蝉が一番うるさい八月。 花火だの、プールだの、海だのとはしゃいでいる学生たち。 そんな話題で持ちきられる夏は楽しいであろう。 プールや海で皆とはしゃぎ、夜は屋台の食べ物を食い漁り、そして花火を見て心穏やかに一日を終える日があるのだろう。 それはさぞかし楽しそうで、俺もそう過ごすと思っていた。 が、しかし。 「なんで俺は違うんだー!なぜだ!なぜだ!なぜだー!」 「そんなの補習だからでしょうが」 俺の魂の叫びに鋭い槍が突き刺さる。 だが俺はめげない。 「なぜこのすばらしい俺が補習なんざうけねばならないんだ!この世は不平等だ!全て間違っている!」 「そのすばらしいあなたはテストの初日に感染性胃腸炎にかかってテストを受けられなかったんでしょう。ホント毎年毎年忙しいわね」 「ぐぬぬ・・・」 「去年は肺炎だっけ?その前が右足骨折、その前が風邪で、その前が膵炎だったよね」 俺の名前は湊戒牙(みなとかいが)。俺は毎年毎年、七月末になるとなにかしらの病気にかかり、ちょうど2週間学校を休む羽目となってしまうのだ。そして、運の悪いことに、7月末というのは夏の期末テストの時期であり、俺はここ数年間、テストを受けれず、補習三昧の日々を送る羽目になっている。 「ホント毎年毎年面白いよねー」 横で能天気に俺をバカにしているのは箕岸海吏(みぎしかいり)。幼稚園からの腐れ縁で、用は幼馴染だ。 しかし、幼馴染といっても、ベタな設定のように隣同士ではない。 俺が住んでいるところはちょっと変わっており、集合住宅街を複数合わせたもので、大人たちは統合型集合住宅と呼んでいる。そのうちの一つに俺は住んでいて、その隣の集合住宅区域に海吏は住んでいる。 まあ・・・隣同士といえば隣同士なんだがな。 「ほらほら。病気少年。急がないと補習に遅れて、爆弾女にいじられるわよー」 「爆弾女って・・・お前な・・・」 「爆弾女は爆弾女よ。いつぎゃーぎゃーわめきだすかわからないじゃない。ああいうのが教師だってことが本当に不思議だわ。あたしの爪の垢を煎じて飲ませてあげたいくらいよ」 海吏は胸を張っていっているが、あの人が爆弾女ならこいつはサイレン女だと俺は思う。 いつでもうるさいからな。 まあ本当の“爆弾”の意味はまた別にあるんだけどな・・・ 「だ〜れ〜が〜爆弾女ですって?」 そんなことを思っていると、後ろから腕を回され、頭にずっしりと重みのあるものが乗った感触がきた。 「あんたのことよ!そ、その爆弾を早く戒牙の頭からどけなさいよ!」 海吏がわめくようにいう。 「やあよ。私はただ戒牙君に挨拶してるだけなんだから」 後ろから聞こえてくる声はあくまで落ち着いている。 この人が慌てた姿なんて見たことがないがな・・・。 「なにが挨拶よ!それのどこが挨拶なのよ!挨拶なら声かけるだけでいいでしょうが!」 海吏はどんどんヒートアップしている。 よくこの暑い中そんなにも熱くなれるものだ。 「あら、そういえば挨拶してなかったわね。おはよう戒牙君」 この人はあくまでマイペースなようだ・・・ まるで風と太陽だな。 じゃあ俺は服を脱がされるってか? んなわけあるかっつうの。 「おはようございます。狗亥先生。これ以上海吏で遊ぶのも俺に乗りかかるのもやめてください。早くしないと先生まで遅刻しますよ」 そういいながら絡められた腕を解く。 この人は狗亥音音(くがいおとね)。 俺が通っている高校の教師だ。 正直名前的にはとても音楽的なイメージが浮かんでくるのだが、実際は数学教師である。 しかし、実家は音楽一家で、両親は作曲家とバイオリニストだったとか。 まあ、深いところはあまり聞いていないので知らない。 「誰が遊ばれてるって?こんな女と遊んでるつもりはないわよ。このバカいが!」 そう怒鳴りながら海吏はどんどん先へと進んでいく。 まあこれも毎度のやりとりなので、俺は気にしないでいる。 どうせ昇降口で待っているだろうし。 「ホント可愛いわねぇ」 この人もこの人でいつもこんな感じだから、俺は放置することにした。 「それでは俺も行きますんで」 俺は軽く会釈をしてその場を離れる。 