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作品名:夢魔の羽根 作者:meimin

最終回   Shuttlecock of incubus
 或る朝、彼は教会の偶像の前で冷たい床板に跪いていた。
「教会のポストに差し込まれていた。君宛だよ」
神父は彼に純白の広い一本の羽根を手渡した。
ふぁさ…
風の無い教会の中でも弓なりに反る程しなやかな…羽根。
アーチ型の窓から降り注ぐ陽光に輝く純白の羽根。
いつも彼女を包み込んでいた彼の腕と同じ長さだ。
そして香りは…懐かしい、愛おしい、甘く切なく彼の心の奥底に迄も浸透する。
受け取ると同時に羽根に巻かれていた細い糸と、宛名が書かれていた紙らしき物は空気に溶けて消えた。
「彼女は天使になった」
結婚式に立ち会う予定だった神父は、年齢を重ねた皺が縁取る穏やかな瞳で彼にそう告げた。
彼は表情が無いまま頷(うなず)く。
当然だ…彼女のように俺を愛し、他人を隔たり無く慈しむ者が、この世に何人存在する?
彼女に、何の罪があった?
罪があるのは彼女を失った俺の方なのか?

…許さない。
衝動的な殺人だと…?
人を殺す病、血を好む人格を抱えていると知っていて、何故、奴は許されるのか。
何故だ?!
病ならば、人を殺しても良いのか?
奴が最初の殺人で許されなければ、彼女が姿を消す事は無かった!!

血の海で蠢(うごめ)き、2つの瞳を開いていながら暗闇の中で俺を捜し、呼んだ。
誰の罪だ?
奴か?俺か?決して彼女に罪など無かった!

この朝、神に訊ねた。
神父が来る直前に神は、頭の中で俺に告げたのだ。
”病は伝染する”
そうだ、彼女の紅い血に染まり、感染したんだ。
たまらなく、殺したい…。
奴を!あいつを!目を血走らせて刃を持ち、人の波の狭間を走ったあの男を!
ぎりぎりと奥歯が噛み締められる様は、堅い肉を喰い千切る肉食獣を思わせた。

初めて訪れた薄暗く狭い部屋で断末魔が響き、彼は新鮮な紅い血に塗れた。
汚らしい血の生ぬるい匂いは吐き気を誘うほど禍々しい。
だから、この身で清めるんだ…。

月も無い闇夜を、回転する赤い照明とサイレンがけたたましく飾る。
静かな山道へと導かれ、やがて大木に突き当たった。
そこで奴を斬った、ぎらりと光る刃を振り上げた。
彼女と同じく、己の血で身を染める。
胸の中央を刺して噴出した飛沫…其れが合図だったのだろうか?
正面に薄明かりが見え、其れはだんだんと広がった。
大木にもたれかかった身体がずるずると大地へと伸びる間に、白い翼を広げた心配そうな彼女の姿が…幻なのか、見え始めた。
光の中に佇(たたず)む彼女は…羽根と同じく柔らかな純白の服を纏っているようだ。
良いんだ…。
君と一緒にいられなくなろうと、奴を許せなかった。
愛よりも憎悪を選んだ。それでも後悔などしてない。
君を失った瞬間から肉をも斬られるような苦痛と孤独に襲わた…もう、耐えられない…!
愛した事さえ数え切れない程後悔したんだ。
こんな、辛い想いは、もう…たくさんだ…。

やがて嘆きの両の目が閉じられた。
天使は闇夜の中でさえも仄(ほのか)に輝く純白の翼を広げ、彼の亡骸を天上から隠すように覆う。
愛しい唇が、身体が、まだ温かく、柔らかい…。
けれど、血塗れた魂が奈落へと抜け落ちるのは、あと僅か…。
天使は唇を亡骸の唇に重ねた。
突如、天使と亡骸が繋がった部分から欲火(よっか)の赤い炎が湧き上がった。
業火の熱さに天使は喉の奥からの悲鳴を続け、神の祝福を受けた頬を、髪を、振り乱す。
炎は声に歓喜したのか高らかに燃え上がり、純白の服を焼きしめた。
やがて悲鳴が消えた頃には純白の翼は欲火に焦がされ闇と同化し、漆黒に染まった。
人の目に見える彼の身体から、人には見えない薄い血色の一体が大地の中へと滑り落ちようとしていた。
天使だった筈の女は苦痛の衝撃が止まない身体を勇ませ、愛しい者へと両腕を伸ばして抱きしめた。双方の翼で裸身の2人の身体を巻き込み別れを阻止しようとした。
そして、黒き翼の女と抱きしめられた血塗れの魂は阻む物の無いままに大地を突き抜け、するすると奈落へと招かれたのだった。

黒き翼を背に広げた女は、だんだんと手応えの強まる一体の魂を抱きしめ、唇を這(は)わせて笑う。
身を堕とす因果であろうとこの繋がりを失いはしない…!
奈落の罪人の肉に穢(けが)れ、謳(うた)っては血を啜(すす)る…生有る時には悍(おぞ)ましいとしか考えられなかった行為に恍惚として身を浸す。
たとえ、このまま獣へと身を窶(やつ)そうと魂は木霊するだろう。

 アナタ ヲ 愛 シテル !

やがて魂は色を宿し、動き始めた。
背に黒い翼の軟骨を膨らませ始めた彼は、悲鳴が響き渡る血生臭い黒岩に囲まれた奈落を見渡し、殺した男が鉄の鞭で打たれる姿を見つけて笑って言った。
教えて欲しい、愛を失うよりも残酷な刑罰があるのか、と。
焼け付く大岩の上、隣に座る彼の背に指先を添わせながら、女は唇の両端を上げて艶(なまめ)かしい微笑みを浮かべて答えた。
いずれ神々は地上に愛を与えた事を後悔するわ。
愛こそは、我等が舐めた辛酸と苦汁の器、嘆きと失望の花よ。
散ろうとも繋がろうとする心が辿り着く永遠は狂気、信ずる救いは快楽。
この黒き翼こそが、混沌から捜し出した愛を遂げた証拠。

そして今、恋人達は指先を絡めあい、漆黒の翼を優美に広げ、闇夜を渡る。
天使と何ひとつ変わらない事を成す恋人達には、砂ひと粒ほどの罪も咎も有りはしない。

眠る者達に愛の夢を与え、繋がりへと導く…それは至高の原理、尊き慈悲であるのだから。


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