初めそれが鳥の鳴き声だとは思わなかった。耳障りな連続する鈍い音で目覚め、少し頭を擡(もた)げてその音のする場所を探ってみた。頭がズキッと痛んだ。
どうも敷布団の傍らにある、昨夜酔いに任せて無造作に脱ぎ捨てた浴衣の中から聞こえてくるようであった。裸の上半身を起こしてじっとそこに聞き耳を立てた。
くぐもった感じの、ある種不気味さを伴った規則的な音で、同じトーンで聞こえ続けるのがとても耳障りであった。
死に掛けた小さな生き物、それも小さな哺乳類の瀕死の呻き声のように聞こえた。
一体何が潜んでいるのか、毛穴の粟立つような感じを抑え目一杯上体を伸ばして浴衣を退けようと試みた。再び頭がズキッと痛んだ。しかしその瞬間、音が移動した。
急に浴衣の下からの音ではなくなった。もっと近く、すぐ身近に、今度はなんと体の中から音が響いてきた。臓器のどれかが、意思とは無関係に勝手な思惑で、呼吸に合わせて鳴っているようであった。暫くそんな状態で自分の体の中に神経を集中させていたが、やがて音は、開け放たれた窓から外へ逃げていき、不思議な鳴き方をする鳥の声へと戻っていった。その時初めて、それが鳥の声である事に気付いたのであった。
確かに距離感の掴みにくい音であったが、あんな異様な聞こえ方をしたのは寝惚けていたのか昨夜の深酒の所為なのか、いずれにせよあまり気味のいいものではなかった。
そういえば夢を見ていた。内容は鳥の声ですっかり意識の底に沈んでしまったが、胸の奥に暗い気分が淀んだように溜まっているのをみると、決してよい夢ではなさそうであった。
私は気分を変えようと、一枝(いちえだ)のことを考えた。
ぼやけた脳裏にぼんやりと、湯気に霞んだ彼女の裸身が浮かんできた。やがてそれは鮮明に、細部まで余さず蘇って思考回路の粗方を奪い去った。
優美で繊細な裸身(からだ)、きつく抱けば毀れてしまいそうな程に。私は一枝の世界に埋没した。
待て。これだ、これだったんだ。私の心の底で廃れかけた夢の断片が切れ切れに浮かび、やがて一つに繋がった。
一枝が裸で誰かと抱き合っていた。一体誰だ、勿論私ではない。男が振り向いた、菅原先輩だった。先輩が私に向かって言った。
「歪んだ幻が現(うつつ)の世界を駆逐する。」
再び一枝の体を貪り始めた。
二人の姿を黙って私は、じっと食い入るようにただ見つめていた。
そうだこの夢が私の心を、どんより濁った暗い淵に突き落としていたんだ。
私は二人の関係にあらためて疑念を抱いた。そして先輩が口にした意味不明のあの言葉。いかにも不吉に思われたが、再び浮かんできたその言葉は、そのまま心に刻まれた。
先輩の菅原浩紀から携帯に電話があったのは金曜日の朝の事であった。
「会社の保養所がガラガラで使い放題なんだ。それも役員用の豪華版の方だぜ。久し振りにお前とゆっくり飲みたいと思っていたところなんだ。次の土日空いてるか。」
「土曜の午後からでしたら。」
「じゃあ三時に迎えの車を遣るから家に居てくれ。」
穏やかだが有無を言わせぬ口調は卒業してからも全く変わっていなかった。と言うより更に磨きが掛かっていた。人を不快にさせず自在に操る術を見事に手に入れているようだった。
やれやれ早速お出でなすった。面倒見の良い先輩、頼れる兄貴。あんたは立派なOBですよ。
彼は大学の二年先輩で、アメフト部の前のキャプテンで、私はそこの部員であった。厳密に言えば、火曜まで部員だった。
大切な試合に負け失望していた。チーム全体が沈み、皆が一様にやり場の無い気持ちに耐えていた。
拮抗したゲームの中では僅かなミスが命取りになる。そしてこちら側に決定的とも言える失策が起こった。キャプテンのお粗末とも言える判断ミスが原因で、流れは大きく相手方に傾き為す術がなかった。
ただそのミスを最も憎み、執拗に糾弾したのは他ならぬキャプテンその人であった。常に沈着冷静な彼のあり得ない失策に、メンバーは一様にある種抗し難い力のようなものを感じた。
勝利の女神は、相手チームに微笑んだんだ。許すも許さないもない、すべては時の運、不可抗力なのだ、と。
私は皆を代表して彼を慰めた。言葉は必要ない、少しキザだが微笑んで、ポンと肩を叩いてやればそれでいい。
輝ける青春の一ページ、何も問題はない。後は少しばかり自分を納得させればすべてうまくいく。
ただのゲームなんだ、気にする必要はない。負けることだってある。敗者もまた美しい、と。
すべてはそれでうまくいく筈だった。全員で一から出直すつもりでひたすら練習に励めば、敗北だって糧になる。あのおやじさえ来なければ。
すべてをぶち壊しにするあのがなり声。醜悪でデリカシーの欠片もない職業監督、我々の指導者はそういう種類の人間だった。奴は勝利がすべてであり、奴にとっては友情も、敗者の美も、輝ける青春の一ページすらも、何の価値もないものであった。むしろそういう類のものは、邪魔ですらあったのかも知れない。
