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作品名:マンガ喫茶だより 作者:樸 念仁

最終回   乞ご期待
 住むべきか。
往くべきか。
 ワカレメってとこだな。
 住みにくい町ではない。
 自転車さえあればどこへだってアクセス可能だ。坂が少ない。平らな面積が多い。
 樸が根拠地と定めるこの近辺が、市役所のそばなのだし中心街なんだろうと思っていたら、本当の中心街は全然別のところにあった。自転車で四五十分。
 何十分もかかる所だがヘイタンな道のりだから割りあい楽だ。途中、牛舎とか養鶏場なんかがあってくさい。
 中心街へ行けば立派なステーションビル、一流デパート、明るくて開放的な図書館、そういった文化施設がそろっている。行きつけている近くの図書館は、できて何十年もたつ薄汚い感じの建物だ。
 今日、自転車を走らせていると賑やかなところに出て、それが中心街だと知った。
 おりて、青色のチェーンを掛けて、デパートには用がなかったのだが図書館を使わせてもらおうと思った。トイレにも行きたかった。キレイなトイレに違いないと考えた。こう見えてもシンケイシツな樸だから、不潔なトイレを使うことを好まないのである。
 図書館に行くのだけれど、どうしてもデパートの中を通るようにできている。デパートと図書館が合体しちゃっているので。二階三階が図書館、ほかの階にデパートが入っているようだった。それから忘れていた。コンサートホールもあったっけ。どういう入り組んだ構造になっているのかは知らない。デパートと図書館とコンサートホールとが一体になった、なかなか大した文化施設だ。(ステーションビルとはアーケードで隔てられているから、建物的には全く切り離されている。)
 図書館に行きたいだけなのに、若くて美しそうな女の人が化粧品だとか香水だとか売っている売り場の前を通らなければならない。樸はバックパックを背負っている。きのう雨にぬれ、火曜日だったか水曜日だったかに雨にぬれ、その前にも何度かひどく雨にぬれた特大のバックパック。樸の汗がしみこんだ、特大パック。
 きのう雨にぬれ、火曜日だったか水曜日だったかに雨にぬれ、何度も雨にぬれて長らく洗ってないジーパン。古ぼけたワイシャツ。
 きのうは、あの蒸し暑さの中で自転車をこぎ、痩せる気で一日かかって川崎の方までサイクリングして帰って来、夜は湯銭を節約したので、ポタージュ風ドリンクが飲めるドリンクバーの奥のトイレに入って、手拭いで体を拭いて寝た。図書館に行こうとデパートの店内を通り抜けながら、公共の施設があまりに文化的なのもどうかと考えた。
 ところで、図書館からの帰りに非常に助かる施設をみつけた。今日は利用時間が終了していたから入浴しそびれたけれど、誰でもタダでお風呂に入れる施設だ。温泉なみの大浴場があるという。だから今晩も銭湯はよして、明日一番で入りに行くことにしている。
 この町は昔の宿場町から発展したと、お米屋の婆さんが教えてくれた。ここよりか一段低い地の、坂を下りていったところがそうだ。それほど遠くはない。球場のある公園aなんかが旧市街地からはひとまたぎだ。
 どういうわけか旧市街はカイハツが遅れて、電車が通ったのも比較的最近の話。以前はディーゼル列車が走っていた。JR相模線のことだ。
 宿場はそんなふうだったが新開地の方にデパートやらステーションビルやらが建つようになった。今日見てきた中心街というのは、だから新開地の様子だったので。
 中心街から市役所までのサイクリングは高低の差がユルヤカだし、旧市街へは坂をおりて行くにしても、そこからはまたヘイタンになる。そのまま行くと山が近づいて、しまいには湖に行きつく。今日は湖にも行ってきた。午後の三時頃まで図書館ですごし、いったん活動の拠点であるこの市役所界隈へ戻ってきて、今度は湖を見てきた。だから今晩の樸は特別なにおいだと思う。
 せっかく自転車が手に入ったのだ。