「えぇ〜一緒にいこうよ〜」 離れようとしたが、猫なで声と共に腕を捕まれ、動きを止められた。 振り向けば、腕に絡みつき上目遣いで狗亥先生がねだるような眼差しを送ってきていた。 「いい加減にしてください・・・そのうちゴシップで解雇されますよ?」 俺は軽く腕を振りほどき、今度こそ歩き出す。 「もう・・・相変わらずつれないわねぇ・・・」 そういって狗亥先生は俺の隣に並んで歩き出す。 「ところで今年は何の病気だったの?」 狗亥先生は日常生活の会話の一部のように聞いてくる。 「今回は急性胃腸炎でしたね。しかも感染性の。だから入院せざるを得なかったですよ」 いつものやりとりなので俺は別に気にせず答える。 「また今回もぴったり二週間?」 「ええ。ホント見事にテストの初日から再試の終了日までぴったりでしたよ。ここの学校の制度変えてもらえませんかね?せめて再試の開始日を一日ずらすとか」 自分で言って笑えてくる。別に夏休みに予定があるわけでもないのに、懇願するようなことを言っている自分を自分自身意味がわからない。 「そーねー・・・できることならそうしたいんだけど、校則じみた感じになっちゃってるからだめなのよ。テストは七月の第三月曜日から金曜日まで、再試はその次の週の月曜日から金曜日の間って決まっちゃってるから」 狗亥先生は申し訳なさそうに言ってくれる。 本当はとても優しくて気のいい先生なのだ。 だから人気ではあるんだが。 まあ、さっきのやりとりもこの人の一種のコミュニケーションなのだろう。 「まあ、もうこれはどうしようもないことですし、半分くらい諦めてますから気にしないでください」 俺はなるべくぶっきらぼうな言い方にならないように気をつけた。 その時チャイム音が聞こえた。 「休日でも予鈴ってなるんですね」 「まあねぇ。結局通常日程と同じシステムでチャイム鳴らしているから。それじゃ、また後でね」 そんなのんきな会話を俺たちはいつもしている。 そうこれは単なる日常なのだ。 この日常を俺らは何気なく過ごしている。 ほとんど無意味に。ただ、流されるままに。 これはきっといつまでも変わらないことだろう。 大地震が来ようが、大戦争が起きようが、きっと変わらない。 いつかは、日常へと戻るのだ。 そんなつまらないことを考えながら俺は昇降口を抜けた。
「はい。今日はここまでです」 英語教諭の声と共に皆が動き出す。 教室にいる生徒が次第に減っていく様子を傍目で見ながら、俺は外をぼんやりと見ていた。 別に意味はない。 ただちょっとだけ、残っていようと思っただけだ。 どうして人は不意に一人になりたくなる時がくるのだろう。 いつも人と関わっていなければ淋しく思い、 誰かを求める一方、誰とも交じらず一人でいたいと思う時もある。 ホント人間というものは身勝手だなと感じる。 「ふぅ・・・」 一つため息をつくと、強張っていた体から力が抜け、意識が現実の世界へと引き戻される。 死ぬ間際の悪あがきなのか、蝉が五月蝿く鳴いている。 夕方になっても衰えることのない五月蝿さに少しだけ関心した。 (ばかばかしいな・・・) 「あ、やっぱ残ってた」 突然声がして少し驚いたが、俺はその声の方へ視線をめぐらせた。 そこには一人の男子生徒が立っていた。 「残ってちゃ悪いかよ」 俺はぶっきらぼうに答える。 「いや別に」 相手もぶっきらぼうに答え、俺の席の後ろのロッカーに寄りかかった。 こいつは形為龍兎(かたなしりゅうと)。 この高校に入学してから知り合ったやつだ。 期間としては短いが、俺はこいつに関してはとても強い興味と、確かな信頼を持っている。 互いに互いを探るような関係だが、それ故に確かな関係を築けていると感じる。 「それで、なんか用か?」 龍兎は何も反応しない。 「どうしたんだ?」 俺は不思議に思った。 こいつはいつでも言いたいことばはっきり言うタイプだったので、こんな風にことばに詰まるのは珍しいことだ。 「いや・・・」 本当に不思議なことだ。ここまで龍兎が言葉に詰まるとは。 龍兎は何度か唸った後、呟くように言った。 「さっきさ、廊下歩いていたら、同じ部活の鈎坂(かぎさか)っているだろ?