奴は私の親友を罵倒し、無能呼ばわりし、辞めちまえ、と叫んだ。
この男と我々の間に立ってずっとチームを支え続けた彼に向かってである。
私は切れた。奴に食って掛かった。四年の私がそんなことをすればチームにとって大きなマイナスになる事は知れていたが、一線を越える事に躊躇(ためら)いはなかった。私はとても冷静に切れた。
親友が止めに入った。
「ええねん。悪いんは俺やから。」
寂しい微笑み。涙が出た。あの男は怒りに震えながら部室を出て行った。最早私はこの部屋の住人ではなくなった。その事に後悔はなかった。翌日、退部届けを提出した。あの男の目前に些か乱暴にではあったが。火曜日の事であった。
保養所というのは嵯峨野にあった。
嵐山から嵯峨野界隈は夙に有名な観光名所だが、渡月橋を中心に平日でも観光客が大勢徘徊(はいかい)してとても賑やかだった。だが車がその一角を過ぎると人影は急に疎らになり、一たび脇道に逸れてしまうとまるで別世界のように静かになった。
細い通りを隔てて竹林同士がざわざわと左右から反目し合っていた。通りは初夏の陽光をまともに受けて輝くように白く、逆に藪の中はとても暗く感じられ奥の方は夜のようであった。強いコントラストに幻惑され、私の網膜から色彩が消滅し墨絵のようにみえた。
その瀟洒(しょうしゃ)な建物は、竹林が漸く途切れて周囲の景色が雑木林に変貌を遂げた刹那(せつな)、突如姿を現した。突然分け入ったモノトーンの世界から瞬時に、豊富な色彩の現実の世界に引き戻された。
保養所というには趣のある純和風建築で、周囲には築地塀を廻らせ、由緒ある歴史的建造物を思わせた。
私は建築の事など良く分らないがその建物にはある種風格のようなものを感じたので、ちょっと運転手に尋ねてみた。彼は与えられた運転手のユニフォームに身を包み、実直に自らの業務をこなしているという感じの初老の男で、お愛想を言うタイプではないようだが質問には快く応じてくれた。
「ここは元々京都でも指折りの旅館やったんですけど、バブルが弾けて立ちいかんようになってしもたんを、うちの会社が買うたんですわ。まあ、保養所言うんは名前ばっかりで、私ら下のもんにはなんも関係あらしませんねんけどなあ。えらいさんか、会社のお客さんの使わはるとこです。」
そう言えば先輩は確か、役員用の豪華版だと言っていた。そうだここは経営者側の施設なのだ。ここを保養所と言うのはおかしい、割りきれぬ思いがちょっと頭を擡げたものの、よく考えると私の知った事ではなかった。
以前チームメイトの誰かが菅原先輩は大きな会社の御曹司だと言っていたのを思い出した。満更興味がないわけではなかったが、あえて無関心を装ったのでその時は話はそれで終った。
先輩が卒業後実業団のどのチームにも入らなかったのを不思議に思っていたが、自分ちの会社に入ったんだと、今頃になって得心がいった。
「ところでお宅は、何て言う会社なの。」
大きな会社というからには私だって知っているところなんだろう、今頃気になり出した。ところが運転手は一瞬言葉を失ったようであった。少し沈黙の後、
「何も知らはれしまへんのか.あんさんはうちのぼんのお客はんどんなあ。」
運転手の京都訛りがきつくなった。
「一応招待は受けているんだけどねえ。まあお客という程のものではないけど。菅原さんの大学の後輩なんだ。」
「そうですか。学生時分の先輩、後輩いうんはよろしおすなあ。幾つになっても青春時代に戻りますよってなあ。ところでさっきお迎えに行ったとこはご自宅ですのんか。」
「そうだけど。」
「あそこは老舗のレストランですなあ、私もあそこは何度か行ったことありますねん。いうてもお昼のランチだけですけどなあ。おいしいさかいここのお客さん何度かご案内したことありますんや。えらい喜んだはりましたで。」
「ありがとう、どうぞご贔屓(ひいき)に。」
「けどあんさん、お言葉の方が関東弁どんなあ。失礼ですけどあそこのお子達と違いますのか。」
「いや、僕はあそこの息子なんだ。出身は勿論京都だけど、まあ家庭環境の所為でこんな風になっちゃったんだ。」
運転手はそれ以上は聞いてこなかった。
そうなんだ、全く家庭環境の所為なんだ。別に恰好をつけている訳でも何でもない。
京都で生まれ育った私が何故関東弁を使うのか、その違和感をとりあえず払拭しておかねばならない。
私の母は東京の出身で、そしてこの京都という街をこよなく愛している癖に、京都弁は一切使わない。というよりこの街を愛しているからこそ、自分の話す下手糞な京都弁を想像すると疎ましく、この地を冒涜(ぼうとく)するような気になるのだろう。その位なら寧ろ自分の言葉で話そう、母はそう考えたと思う(父の言葉を覚えるほど、父とは長くいなかった)。そういう潔癖なところのある人なのだ。決してお高くとまっているわけではない。