 遠い旅に出てみたく思う。
 今でも旅気分に違いない。見知らぬ土地で過ごす毎日は、ずいぶん恥ずかしいことだって恥ずかしくないから恐ろしい。
 とはいえ、一週間も二週間も同じ町にいると、だんだん住人の目が気になってくるものだ。
 同じ泊まり客で、今晩で彼の顔を見るのは四回目だが、その顔が松岡修造に似ているものだから心の中でシュウゾウと呼んでいる。シュウゾウはほかへも泊まるのだろう。二日か三日おきに顔をあわす。お互いに目をあわせないようにしている。
 樸はシュウゾウのようにあっちこっち泊まり歩くヨユウがない。
 こういう施設は大体がメンバー制で、メンバーズカードというものを発行してもらわないと泊まれない。むろん、タダでは発行してくれない。
 セコイ話をするようだけれど、五枚も六枚も持つとすると、それだけで二千円ぐらいは行ってしまう。おまけに、樸はこの町にいつまでいるか分からない身の上である。引っ越したら次の町でもメンバーズカードがいるようになるだろうから、そうメンバーズカードばかりに金を使ってはいられない。
 ここと決める前に一応自分なりに見て回ったが、結論から言うなら、ちかぢかネアゲに踏み切るつもりらしいこの店が、それでも一番安いようだ。一泊1800円という料金プランはなかなかあるものではない。だから樸はシュウゾウのようにはしないで、毎晩この屋にねぐらを求めているのである。
 言ったように、そろそろ腰を上げようかとも思う。
 シュウゾウの顔を見るたびに知らん顔をするのはクツウだ。店の人にも笑われているような気がする。またバックパックのお客さんが来たといって。
 以前から中仙道をトウハしてみたい願いがあった。故郷の板橋から京都の三条大橋まで、一度やってみたいと思いながら果たせないでいた。自転車でソウハするのも面白かろう。
 やるなら今だ。節約すればこの夏いっぱいぐらいはもつ。たぶんもつと思う。
 そのあとで何か仕事が見つかるにせよ、本格的なルンペンになるにせよ、とにかくやれる間にやりたいことをやっておく。それもひとつの人生哲学だ。
 賀茂河原の橋の下は箱おじさんのタマリバだと聞いたことがある。どうせ箱おじさんになるんなら山紫水明の景色をめでながら風流にやりたい。
 一方で、この町にも引き止められるものを感じる。これから夏だ。毎日タダブロが使えるアメニティーは捨てがたい。
 旅に出たところで、結局金を浪費するばかりで得することは何もないのではあるまいか。
 上方へ行って、金が尽きて、病気でもした日には、まじ客死ということにもなりかねぬ。
 神奈川あたりに留まっていれば、いよいよという時には、おやじの所へ行って、頭を下げてワビを入れる方法が残されている。向こうが生きていればの話だが。まだ板橋の家にいるはずだ。
 傑作切ない系小説だって書かなくちゃならない。いいあんばいにデビューできたら、その日暮らしのこんな生活ともオサラバである。
 これは冗談ではない。樸は本当に書く気なのだ。
 そのつもりで、バックパックの中には原稿用紙が入っている。しょっちゅう図書館へ行くのも、実はそれが目的なので。今は資料調べをしている段階だけれども、ボックス席を借りて部分的に書き始めている章があるのである、実を言うと。この町の図書館は親切な図書館で、よそものに本は貸さないけれど、ボックス席なら使わしてくれる。
 旅に出たらそのぶん執筆が遅れざるをえない。下手をすれば完成を見なくなる恐れなきにしもあらずである。出版社で編集長をやっている昔の同級生が、できあがったら見てやるから早く書けと言ってくれているのだ。
 小説家になるにしても旅人になるにしても、樸は今しかない。迷うなあ。
 もう少し考えてみるか。
 どっちにしても明日風呂を浴びてからのことだ。

というわけで、バックパックの客暮らしは次週もつづく




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