あいつが、すれ違いざまに紙を俺のポケットに入れてたんだよ」 「なんて書いてあったんだ?」 「これなんだけどよ・・・」 龍兎はポケットから一枚の紙を取り出し、俺に渡してきた。 紙は丁寧に四角に折られており、鈎坂の気質が伺える。 俺はその紙を広げて中に書いてある内容を読んだ。 「後で話があるから五時に部室で?」 そこには丁寧な字でそう書かれていた。 「呼び出される心当たりは?」 思索するように俺は訊いた。 「心当たりか・・・」 俺と龍兎は少しの間睨み合った。 数秒間の静寂を龍兎が破った。 「そうだな・・・あるとすればお前だな」 強い眼差しで俺を見ながら言った。 「俺か・・・」 正直俺も予想しなかったわけではない。 鈎坂部長が呼び出す用とはそれくらいなものだ。 ましてその呼び出す用件なんて思い返せばそれくらいしかない。 「まあ・・・去年の二月からだもんな・・・」 「確かに。まあいつも通りに適当にあしらうさ」 龍兎はどうでもいいような感じで言い放つ。 これまで何度かこういう呼び出しはあった。 最初は俺自身も呼び出されていたのだが、途中から龍兎一人になった。 一度も呼び出しに応えなければ自然的にそうなるだろうな。 「まあ、よろしく」 そういって、俺は席を立つ。 「帰んのか?」 「ああ。寄りたいところがあるからな」 「あいよ」 軽く手を振り俺は教室から出た。
昇降口を抜けると日が傾いたおかげか、涼しい風が俺の頬を過ぎていく。 蝉の鳴き声も少なくなり、蝉の代わりにキリギリスが鳴いていた。 少し風流を感じながら俺は校門を抜け、家とは違う方向へ歩き出した。 俺はこんな体になってから、一つの習慣ができた。 それは退院した次の日に必ず行く場所ができたのだ。 しばらく歩いて俺はある神社の前に来た。 鳥居は古びていて、上を見上げれば死にたくなるような長い階段があった。 「ふぅ・・・」 俺は一息ついてその階段を登り始める。 長く急な階段。 登っていてたまに意識が薄れる時がくるが、病み上がりなのでいつものことだと流す。 五分ほどかけてその階段を登り、神社の敷地へと入る。 学校よりも強い風が吹いており、木々が互いの身をこすり合わせて、ざわめくように音を立てている。木陰が多く、吹いてくる風は少し冷たい。 俺はさららに奥へと進む。 舗装されているわけでもない道だが、俺はしっかりとした足取りで進む。 最初はただ迷い込んだだけだった。 無性に走りたくなって走った。 息が切れてもお構いなしに限界を超えても走った。 そして気がついたら神社の中にいた。 あの階段を一気に駆け上がったのかと、正直自分でも信じられない。 息が上がりきって、軽く酸欠状態になっていた俺は、ぼんやりとした頭で歩いた。 何を思ったかは自分でもわからないが、その時俺は、なぜか森の中へと足を踏み入れていた。 その時は生い茂る草の鬱陶しさや、木々のざわめきの五月蝿さなど、なにもかもが木にならなかった。もしかしたら、自分の一部となっていたのかもしれない。逆に俺自身がこの森の一部となってたのかもしれない。 意識がはっきりしていなかった俺は、いつの間にかそこにいた。 命の灯火が消える瞬間のように燃え盛る赤。 その存在を強く主張していているかのように、強く赤く光っていた。 とても綺麗な夕日だった。 今までどこか遠くに行っていた俺の意識が無理やり引っ張られたかのように戻された。 俺は夕日に魅了され、ただただ眺めることしかできなかった。 俺が動くことができたのは夕日が沈み、空が瑠璃色に変わってからだった。 「はぁ〜・・・・」 体が緊張していたらしい。 意識がこっちに戻ってきた瞬間体が鉛のように重くなり、その場に座り込んでしまった。 しかし同時に心の中はなにかに満たされた感じがあり、とても不思議な感覚だった。