私はそんな母といつも一緒だった。日がな一日二人で過ごした。
昼間は本を読んでもらったり、今思えばとても不思議な体操を延々とやらされるのが日課であった。母はこれをやると体が強くなると言った。やはり病気で夭折した夫の事が脳裏を離れなかったのだろう。そのお陰かどうかは知らないが、確かに現在の私は丈夫な体を手に入れている。
夕方になると私たちは京のあちこちを散策した。日中の外出を母は嫌い、日差しの和らいだ頃から動き出すのだが、私はそれがとても楽しみだった。それは単に家の周辺を歩き回るのにとどまらず、週に一、二度はドライブに出掛け(ちなみに母はドライブが大好きだ)、京の遠近(おちこち)を隈なく見せてくれた。幼心に母のこの町への愛情を感じ取る事が出来たし、私自身京都人である事への誇りを自然と培う事が出来た。
父の記憶は全くなかった。生粋の京都人である父は、私が物心のつく以前に亡くなっていて、顔も写真でしか知らなかった。
母は私の中に父を見ていたのかも知れない。幼い私とこの街を巡り続ける小さな旅は、同時に、失った夫との時を取り戻す心の旅だったのかも知れなかった。
こうして関東弁を話す母との殆どマンツーマンでの生活が小学校にあがる迄続き、私の言語野の中枢を支配した。
小学校にあがってその言葉の問題で一寸した苛めに会い、京都弁を使う事を学んだ。家では関東弁、学校では京都弁。しかしそういう日常というのは結構ストレスが溜まる。これが外国語と日本語とかだったら全く問題はなかったのだろう。
ところが方言というのは少々厄介だ。自分の身に染み込んだものが周囲から白い目で見られるというのは不愉快で、自分が否定されたような気持ちになる。いや、母を冒涜されたような嫌な気分が常に付き纏い、しかもそれに手を貸しているのが他ならぬ自分自身なのだと気付いた時に陥る自己嫌悪感。第三者には多分理解出来ないだろう。
小学校三年の時ついに私は切れた。自分の使い易い言葉を使う事にしたのだ。周りの連中なんて関係なかった。ただ多少の後ろめたさがない訳ではなかった。自分が皆より体も大きく、力も強く、もう苛(いじ)めに会う心配なんてない事を十分承知していたのだ。もし体も、力も普通なら、そんなこと出来なかったに違いない。そんな打算的なところも私は持ち合わせていた。
ただ中学にあがると話はそう簡単にはいかなかった。クラスの中に悪連中のパシリのようなのがいて、そいつの告げ口で奴らの親玉に目を付けられたのだ。
その親玉は三年生で番長を気取っていた。そいつらが帰り道で待ち伏せしていたとき、この程度の事ですら(まあ気に食わない事が他にもいろいろあったのだろうが)、自分を貫くのは大変なのだと、つくづく思い知ったのだった。
今更後戻りは出来なかった。私自身の存在に関わる問題なのだ。私は必死で闘った。殴り合いの喧嘩なんて初めてなのだ。
殴られても蹴られても不思議に痛みはなかった。無我夢中でそんなもの感じる余裕などなかったのだろう。助かったのは他の連中が手出ししなかった事だ、所謂(いわゆる)タイマンを張るというやつだ。殆ど負けかけているのに、ここで他の奴に手出しされたら一溜りもない。
とにかく、死に物狂いだった。
殴られれば出来るだけ殴り返し、蹴られれば可能な限り蹴り返した。気持ちだけは負ける訳には行かなかった。気持ちで負ければ私はバラバラになり、忽ち奴に組み敷かれ、そのまま二度と私の精神は立ち上がれなかったかもしれない。いかに体は叩きのめされようとも精神だけは挑み続けなければならなかったのだ。
長い闘いになった。奴にパンチを何発貰い、蹴りを何回入れられたのか見当もつかない。こっちも出来る限りお返しはしているものの、どれだけ奴にダメージを与えられているかは甚だ疑問だった。ただ一つ奴に勝っているのは、絶対に負けないという気持ちだけだったろう。
フラフラになりながら私は右のパンチを繰り出した。奴はそれを左の手の平で受け止め掴んで離さない。私は次に左を繰り出した。それも敢え無く受け止められ、ガッチリ掴まれた。
奴が、「もう、ええわ。」と言ったのと、私が奴の向こう脛を力一杯蹴り上げたのは同時だった。「うっ」と呻いて奴は崩れ落ちた。
奴に馬乗りになった時、取り巻きの連中が四散するのが見えた。奴は顔を顰(しか)めながら、笑っていた。
「お前、病気やな。何でそんな根性あんねん。もう堪忍したろ思てたのに、ちょっとあんまりちゃうか。ほんま、痛いのう。」
私も思わず笑いがこみ上げてきた。笑っているつもりが涙が出ていた。そして同時に意識も遠退いていった。
再び目覚めた時、どういう訳か奴におぶられていた。こんなでかいのと闘ってたのかと改めて驚いた。
