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作品名:マンガ喫茶だより アマポラ編 作者:樸 念仁

第4回   ア・ショート・ヒストリー


潮智彦は霞ガ関に通うキャリアマンだった。

そのくせいけめん・がんぐろ・長身ときていたから、遊び人だった。

二十九才の時に風邪をこじらして肺炎をわずらい、入院する経験を得た。

療養中、東京一の美人看護婦と聞こえの高かった宮原裕美と話をするようになって、同年秋に結婚した。1982年のことだった。

翌年二月に女の子が生まれた。

二年してまた二月に女の子が生まれた。

最後に、四年後の二月に、一番上の子とは六つ違いで、男の子が生まれた。三人が三人ながら二月生まれの兄弟だった。

父親がいけめんで母親がびじんなら、できるものは見ないでも分かりそうなものである。

不運にもわずか十二才で命を落とした男の子は、ポテンシャルがポテンシャルのままで終わった。

そのかわり二番目に生まれた女の子は期待どおりの顔かたちを持つにいたった。失敗したことに父親のがんぐろ遺伝子を受け継いでしまったものの、それでも二〇〇四年度のさる権威あるコンテストで準優勝に入るくらいの顔にはなったのである。最近まで、雑誌の専属モデルとして活躍した。

ひとり例外と言えるのが最初に生まれた子だった。出てきた我が子を抱かされた瞬間、裕美は悲痛な叫び声をあげた。

しかるべく施した早期治療が奏功して普通児と大きく違うようではなくなった。とはいえ、両親はいやでも目につく。

本人も物が分かってくると気にした。

下の二人は地元の公立学校へ行ったのに、特別扱いゆえ女子のミッションスクールに入れられた。

中等部へ上がるか上がらないかに神経症が出た。いじめが原因だったらしい。数カ月休学したのち、アメリカンスクールに転校した。

アメリカンスクールでの生活は快適なもので(少なくとも目に見える形の問題は起こらなかったものだから)無事卒業し、十七才の秋にカリフォルニアへ留学した。

大学で一年目を終えようとしていた2001年5月のこと、弟が自動車にひかれた。以来、生き方が変わったのである。


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