りたいー?」 「イヤァァアアアアアアアアアアアア!」 「あたしら、先に帰ってるから。後は好きにしなさいね?」 「ハァアアアアアアアアアアアアアイ!」
「ほらね。みのるくん、行こ」 まりえはきゅっと俺の右手を握って、促す。
どうしよう。 「千春さん、早く上がって来てください!」 「イヤァァアアアアアアアアアアアア!! みのるくん、みのるくん、みのるくんが、こっちにおいでよおおおおおおおお」
バシャ!バシャ!
千春さんの声のあまりの大きさに、びくっとする。
「ネェエエエエエ!!こっちおいでよおおおおおお!!! キスして、みのるくぅうううううううん!!」
次の瞬間、俺は、どきっとした。
千春は、大口を開けた。 そう、字のとおり、大きすぎる口…。 千春の口は、耳まで裂けて開いている。 口裂け女のように、大きな口を開けた。 千春の口の中は、牙がずらり。 そして、中には単独の生き物のようにじゅるじゅると動く舌が。長い舌が。
あの口は、人間の口じゃない! 獣の口だ! あの口なら、人間の首も噛み千切れそうだ。 獣の口だ!
蛇の口だ!!
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