「起きたかあ。お前気色悪い喋り方するくせに、アホみたいに根性あんなあ。まあ、今日のとこは引き分けいう事にしといたろか。」
「別に気色悪くなんかない、僕だって京都弁くらい喋れる。でもこれは僕の母の話し方なんだ。僕はこの喋り方に決めたんだ。誰にも文句なんか言わせない。」
「そうか、それやったら分かる気いすんなあ。ほんま言うと俺は韓国人や。在日いうやっちゃ。俺もおとんと、おかんの言葉、いやオムニの、そのもっと前の先祖からの言葉、大事にしたい思うもんなあ。」
「とにかく、下ろしてくれ。」
「まあええやんけ。お前はもう体力の限界いうやっちゃ。お前、洋食屋の子やろ。ちゃんと家まで連れて帰ったるよって。喧嘩の痣やら怪我の説明、ちゃんとせんならんしなあ。
お前とこのお母ちゃん、きっと許してくれへんやろなあ。」
奴は首を左右に振って溜息をついた。
母は、拍子抜けするほど呆気なく、奴を許した。しかも向こう脛の手当てまでしてやって、おまけにシェフに頼んで、メニューにないハンバーグまで作ってやり、奴に食わせたのであった。
奴は帰り際私に耳打ちして、
「お前のお母ちゃんごっつ別嬪(べっぴん)やなあ。あれやったら俺かて、お母ちゃんの言葉使いたなるわ。」
と言った。そして母に、
「どうもご馳走様でした。有難うございました。」
と標準語っぽいアクセントで言って、帰って行った。
このように、私の関東弁にはかなり気合が入っていた。
「うちの会社は、ハピネス言いますねん。テレビでもよう宣伝してますよって、ご存知頂いてる思いますねんけど。」
「ああ、あの信販会社だね。」
信販会社というと聞こえはいいが、実態はサラ金と変わりはない。
「そうどす。」
運転手の口調は、幾分私を非難しているように感じられた。
本当はこういう格調の高そうな旅館なら、上品な女将が、
「おいでやす。ようお越し下さいました。」
などと、にこやかに歓迎してくれるのだろうが、ここは保養所なのでそういう出迎えはなく、玄関を入った所にちゃんとしたロビーがあり、そこに受付があって、浴衣を着た受付嬢が二人微笑を浮かべながら、いらっしゃいませ、と迎えてくれた。山鉾(やまぼこ)の巡行までまだひと月以上もあるが、若い女性の浴衣姿というのは季節感があってとても素晴らしい。
おまけに彼女たちは飛びっきりの美人ときている。さすが重役用の施設というだけあって彼女たちは清楚で、気品すら漂っていた。
あるいは重役連中にとって彼女たちは、自分たちが育て上げ漸くここに来て市民権を得つつある自らの会社の、拭いようのない胡散臭さをひと時忘れる為の(あるいは誤魔化す為の)、ささやかな代用品なのではあるまいか。
「どうだい、俺たちの会社の女子社員は。こんなにも清らかで育ちの良さそうな娘は、一流の銀行や商社にだって中々居やあしないぜ。こんな娘の居る俺たちの会社は絶対立派に違いないんだ。」というように。
つまり彼女たちを眺めながら、マスターべーションしているようなものだ。
そんな余計な想像を巡らせ過ぎて、彼女たちの前に立った時私の第一声は、とてもどぎまぎしたものになってしまった。
私はもう一年以上も女性と付き合っていなかった。
私にとって彼女たちは少し眩し過ぎたようだ。
私はすぐさま菅原先輩の名前を出した、水戸黄門の印籠のように。地に堕ちた私の印象を何とか回復しておきたかったのだ。
案の定、私に向けられた彼女たちの微笑みの度合いが心なしか増したように感じられた。
一人が立ち上がり、丁重に部屋まで案内してくれた。誰にでもそのように丁寧な応対はしないはずだ(するかもしれない)。なよやかなその後姿に、目が釘付けになってしまった。
確かに彼女たちを思い浮かべながらマスターベーションすれば、とても気持ち良さそうだった。
私は取り留めもなく、彼女らは冬場一体何を着るのだろう、と考えた。やはり着物なのだろうか、でもよく旅館や料亭などで見掛けるような、あんな地味なものではない筈だ。
マスターベーションするのは、出来るだけ美しいに越したことはない。今着ているお揃いの浴衣は洗練されていてとても美しい。是非冬場の衣装も見てみたいものだ。
受付嬢の後姿に見蕩れながら、私はたわいのない妄想を、あれこれと玩(もてあそ)んだ。
この建物の佇まいからして当然の事ながら部屋は趣のある和室で、庭に面して縁側が設けられていた。障子とガラス戸はすべて開け放たれ、外には日本庭園が広がっていて、その只中をちょっとした小川が清らかな流れを成していた。部屋から庭を眺めていると、凡そ風流などとは縁のない私でさえ、何か落ち着いた豊かな気分になってきた。
流れの上を水音と共に風が静かに滑って来て、部屋の中にそっと忍び込み浮き立った心を爽やかに擽(くすぐ)る。私は座椅子に凭れて、重役のように優雅な午後を過ごしていた。