その時から俺は毎年退院した次の日にここを訪れている。 俺の目の前にはその夕日があった。 俺は風が心地よいいつもの場所に座ってその夕日を眺めた。 月には魔力があると何度か目にはするが、実際魔力があるのは夕日ではないかと俺は思う時がある。どうして眺めているだけで、こんなに心が落ち着いてしまうのか。沈んだ心を沸き立たせてくれるのか。 どうして俺はこの夕日に魅了されてしまったのか。 「どうしてかしらね」 突然の声に俺は驚く。 慌てて振り返るとそこには一人の少女がいた。 とても小柄で、背中まで伸びた髪の毛はとても綺麗だった。その髪を後ろでひとまとめにして縛っており、可愛いというよりは綺麗な子だった。 「どうして、この夕日は人を魅了するのかしら」 少女の言葉に俺は少しドキリとした。 少女は続ける。 「この夕日を見た人になにか共通点でもあるのかしらね。それとも誰彼問わずこの夕日に魅了されるのかしら。あなたはどう思う?」 少女の目が俺を捕らえる。 その目に俺は動けなくなった。 萎縮したのではない。その少女に見惚れてしまったのだ。 俺が魅了された夕日の光を浴びて佇む少女はとても神秘的だった。 「ねえ?聞いてるの?」 少女は眉尻を下げていう。 「あ、ああ。ごめん」 俺は頭の中の邪念を振り払った。 「で、な、なんだっけ?」 「なに?聞いていなかったのね。まあ、いいわ」 少女はやれやれといった感じで言う。 「どうしてこの夕日は人を魅了するのかしらと訊いたのよ」 めんどくさそうに言っているが、視線は俺から離さない。 何を思ってこの少女がこんな問いを俺にしてくるかわからないが、訊かれたからには応えるしかないだろう。 「そうだな・・・案外この夕日にとり憑かれてるのかもな」 俺は苦笑交じりにいった。 なぜ魅了されるのかなんてわからない。 考えたことすらない。 「とり憑かれてるねぇ・・・」 少女は感心しているのか呆れているのかわからないが、なにかを考え込んでいるようだった。 「あなたはそう思っているのね。ありがとう」 突然言われた礼に俺は戸惑った。 なぜお礼を言われるのだろうか。 俺が困惑していると少女は俺の隣へと座った。 それに俺はさらに驚いたが、少女は全く気にした様子はない。 こんなことで慌てても仕方がないと思った俺は、また夕日を眺めることにした。 それから夕日が沈むまで俺たちの間に会話はなかった。 夕日が沈むと少女が立ち上がる。 俺はそれを見上げる形になった。 「それじゃ。今日はありがとうね」 また礼を言われた。 「別に何もしてないだろ?」 俺はそのまま言葉にした。 すると少女はくすりと笑った。 「確かにね。でも質問に答えてくれたし、一緒にいてくれた。それだけでありがたかったのよ」 そういって少女は歩き出す。 「あ、ちょっと」 俺はなぜか呼び止めてしまった。 (何を考えているんだ俺は・・・呼び止めてどうする・・・) たまに自分自身で自分のしていることがわからなくなる時がある。 「なに?」 少女は振り向いて首をかしげた。 何か言わねばと思うがなにも浮かんでこない。 これじゃただの変な人だと思われてしまうじゃないか。 「その・・・君さ・・・な、名前。名前なんていうのさ」 俺は一番ダメな言葉しか出てこなかったようだった。 (これじゃただのナンパじゃねぇかよ) 俺はじぶんの不甲斐なさに打ちひしがれる。 「名前・・・名前かあ」 少女は考え始めた。 (やっぱ疑われてるのか・・・?) そう不安に思った矢先、突然少女がクスリと笑った。 なぜ笑ったんだ? 俺は不思議で仕方がなかった。だって名前を訊いただけだぞ? 「ごめんなさい。ちょっと考えてたら面白くなっちゃって」 言っていることが意味不明だ。 なにを考えていたというのだ。 「まあ、名前なんてそのうち知れるわ。だからまたその時に」 少女は最後にまた笑って去っていった。 「ちょっ、そのうちってなにが!」 俺の叫びに応えることなく、少女は森の中へと消えていった。 突然現れた少女。 そして謎の言葉を言い残して去って言った。 まさか、この少女と本当に再び出会うことになるなんて思いもしなかった。 しかもかなり近いうちに・・・・ そしてその出会いが、俺の人生全てを覆すとは思うわけないだろう? でも変わってしまうんだ。 そして今日も夕日が沈み一日が終わる。
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