どの位庭を見ていたろう。いつしか視覚と精神が連動しなくなっていた。心だけが一人歩きし、一年以上も前に別れた彼女のことを考えていた。
彼女は中々気立ての良い、素直な女の子だった。ただ少しばかり甘えん坊で、寂しがりやではあったが、それは女性にとって寧ろ愛すべき資質に相違なかった。現に男子の間では結構人気があったし、私はそういう女性と付き合っている事にある種の優越感を抱いていた。しかも私には盲目的な訳の分からない自信があって、自分は彼女から愛されているのだと、無邪気に信じ込んでいた。高を括っていたと言っていい。確かに何度も肉体関係があったし、関係の出来た女性をややもすると自分の所有物のように錯覚してしまう男は、決して私に限ったことではない筈だ。
無意識のうちに彼女を、お手軽な女性として扱ってしまっていたのかもしれなかった。
いつの間にか私は必要な時だけ彼女を求めるようになっていた。
アメフトに熱中する余り、と言えば聞こえは良いが、アメフトにかまけてろくに彼女を顧みる事もなかった。殆ど毎日練習に明け暮れ、日曜も祝日もなかった。夜も疲れてバタンキュウだ。その頃の私は彼女の会いたい、というメールにさえまともに対応していなかった。
彼女が別れを切り出したのは実に無理からぬ事だった。きっと傷付いていたのだ。そしてその時漸く私は、彼女に対して酷(むご)い仕打ちをしていた事に今更ながらに思い至ったのであった。
確かに大切なトーナメント戦が間近に迫っていたし、ひたすら練習に打ち込む事が唯一の、勝ち上がる事への不安を和らげる方法だった。だからと言って何も彼女までシャットアウトする事はなかったはずだ。自分に都合の良い時は散々彼女の肉体を求めた癖に。
なぜ私はそういう不安や焦燥を、彼女と共有する事をしなかったのだろう。当時を冷静に振り返って見ると、我ながら情けなくなる程自己中心的だったと言わざるを得ない。
「それは誤解だ、僕は君を愛している。」
私はそう言った。しかし彼女は取り合ってくれなかった。クラブの事とかもいろいろ言ってみたが所詮言い訳にしか聞こえなかったようだ。
「あんたはうちの事なんか、何一つ考えてくれてへん。」と言われた。
「ごめん。今度のトーナメント戦の事で頭が一杯だったんだ。でも僕の気持ちには全く変わりはないし、これからはもっと気を付けるよ。」
もう遅い、と彼女は言った。
「うち、こんな気持ちはもうまっぴらや。これ以上あんたに引き摺られたないねん。結局あんたは、自分の事しか考えてないんや。あんたはエゴイストや。」
ついに彼女の怒りは治まらなかった。というより怒りを自ら掻き立てているようにすら感じられた。もしかしてこの時点で彼女は、他に男が出来ていたのかもしれない。
とにかく私が悪いのだ。私の心無い仕打ちがすべての原因なんだ。
菅原先輩がやって来たのは、午後五時頃であった。しかも思いも掛けぬ珍客を連れて来ていた。腰まで届くストレートヘアのとても清らかな女性で、先輩が婚約者だと紹介した。
見るからにどこかのご令嬢という雰囲気が漂い、二人の間は揺ぎ無いものに思われた。
ご結婚はいつですか、と尋ねると先輩が、
「この秋に式を挙げる。お前も出席してくれるなあ。」と言った。
先輩も仕事の関係からか、標準語で話すようになっていた。
正直お金持ちの結婚式などは御免蒙りたかったが、まさか断る訳にもいかず、勿論ですよ、と答えた。すると、突然彼女が、
「もう、もう、かんにんして。う、うちもう、我慢出来ひん。」
とけらけら笑い始めた。先輩がやれやれと言う顔をした。改めて彼女を紹介した。
「この子は一枝、祇園の舞妓さんだ。」
私は唖然とした。とても馬鹿げてはいたが、たわいのない、金持ちのぼんぼんらしい冗談だった。先輩は時としてとても無邪気なところがあった。無論それが菅原先輩のすべてではなかったが。
現役の頃の彼を知る私には、彼が冷徹な頭脳の持主である事が良く分かっていた。彼が現役時代、私の知る限り、我々のチームは彼の意志によって動いていた。
彼は相手チームの戦力を分析し、その弱点を見極める事に殆ど天才的とも言える能力を発揮していた。彼のたてた作戦は完璧で、弱点さえ存在すればことごとく成功した。
もともと同好会に毛の生えた程度の弱小チームに過ぎなかった我が部を、優勝候補の一角にまで押し上げたのは先輩の功績であった。彼は入部するや、めきめき頭角を現し我々が入部した時には既にチームの作戦は全て彼の手に委ねられていた。つまり、つい一週間前まで私の所属していたチームは、菅原先輩が作り上げたものだった。
彼は敵の弱点を完膚無きまで叩く。あらゆる攻撃の鉾先は、何の迷いもなくその一点に集中される。相手の守備側は浮き足立ち、全体が脆弱(ぜいじゃく)になる。勿論敵の攻撃側も先輩の悪魔的ともいえる分析により、我方の守備側の前で丸裸にされている。いかなる強豪チームといえども、先輩が見切った時彼らは我々の前にひれ伏さざるを得なかった。
ただ例外もあった。弱点のないチームというのが稀に存在し、そういう相手に当たった時我々は驚く程呆気なくやられてしまった。そういうチームは守備側、攻撃側問わず、概ね天才的なスタープレーヤーは存在せず、組織的に素晴らしく訓練されていて、我々は時として強固な岩盤をシャベルで掘削(くっさく)しているような錯覚を覚えた。そういうチームに対して先輩は驚くほど淡白で、とことん勝ちにこだわる日頃の姿勢は微塵も感じられなかった。
ただ冷徹イコール血も涙もないというのではなかった。先輩はずけずけ言うし、嫌味も言うし間違ってもいい人とは言い難いがチームメイトからは、我々下級生も含めて結構人気があった。
それは信頼できるとかリーダーシップがあるとか、そういうことではなく、彼と接していると不思議な温かみが感じられるのだ。あるいは彼自身自覚していないのかも知れない。
彼の最も深い部分には優しさが確かに横たわっていることを。
もちろん先輩は複雑な人間だ。私などには計り知れない部分が、まだまだ隠されているに違いない。今の、私を嘲笑するかのような馬鹿げた冗談、あれだってもしかしたら、彼の内面に否応なく存在するゾッとするような鋭敏な資質を隠蔽(いんぺい)する為に、あえて装った軽薄さなのかも知れない。私はそうではなく、本当に無邪気なところがあるのだと希望も込めて考えている。確かに学生時代はくだらないおやじギャグをよく言ってたっけ。
あの悲しげな笑顔で。
「今日は少し面白い趣向があるよ。向こうに用意が調っている、さあ、行こうじゃあないか。」
いつの間にか浴衣姿の艶やかな女性が現れて、我々を導いた。さっきの受付嬢とは別の女性だった。
「いやあ、川床(かわどこ)やん。」一枝が言った。
そこには貴船の料亭にあるような「川床」が設えてあった。
子供の頃母に連れられて、貴船の川床料理を食べに行った記憶が蘇ってきた。妙に懐かしさが込み上げてきた。
賀茂川沿いの料亭が思い思い出している「床(ゆか)」とは趣が異なり、こちらはもっと小振りで流れにも近く、あの小川のせせらぎの音が直に体に伝わってきた。川面を渡る涼風はやや肌寒く感じられた。
先輩は他に客のいない気安さもあってか、殊の外上機嫌で多弁にはしゃいだ。
一枝は今日は舞妓として来ている訳ではなかったので、お座敷とは別人のようだと先輩に揶揄(やゆ)されていたが、確かにお嬢様然としてお淑やかに振舞っていた。
こういう風雅な趣向は酒も料理もとてもよく進む。先輩はもう結構出来上がっているらしく、一枝に頻りに酒を勧めていた。彼女はあまり飲んでいないようだった。二人はとても親密そうであったが、それが客と舞妓の関係なのか、男女の関係なのか、拙い私の女性経験では良く分からなかった。
「ゆうべ飲みすぎたよって、今日はお酒はやめてビールにしときます。」
などと妙な事を言い出して、生ジョッキーを注文した。とてもおいしい冷酒であったが、
私もそれよりも生ビールが良かったので一緒に頼んだ。
二人で乾杯していると先輩が、
「よっ、仲良くやってるねえ、よろしい。うん、うん。」
などと茶化してきた。先輩も私同様、あるいはそれ以上に風流には縁のない人だった。
日が暮れて辺りが薄暗くなりだすと、そこかしこに仄かな光が蠢き始めた。
「いやあ、蛍やん。ほんに綺麗こと。」
何と趣のある演出であろう。先輩に対する認識を改めなければならない。
・・・この風景、いや、これにとても似た風景を見た記憶が、突如蘇(よみがえ)ってきた。このような酒席の只中で、思いもかけない強い力でその遠い記憶が私を襲ってきた。
清流の音、涼やかな風、蛍、同じだった。川床の上で佇む幼い私。どんどん暗くなっていく周囲の情景、にっこりと微笑む中年の婦人。母が居ない事に強い不安を感じているもののその婦人の柔和な笑みが、辛うじて心の平静を保たせていた。居た堪れないその心理状況が時を越えて、今切実に迫ってきた。俄然この雅な眺めが陰鬱なものに感じられた。
「どないおしやしたんどす。」私の様子に不審を抱いた一枝が声を掛けてきた。
「あっ、いや景色に見蕩れてたんだよ。」
「ほんまどすなあ。うちも初めてどす。こんなようさんの蛍。」
あの婦人は誰だろう、とても温かなまなざしを私に注いでくれていた。もしかして、山科のおばさん。少し違うような気もする・・・
「もっと飲んどくれやす。景色ばっかり見てんと、もっと楽しいにいきまひょ。」
日もとっぷりと暮れる頃には、蛍は煩わしい程輝きを増してきた。天空に煌めく星ぼしが地上にまで降りて来て、揺蕩(たゆと)うような錯覚に囚われる程、夥しい光が周辺に満ちていた。
一枝(いちえだ)はこの光景を目の当たりにし、子供のようにはしゃいでいた。
絶え間なく聞こえるせせらぎの音は、その場を一層幻想的なものに感じさせた。
「おお寒む。うち、おしっこ。」 一枝が突然尿意を訴えた。
女っ気がなくなると、私はこのシチュエーションに先輩といる事に急に耐えられなくなってきた。
「先輩、もっと飲みましょうか。」
楚々とした仲居さんを呼んで、この場の雰囲気を変えたかったのだ。仲居さんはすぐ来たが、すぐ戻って行った。
「ところでお前、えらい派手にやったらしいなあ。」
先輩が聞き覚えのある京都弁で切り出してきた。
「ちょっと、切れちゃいましたねえ。」
「卒業したらお前、うちにけえへんか。今度うちでもアメフト部作ろおもてんねん。俺がクオーターバックと監督、兼任するけどな。どやっ。」
私は暫く間をおいてから答えた。
「やめときます。」
「何でや、決心は固いんか。」
「そろそろ汗臭い体育会系は卒業しようと思ってますからねえ。初めっから学生の間だけにしとこうと思ってたんですよ。これ以上やるとアメフトが人生になっちゃいますから。」
「アメフトが人生じゃあ駄目かい。そういう生き方もそれはそれで悪くないと思うがね。それだって特別に許された人間だけの特権なんだぜ。」
先輩はまた関東弁のアクセントに戻っていた。
実をいうとこんな話は初めてではなかった。ここ暫く低迷を続けている関東の強豪チームから打診があったが、私は同じ理由で断っていた。しかもその会社は紛れもなく、あのいけ好かないオヤジ、つまり我が校の監督の出身チームであり、奴からの強い勧めがあった事は言うまでもない。私はそのあたりに相当如何わしいものを感じたが、無論そういう経緯がなくとも受ける気はなかった。
もし私がそこに入社すればあのオヤジの懐に何がしかのものが転がり込むのではないだろうか。私の将来がそんな形で利用されたとしたら、とても我慢ならない。あるいは邪推かもしれないが、ともかくそう勘ぐらせるものがあの男にはあった。
決心は固いのか、と先輩は言った。自分なりに決着を付けてはいたが時として懐疑的になる事もあった。あれ程一途に打ち込んできたアメフトになぜこうも冷淡になれるのかと。
四年になって自分でも期するものがあったことは事実だが、決してアメフトに興味がなくなった訳ではなかったし、アメフトの変わりにやるべき事なんて何も見つかってはいなかった。ただ一つ、精神的な充足感が得たかったのだが、それはアメフトではなかった。
一枝が戻ってきた。
「ここ真夏やったらほんまに気持ちええんどっしゃろけど、今頃やとまだちょっと晩は冷えますなあ。」
「いやあ、こりゃあ気がつかなかった。どうだい温泉にでも浸かってこいよ。お前もどうだい、一汗流して来いよ。夕暮れの露天風呂なんて最高だぜ。」
先輩は私にも言った。
「いやあ、温泉あんのん。うち入ってこお。」
一枝がいなくなるとまた先輩と二人きりになってしまう。
ここは男二人が酒を酌み交わすにはいささか居心地が悪い。私も謹んで温泉をいただく事にした。
巨大な檜の湯船にゆったりと肩まで浸かりながら、仄暗い日本庭園を眺めていた。薄闇のせせらぎの上を乱舞する蛍の光跡を無意識に追った。あるものは円となり、あるものは線となり、あるものは留まって点となって消滅した。ぼんやり眺めるうちに、以前見た薪能の情景が蘇ってきた。ほの暗い中での光の揺らめきが記憶の連鎖に繋がったのか。
中学三年だった。能に興味があった訳ではない。母に無理矢理連れて行かれたのだ。
確か学校まで休まされて、朝早くから車で奈良へ向かった。昼ごはんに、古代の料理というのを食べさせられた。赤米とか、チーズのような蘇(そ)とかいうのが出てきて、意外にもおいしかった事を記憶している。
夜、篝火を焚いてそれは行われた。何を言っているのか意味など皆目理解出来なかったが、それは鮮烈に私の心を揺さぶった。観客が大勢いてかなり遠くから見ていた筈なのに圧倒的な迫力で私の内面に対峙してきた。
あたかもその世界に吸い込まれそうな位、それは強く迫って来た。私は殆ど身動きすら出来なかった。今でも目を瞑ればはっきりとその情景が蘇ってくるし、あの時の空気まで呼び戻すことが出来た。殊に観衆を見据えるように静かに語る翁の姿は厳かで(私に語り掛けてくるように感じた)、その神さびた面(おもて)は今もって私の心に棲み続けていた。
舞台はあくまでも静かに淡々と進行していた。これが授業で習った、幽玄の世界というものか、とすっかり感心させられたと同時に、わが国の文化の奥深さを垣間見る思いがしたものであった。
私は今こうして蛍を見ている。とても穏やかな気分で別に吸い込まれるような力も感じることはないが、その光の乱舞にある種奥深い儚(はかな)さが漂っていて、それが心の中に微妙な細波を立て始めていた。
自然が彼らに与えた最も美しい瞬間、華麗な光の競演、だがその後すぐ訪れる運命付けられた死。彼らはその光が自らの命の炎を燃やして、灯している事を知っているのだろうか。あるいはこれも幽玄の世界に通じるのだろうか。玉響(たまゆら)の美。付き纏う死の影。
美と死は裏腹なのだろうか。少なくとも互いの延長線はどこかで交錯しているらしい。
待て、待て。何も蛍をそれ程難解に考える必要もないだろう。綺麗なものは綺麗、それでいい。どうも私は体育会系らしくない。
私がアメフトを始めたのは高校に入ってからで、中学の時は卓球部だった。今でこそアイちゃんとか、かすみちゃんとかいてアメフトよりずっとメジャーであるが、当時はあまりおおっぴらに出来るような部活ではなかった。特に女子には明かせなかったし、知られればネクラと思われた。
何でそんなクラブを選んだか、それは小学校の時家でよく母と卓球をして遊んでいたからだ。勿論この事は人には言えない。知られれば私は忽ちマザコン男のレッテルを貼られてしまうだろう。断じて私はマザコンではないし、ネクラと後ろ指を指されるほど暗くはない。
それともう一つ、実は文化部にも入っていた。理科部水中班だ。水中の生物、主にプランクトン(ゾウリムシ、ミジンコ、緑虫、稀にアメーバなど)を池などに採取に行って、顕微鏡で観察するクラブだ。
中学の時、この二つのクラブを掛け持ちしていた(どっちも人には言えない)。
ではなぜ、高校に入ってアメフトを選んだのか。それは金村の所為だ。金村、それは中学の時、自分自身のすべてを賭して私が闘ったあの男だ。その後我々は仲良くなり、私は二年先輩のあいつを、金村と呼び捨てにした。我々はそういう仲だった。
奴はしょっちゅう、うちに来ては母にお愛想を言い、料理をご馳走して貰っていた。母も妙に奴を気に入り、あれこれ世話を焼いてやっていた。(実は奴は未だにうちに出入りしている。さすがに社会人の今は金を払ってはいるが。)
金村は高校に入ってアメフトを始めた。体も大きく力の強いあいつは、すぐレギュラーになった。そして母と私を試合の観戦に招待してきた。母は紫外線に対してアレルギーがある、といい日中の外出は殆どしないのだが(どんな風になるのか私はまだ見たことがない)、この日は金村の初めての試合とあって、二人で観戦に出掛けたのだった。
母は直射日光を避ける為、ゴールデンウイーク明けの結構暑い日であったにも拘らず全身を黒い服で包み、露出している部分にはしっかりと日焼け止めクリームを塗り込んで、黒い傘を体の一部のように差して出掛けた(確かに直射日光に肌を晒したくないだけにしては念が入り過ぎてはいた)。しかしそんな黒尽くめの姿が決して野暮ったくならず、何か礼服のファッション雑誌の一ページのように見えるのは、この人がとても若やいでいる所為であろうか。私はといえば当然のように学校を早退させられ、まるで駆け出しのマネージャーよろしく母の後に従った。
当時奴のポジションは入部して日も浅い癖に、ディフェンスの要ともいえるラインバックであった。因みに大学時代奴は攻撃側の主力を担っていた。(先輩も私も攻撃側で、先輩と奴はポジションも同じだった。) その時はルールもよく分からぬまま、奴の動きを見守っていた。中学生の私の目から見ても奴の動きは際立っていて、実に効果的に相手の攻撃を抑え込んでいるのが分かった。与えられた責任を淡々と、確実にこなしているのが素人目にも理解出来た。私は生意気にも金村の中に、プレイヤーとしての素晴らしい才能を見出した。
金村を中心に双方の鬩ぎ合いを見守るうち、ゲームを楽しむ余裕が出来てくると、フィールドを縦横に駆け巡るヘルメットの軍団のぶつかり合いにすっかり魅了されてしまった。
高校に入って、アメフトをやる事に迷いは全くなかった。金村とは別の学校で、奴のチームとはライバル関係になった。
すでに私はアメフトをやめ自らの青春に決着を付けようとしていて、再びユニフォームを着ることは恐らくないだろう。今でもアメフトは素晴らしいと思っているし、とても愛情を感じてはいるが菅原先輩にも言った通り、それを人生のすべてにする気はない。
趣味、そう趣味でいいではないか。青春のすべてをぶつけた、私自身には壮大な趣味。その為に彼女にも振られた。それに、日本でいくらアメフトに打ち込んでも、所詮高が知れている・・・。
最後にそう結論を下してしまってから、自分の青春に決着を付ける言葉にしては、恐ろしく打算的な総括の仕方をしてしまったことに私は、我ながら強い嫌悪感を抱いた。結局それが、詰まるところ私の本音なのだろうか。
少し気分を変えたくなった。先程から目のはじに「露天風呂」の看板がチラチラと入っていた。
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